ごちゃっぺ言うなよ

 スモモのことを『バタンキュー』と教えたのは、父だった。私の中の父がまだ、世界中のことを知っている人だと思っていたころのことだ。幼いころから果物が好きだったので、長女にとてつもなく甘く子煩悩で、かつまた出張がちだった父は、駅前の果物屋でお土産を買って帰ってくれることが多かった。

「バタンキュー買ってきたよ」

 これは季節によってサクランボだったりブドウだったり桃だったりとバリエーションはあるのだが、赤く美しいスモモは今でも好きな果実だ。


 母方の祖母の家で、スモモの木があった。今でも覚えている。防火用水の大きなコンクリート桶に被さるように伸びていた木だ。

「きいろちゃん、バタンキュー大好きだもんね」

 そう言って木からもいでくれた父に、おそらく幼稚園児だった私は質問した。

「なんでバタンキューって名前なの?」

 父の答えは、思い出すたびに苦しい返答だなあと思う。

「実が甘くなるとバタンって落ちて、酸っぱいのを食べるとほっぺがキューってするからだよ」

 文章にすると、ますます変だ。


 あのときの父はまだ三十代前半だったはずだ。トレードマークだったパナマ帽とチェックのバミューダパンツは、流行だったのだろうか。母はまだ三十前で、ミニスカートとハイソックスだった気がする。


 そんなわけで私は中学校くらいまで、ずっとバタンキューっていうのが正しい名前だと思っていた。

巴旦杏はたんきょうって言うんだよ」

 冷蔵庫から出して洗っている私に、母が教えてくれた。きっと大きくなった私がまだ『バタンキューの実』と言い続けているのを聞いて、恥をかく前に正さなくてはと思ったのだろう。


 父はもちろんプラムって言葉もスモモって言葉も知っていたはずだ。そして現在実家にスモモの実があっても、バタンキューとは言っていない。

 つまりあの当時、私に軽い嘘を教えて面白がっていたのか、それとも自分でも間違って覚えていたのか。そしてどちらにしろ、彼は忘れてしまっているに違いない。



 あ、『ごちゃっぺ』っていうのは、いいかげんとか役に立たないとか、そんな意味です。方言を標準語に直すの、難しいね。

 

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自転車を漕ぎながら 春野きいろ @tanpopo

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