十二.死の舞踏

「なぜ今更!」

 ホイデンスは叫んだ。

「勅命に説明はない! 撤回もない!」

 近衛騎士ドロデオスも退かない。

「ふざけるな!」

「ここはノヴォルジ帝国だ! 勅命違反は笑い事ではないのだぞ!」

 その顔が次第に青ざめ、歪んでいく。声音は傲慢な命令から哀願に変わる。

「頼む!」

 ホイデンスは奥歯をギリっと噛み締め、しかしマイクを掴んでモニターに向き直った。

「ルゥリア、そこまでだ。戦闘停止!」

 しかし、ルゥリアから返事はない。

「ルゥリア?」

 モニタの中のプリモディウスも止まらない。

「聞け! 勅命だ! 後は皇帝の裁きに任せろ!」

 それでもプリモディウスは倒れたデクスマギンに近づく。

「ルゥリアっ!!」

「駄目です」

 フェネインがモニターを見ながら声を上げる。

「彼女の脳の言語野の血流が落ちています。恐らく言葉が理解できていません!」

 竜骨騎騎士三騎が一斉に組み付くが、大型のプリモディウスは彼ら小型の三騎をじりじりと押し戻す。

 息を強く吸ったホイデンスは、ケリエステラに顔を向けた。

「外部制動を掛けろ」

「いいのか?」

 ホベルドが割って入った。

「ルゥリアちゃんは剣も槍も拾っていない。どういう殺し方になると思います?」

 ケリエステラは、モニタの中で牙の生えた口を激しく開閉させるプリモディウスを見た。その髪が逆立つ。

「外部制動!」

「了解!」

 リデロー主任がその返事よりもわずかに早く、制動命令を送り出していた。

 関節の動きを増幅していたモーターが逆方向に力を加え始め、プリモディウスの動きが格段に鈍くなる。

 しかしそれでも彼は止まりきらない。モーターから煙が立ち上り、人造竜骨がどこかで折れる鈍い音が響いた。

「やめてくれ!」

 バイドレン技師長が頭を抱えて叫ぶ。


「シャットダウンしろ」

 ホイデンスが低い声でケリエステラに言った。彼女は驚きに大きく目を見開く。

「そんな事をすれば、プリモディウスが動かしている彼女の心臓も止まるぞ」

「分かっている」

 蒼白になったホイデンスが運転席へのマイクを入れる。

「指揮車をプリモディウスに近づけろ」

『わ、分かりました』

 返事と共に、指揮車は乱暴に動き出し、指揮室の皆が振り回される。ホイデンスはラックに入った測定器の引き出しハンドルで体を支え、少し離れていたメドーン医師に視線を向けた。

「先生、車が止まったら一緒にプリモディウスまで走ってくれ」

「ゴーレム達に踏み潰される危険は?」

 緊張した面持ちのメドーンが問うと、ホイデンスは自信に満ち溢れた態度で答えた。

「ある」

 メドーンは鼻から強く息を噴き出した。

「いいでしょう」

『止めます!』

 運転席からの声と同時にブレーキ音がして、皆が再び体を振られた。それが収まると同時に、

「シャットダウン!」

「はい!」

 ケリエステラが叫び、リデロー主任がタッチパネルに触れる。スクリーン上にはいくつものメッセージが浮かび、そして閉じていく。

「行くぞ」

 その手続きが終わるのを待たず、メドーンとホイデンスが後部ドアを開けて飛び出した。ホベルドやアルビー、トルオも当然のように続く。


 車内ではマイクを通してでしか聞こえなかった観衆の声が、四方からホイデンスに押し寄せてきた。それは皮膚だけでなく骨や内臓も揺るがす感覚。

 目の前で、プリモディウスが発していたガスタービンの回転音が急速に低下し、装甲の下のカメラや補器から動作を示す光が消える。最後に人造竜骨の帯びていた微かな光輝が消え、その全身から力が抜けた。

