十三.また、いつか

 グランクセルゲン・ホイデンスは怒っていた。

 何に対してかは、自らも分析できていない。この状況におのれが最善を尽くさなかったと思っている訳ではないが、何かを見落とした筈だという思いが自分を責める。

 聞く耳を持たなかったルゥリアも、閲兵場内を埋め尽くす『殺せ!』の叫びも、後手後手になるくせにこちらの邪魔をする近衛騎士も。あらゆるものが彼の怒りをかきたてていた。

 そして今、倒れたデクスマギンの操者殻の上、ルゥリアの前に立ち塞がって彼女ともみ合う小柄な人影が、ルゥリアをホイデンス達の方に乱暴に突き落とした事にも、怒っていた。


「クソ!」

 ホイデンスが手を広げると、ホベルドやメドーン達がそれに重ねるように腕を差し出す。ルゥリアの体はその網で受け止められた。

「うあああ!」

 暴れるルゥリアを、ホイデンス達が羽交い絞めで抑え込み、メドーンが鎮静剤を首筋に注射。彼女はほどなくして意識を失った。

 ホベルド達が周りに立って視線を防ぐ中、医療スタッフたちがルゥリアの服をはだけ、胸を露わにする。

 除細動器の準備している中、民衆の狂喜する歓声が場内を埋め尽くしたかと思うと、一発の銃声がそれを切り裂き、歓声は怒号に変わる。

 皆が頭を低くする中、ホイデンスは無視してルゥリアを押さえ続けた。だがその銃声をきっかけに彼女が再び暴れ始める。

「あああ! あ! あ!」

 目を見開き、口を激しく開閉する。

「舌を噛むぞ! 何か口に!」

 メドーンが言いかけると同時に、ホイデンスはハンカチを左手に巻き、その手を彼女の口に突っ込んだ。

「あぐあっ!」

 強い力で噛まれ、骨がきしみ激痛が走る。

「所長!」

 メドーンが、そして皆が驚きに目を見張った。

「怪我しますぞ!」

「もうしている。構わん! やれ!」

「感電します!」

 メドーンは顔をひきつらせた。暴れるルゥリアの手足は、彼と看護師達が絶縁ゴムを挟んで押さえている。だがその右手だけはホイデンスが素手で掴んでいる。むき出しな右手首が汗で光る。ホイデンスの左手を巻いたハンカチは、噛み締めるルゥリアの唾液で濡れている。

「いいから早く!」

「知りませんぞ!」

 ホイデンスが叫び、メドーンはスイッチを押した。


 ホイデンスの左手から右手へと衝撃が走り抜けた。それは全身に広がり、脳髄をも突き抜け、意識を朦朧とさせる。視界が霞み、世界の音は遠くなった。

『駄目だ! 細動が止まらない』

 メドーンの声も遠い。ホイデンスは痺れる身体を叱咤し、もう一度、と叫ぼうとした。


『大丈夫』


 耳元で、声がした。もうずっと昔に訊いた声。ずっと聞きたいと思っていた声。それでいて、もう聞きたくないと思っていた声だった。

 ガイカ・キネトシ。被験者を失格し、自害したディヴァの少年。

『彼女には、生きる力がありますよ』

 それと同時に、除細動器本体に表示された心電図が小刻みな上下動を止め、横一線を描き、次いで大きな波を打ち始めた。耳障りな電子の警告音がやみ、落ち着いた和音に変わる。

『心拍、正常に戻りましたぞ!』

 メドーンが宣言する。看護士達がルゥリアの服を戻し、落ち着きを取り戻した彼女の口からホイデンスの手を慎重に外した。


(そんな所にいたのか、トシ)

 ホイデンスは心で語りかけた。

『はい。ずっと伝えたい事があって。でも所長、いつも思索に集中していて、僕の声が届けられませんでした』

(そうか。では今聞こう)

 ホイデンスは静かな心で待った。


 ずっとお前を待たせたのだ。なんでも聞こう、それが、自分と一緒に黄泉の国に来てくれ、であっても構わない。


『三つのお願いがあります』

(ああ。言ってみろ)

『愚かな事をした僕を許してください』

(ああ。元々許すも許さぬもない。お前をあそこまで追いつめてしまった、俺の責任だ)

『ひどい態度を取った、我が父母を許してください』

(ご両親の態度は当然だ。俺が怒る筈もない)

『そして』


 医療スタッフ達が、ルゥリアの小さい体を担架に移して、少し離れた所に待機していた救急車に運んでいく。メドーンはこちらに戻って何かを話しかけてくるが、ホイデンスには聞こえない。


『所長が、ゆえ 無くしてずっと責めておられる、御自身を許してあげてください』


 トシ!


 何も見えなくなった。

 瞼が引きつれて、空けていられないほど涙が溢れ出す。

「ああああああああ!」

 喉が破れる勢いで声がほとばしる。メドーンが、ホベルドが、何かを言いながら肩に手を掛けるのを手で払う。

 今は俺を放っておけ。話しかけるな。俺は今、彼とだけ話をしたいんだ。


「やめなよ」

 アルビーが腕を伸ばしてホベルド達を止めた。

「所長は今、話をしているんだ。この世ならざる者と」

 メドーンが目をしばたかせる。

「この世ならざる……者?」

「多分」

 アルビーは視線を地に落とした。

「トシだ」


「あああ! ああ!! あああああ!!!」

 臓腑を絞り切るように、嗚咽が果てしなく口から溢れる。


 プロジェクトを成功させて、お前の助けになれると信じていた。

 家と一族を思う、お前の至誠に応えられると疑わなかった。

 何が天才か。何が狂気か。いかに虚勢を張ろうとも、血の海と化したお前の部屋が、俺の真の姿だ。


『所長は常に最善と最高を求めておられました。

 それが狂気であり、天賦の才でもあるのだと、ずっと横で見ていた僕には分かっています』

 少年の心の声は深く澄んでいて、そこには何の追従もないと、ホイデンスには分かった。

『だから、所長にはこれからも、狂気の魔学者でいていただきたいのです。でないと、所長らしくないですからね』

(そう、か)

 ふっ、と軽く笑う。

 感情の嵐が過ぎた後は、頭上に広がる冬の空のように、冷たくも高く青く晴れ渡っていた。


『最後に所長とお話できて良かった』

(行くのか)

『はい。もしこの先、人としてまた生まれる事が出来るなら、いつかどこかで、今度は僕が所長の助けになりたい、そう思っています』

(生意気を言いおって。だが、まあ。その時は頼む)

『お任せください。それでは、さようなら。所長』

(ああ)


 そして、ディヴァ皇国から来たサムライの子ガイカ・キネトシは、真にこの世界から旅立った。


「トシ、だったのか」

 ケリエステラが目の前に立った。

「そう、だ」

 のどの痛みにむせながら答える。

「そうか」

 ケリエステラが身を屈め、利き手の左手を差し伸べた。ホイデンスはいらぬ、と返そうとして少し考え、左手を持ち上げた。

 だがそれを見てケリエステラの表情が一変する。手にまいたハンカチには血が滲み、広がりつつあった。

「おい馬鹿! とっとと治療しろ治療! 医療班! 誰か! 残ってないか!」

 叫び走り出す彼女の背を見ながら、ホイデンスは立ち上がった。

 蒼空を見上げ、そして呟く。

(また、いつか、な)

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