二十六.空

 二週間後の朝。帝都郊外にある騎士軍の工廠を、ルゥリアとクルノは憲兵隊の車で訪ねた。

 そこでプリモディウスの修理などを行っているホイデンス・ケリエステラ両研究所長から、試運転の準備が整ったと連絡があった為だ。

 概ね傷が癒えた二人は工廠に向かった。ルゥリアにはもう一つ、皆とお別れの挨拶をするという理由もあった。

 入構し、指定された工場の前で車を降りると、

「ルゥリアちゃん!」

 通用口からちょうど出てきたトルオが駆け寄ってきた。

「トルオさん!」

 ルゥリアは懐かしさに胸が詰まった。あの日、閲兵場でプリモディウスに乗ってから二十日程しか経ってないというのに。

「もう大丈夫?」

「はい。おかげさまで」

「お、来たな」

 中からスタッフやホベルド達被験者も出てきた。

「皆さん!」

 心が浮き立つルゥリアだったが、斜め後ろのクルノが耳元にささやいてきた。

「ここ、悪の秘密結社じゃないんですか?」

「え?」

 振り向くと、怯えたような表情で被験者たちを見ている。

 そうか、とルゥリアは気付いた。彼女と同様に顔色と唇の色が悪い被験者たちを見たら、驚くのが自然だ。

「おーい、聞こえてるぞ」

 トルオが半目になった。

「す、すいません」

「まあ、そう的外れでもないけどね」

 謝るクルノの肩をホベルドが叩いた。

「クルネイス・バーニク君だね」

「はい」

「あの時、よくルゥリアちゃんを止めてくれた。礼を言わせてくれ」

「いえ、そんな。僕はただ……」

 そこから先を言いあぐねて頭を掻いてしまうクルノ。

「皆様」

 ルゥリアは一歩下がり、地に片膝を着いた。クルノも慌ててその後ろで両膝を着く。

「こたび、皆様にはほんとうにご迷惑をお掛けしました。またプリモディウスも破損させ、申し開きのしようもありません」

「そんな事いいのに……」「言わせてやれ」

 とどめようとしたトルオを、トルカネイが制した。

「それが一番納得いくのだ。互いにな」

「そうか。そうですね。ごめん、ルゥリアちゃん。無粋だったね」

「いいえ。それに、ありがとうございます」

 ルゥリアは二人に頭を下げ、口元を引き締めて皆を見上げた。

「また、クルネイス・バーニクの不起訴に際しまして、皆様がお力を尽くされたこと、感謝の念に堪えません。ありがとうございました」

 ホベルドが左右を見渡し、ルギウスやアルビー、トルカネイと目を合わせる。皆が意味ありげな笑みを浮かべると(アルビーだけは無表情だったが)、こちらに向き直って笑顔で肩をすくめた。