 彼を押し戻そうと奮闘していた三騎の竜骨騎騎士は、勢い余ってうつ伏せのプリモディウスを仰向けに返し、自らも転れ込んだ。ホイデンス達のいる方に向けて。

「危ない!」

 ホベルド達騎士が、ホイデンスやメドーンの腕を掴み、降ってきたゴーレムの巨体を回避した。

「助かる」

「どういたしまして」

 ホイデンスの感謝にホベルドは緊張を解かずに答えた。実際、危険はまだ終わっていない。プリモディウスの動きが止まり、安堵した竜骨騎騎士は一斉に立ち上がる。

 彼らが地に着いた手や足を避けながら、ホイデンス達は走る。

「この馬鹿どもめ!」

「想定外なんですよ、彼らも」

「まあいい。これで……」

 言いかけたホイデンスが口をつぐんだ。

「まさか!」

 自分が最も嫌う言葉を口に出し、苦い顔になる。目の前で、プリモディウスが再び起き上がり、再び手足でデクスマギンに迫り始めたのだ。

「どうした! バッテリーも」『切ってある!』

 インカムからケリエステラの怒声が返ってきた。

『通電はゼロだ。だが人工竜骨が動作している! 原因は不明!』

 ホベルドが肩をすくめた。

「神様ですからね。人造竜骨を、真の竜骨に作り替えるくらいは」

『そんな馬……いや、もうなんでもいい!』

 ケリエステラが投げやりに叫ぶ

『システムを再起動した。止まった関節からロックを掛ける!』

 近衛騎士の三騎が、慌てて、しかし今度はホイデンス達の存在に気付いたか意識して足を運び、再びプリモディウスを押さえに掛かる。

 幸い、その出力は通電時よりは落ちているようで、三騎はプリモディウスの前進を阻む事が出来た。止まった関節に順次ロックが掛かり、彼はついに動かなくなった。

 ホイデンスは息をつきながらケリエステラに言った。

「念の為だ。ハッチの緊急爆破ボルトを無効化しろ」

『なに?』

 心外そうな声が返ってきて、彼女にしては察しが悪いと思いながら説明を追加する。

「こっちが開けるまで、外に出したくない」

『そうじゃない!』

「じゃあなんだ!」

 怒鳴り返すホイデンスに、倍返しの大音声が鼓膜を叩いた。

『お前が、それを、外させたんだろうがあっ!』

「あ」

 間抜けな声を漏らしてしまい、ホイデンスは恥じる。確かに、昨夜それを外すように言ったのは自分だった。

「まあいい。今の状況ではそんなものを思い出せ……」

 そう言った途端、爆発音が響いた。

 見上げると、プリモディウスの操者殻から四つの小さな炎が噴き出し、パネルの一部が落下した。すぐさま中から小さな人影が落ち、デクスマギンの方に走る。その手には、剣らしきものが。

 ホイデンスは叫んだ。

「何故そんな分別だけ残っている!」



 ルゥリアは、自分にもう時間が無いと分かっていた。胸の痛みが頭から背中、原まで広がり、息は浅く、思考がぼやけてきた。それでもやるしかない。

 インカムから聞こえてくる、聞き馴染んだ誰かの声も、もう意味が分からない。自分の中からも言葉は消えてしまっているのだ。インカムを掴み、投げ捨てる。

 追いすがる竜骨騎の手をかわし、デクスマギンの操者殻によじ登る。その亀裂から中に入れば、その中であの男、もう名も思い出せないあの男を殺せば、それですべてが終わる。そう思った時。


 誰かが反対側から登ってきた。痩せて小柄な姿が逆光に浮かび、両手を広げて叫んだ。

「……!」

 だがその言葉の意味も分からない。誰であれ、邪魔をするなら追い払うだけだ。

「わああああ!」

 叫んで切りかかる。殺すつもりはない。ただけ反らせて落とすつもりだった。

 だが相手は逆に大振りの懐に飛び込んできた。体が接するほどに近づいた相手に両手首を掴まれ、足を払われる。

 剣を離すまいと必死に抵抗するルゥリアを、相手は踊るように振り回す。怒りに駆られて唸り声を上げる一方、頭の片隅が相手の特徴を冷静に観察していた。


 間近に見る顔は、男性、いや、男の子だろうか。赤みがかった髪は少し白髪も交じっている。肌は荒れていて、骨が浮き出るほど薄く、細かい皴も多く走っている。その特徴から、年齢を想像するのは難しい。ただ、青白い顔は眉根に深く溝を刻み、苦悩と苦痛に満ちて、死相を浮き上がらせていた。

 そして、汗と垢の臭いが強く鼻を突く。

 いずれにしても、今のルゥリアには誰の顔も見分けがつかないし、頭の中に有る知人のリストとは、特徴が一致しない。少なくとも、生きている人間では。


 ボキ。


 不快な音と共に手首に衝撃が走り、剣を掴んだ手から力が抜けた。剣が落ち、視界から消える。同時に彼が腕を伸ばし、ルゥリアを突き放した。

 背中から落下する彼女を、背後から幾人もの手が受け止めた。

「あああああ!」

 怒りで暴れるが、手足と体を押さえ込まれ、首筋に注射される。すぐに胸の痛みと意識が遠のき始めた。視野が狭まり、暗黒が彼女を包む。

 やがて遠くから嵐のような大歓声、そして銃声が聞こえ、沈黙の中に消えていった。


 その闇の中で、ルゥリアのわずかに残った冷静な意識は、最後に見た少年の表情の事を少しだけ気に掛けていた。


 なぜあの人は、涙を流していたのだろう。


 そんな疑問も自分自身も、やがて闇の中に溶けていく。そう、もう死ぬのだから、どうでもいいのだ。


 そして、全てが無になった。

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