「何のことだかさっぱり分からないけど、不起訴おめでとう」

 ルゥリアは深く頭を下げ、立ち上がった。

「遅れましたが、あらためて紹介させてください。クルネイス・バーニク」

 一度言葉を切り、クルノに手を伸ばした。彼がためらいがちに伸ばした手を掴む。

「まだ非公式ですけれど、私の婚約者です」

「おー」

 皆から歓声と拍手が巻き起こる。クルノは顔を赤らめ、また耳打ちしてきた。

「ノヴェスターナとかアバンティーノの人って、みんなこんな感じなんですか?」

「聞こえてるぞー」



 会議室へ向かう途中、アルビーが声を掛けた。

「どう、ノランは」

 ルゥリアは微苦笑で答える。

「電話が毎日来ます。メールは一日に何通も」

「だろうね」

 ホベルドが振り向いて口を開いた。

「この後、アバンティーノに一度戻るんだよね?」

「はい、脱薬プログラムに入るので、プリモディウスをアバンティーノまで連れ帰ったら、皆さんともお別れです」

「やっぱ一年くらいかな?」

「所長からはそう思っておけと」

「一年ですか…」

「あ、彼氏が遠い目になった」

 トルオがつぶやく。

「大丈夫です。クルノも騎士の家に養子に入り、貴族階級としての立ち居ふるまいを学ばないといけません。きっと同じくらいはかかると思います」

 ルゥリアが説明すると、

「そうらしいです」

 クルノが寂し気にため息をついた。


「おい」

 話をしながら会議室に入ると、あいさつ抜きの声が飛んできた。

「皆と別れるなどと誰が言ったか」

 先に座っていたホイデンスだった。

「あ、所長。……はい?」

 ルゥリアが聞き返すと、所長は一気に説明する。

「覚醒できなかった者達とお前は違う。脱薬コースに入り、どの時点でプリモディウスとの同調が失われるか、あるいは失われないのか。その全てに於いてデータを取るからな」

 その言葉をなんとか受け止めて咀嚼するのに数秒かかった。

「つまり、動かせるうちはプリモディウスに乗り続けて、皆さんと一緒にいられる、という事ですか?」

「当然だ」

 ルゥリアの気持ちが明るくなった。見回すと、皆が暖かな表情を浮かべている。

 彼女はつま先立ちになり、クルノの耳元にささやいた。

「やっぱりここは、悪の秘密結社みたいです」

「だから聞こえてるって」

 トルオが口元に手を当てて告げた。


「その悪の秘密結社から、提案があります」

 ナイードがそれに便乗する。

「アバンティーノには騎士階級入りする平民の為のカリキュラムもあります。クルネイス君が望むなら、ルゥリアちゃんの近くに居ながら教養を身に着ける事が出来ますよ」

「「え?」」

 初耳の話に、二人同時に声が出た。

「貴国の皇帝陛下から授業料・生活費などの負担申し出がありました。どうするかも本人の意志に任せるそうですよ」

「本当ですか!」

 ルゥリアはクルノと顔を見合わせる。クルノが考える間――ほんの数秒だったが――ルゥリアは期待を面に出さぬよう努めながら見つめた。

「少し時間を頂けますか」

「もちろんです。ゆっくり考えて」「いえ」

 クルノは顔を上げてナイードを遮った。

「姉や従士隊のみんなに説明して、説得する時間です」

「説得?」

「はい。僕の心は、決まっています」

 彼はルゥリアへと向き直り、その手を取った。ルゥリアの心拍数が跳ね上がる。

「今度こそご一緒しますよ、ルゥリア様。もう二度と後悔しないように」

「クルノ……あ、ああありがとう」

 ルゥリアは胸にこみ上げる熱いものを抱き締めながら答えた。皆が手を叩き、口笛を吹く。そこにケリエステラ所長が入ってきてたたらを踏んだ。

「お。なんだこれ?」

 ホイデンスが仏頂面で答える。

「知るか」

「何を怒ってるんだ」

 トルオが彼女の耳元にささやく。

「あれですよ。娘の恋人が挨拶に来た父親の心境です」

「そんな俗なものではない」

 ホイデンスが唸る。

「おれは狂気の魔学者だぞ」「はい、そうですね」

 フェネインが横を通ってルゥリアに声を掛けた。

「お帰りなさい。さっそくだけど起動準備出来たから、着替えて貰っていい?」

「あ、はい」

「よし、プリモディウス、起動シークエンスに入るぞ」

 ケリエステラが部下たちに指示する。

「「はい!」」

「それじゃ、俺たちもサポートに行くか」

「当然のように指図するな!」

 ホベルドとルギウスがいつもの言い合いをしながら出ていく。取り残されるホイデンスは、眉根に深い皴を寄せて呻いた。

「お前達、もっと俺におそおののかんか」

「いいんじゃない? 愛されてるんだから」

 アルビーは微かな笑みを浮かべ、出ていった。

「愛されている、だと?」

 ホイデンスは顎に拳を当てて考え込んだ。



 ルゥリアは操者服に着替え、格納庫に移動した。

 修理なったプリモディウスは、照明を浴びて輝いている。

「ただいま」

 ルゥリアは声を掛けて機体を撫でる。クルノは横でその巨体を少し口をあけながら見上げた。

「あらためて見ると、すごいですね」

「うん。私の神様だから」

 ルゥリアはうなずいた。



「なあ。起動試験が無事すんだらさ、皆で街に遊びに出ようぜ」

 試験用機器の設定などを手伝う被験者たちの中で、ホベルドが言い出した。アルビーが顔をしかめて断言する。

「嫌。寒い」

「えー? 厚着すればいいじゃない」

「あのなあホッブ」

 トルオが欠伸あくびを噛み殺しながら背筋を伸ばした。

「行くとしても丸一日、ゆっくり寝てからな」

「あー。そうだね」

「あとさあ。さっきみたいな事を言うもんじゃない」

 トルオは第二王子に人差し指を突き付けた。

「なんで?」

「君、フラグって知ってる?」



 プリモディウスに乗り込んだルゥリアは、点検を済ませ、起動シークエンスに移った。

 ガスタービンを始動し、人造竜骨に通電。操者桿を握って宣言する。

「我は、汝の心臓なり!」


 だが、プリモディウスは動かなかった。



「同調率86パーセント、臨界に届きません」

 管制室に動揺が広がる。

「所長!」

 皆が不安げに両所長を見る。ケリエステラは口を曲げてホイデンスを睨んだ。

「戦う動機が無くなって、もう動かせなくなったか?」

「心配無用だ」

 ホイデンスは肩をすくめた。

「あいつの中の火山はまだ枯れたりはせん。表向きは落ち着いたように見えてもな」

 ホイデンスは、しかしどこか苦い顔でマイクを取る。

「少年、聞こえるか」



 操者殻のルゥリアは、戦慄に近い衝撃を受けて思考が堂々巡りしていた。

 もう駄目なのだろうか? 心に空いていた穴がクルノとの愛で満たされた今、プリモディウスは答えてくれないのだろうか?

 その時。

『ルゥリア様!』

 インカムからクルノの声。見下ろすと、足元からこちらを見上げる姿があった。

『大丈夫ですか? 無理だけはしないでください!』

 拳を握り締め、案じ顔のクルノを見た時、胸が熱くなった。それに合わせてガスタービンの回転が上がり、フレームに流れ込む電流が急上昇する。


 そうだ。クルノはいつも私を甘やかしてくれる。心配してくれる。それが私を駄目にするかも知れなくても、私には彼が必要だ。

 口に出せなかった想いが満たされても、自分の、不相応なまでに巨大な自意識は変わらない。それがプリモディウス、あなたの力になるなら、それでいい。

 所長が言ったことは正しかった。私はやっぱり、思春期の怪物だ。そう、私はあなただ、プリモディウス。


 呼びかけに答えて、操者桿から手の平を通じて強い力が流れ込んできた。かつてのような、心を凍えさせるような冷たさではなく、暖かい奔流。それを受け止めると、巨大な機体と一つになる感覚が蘇った。五感が、機体と繋がる。

『同調率105パーセント! 臨界達成!』

 インカムの向こうでの拍手と歓声を聞きながら、ルゥリアは足を踏み出した。

 目の前で、格納庫の扉が開く。ルゥリア=プリモディウスはそれを抜け、外に歩み出た。頭上に青く高い空が広がり、冷たい空気がセンサーを通して体を刺す。

『ルゥリア様!』

 追ってきたクルノの笑顔が輝いていて、また鼓動とタービンの回転が上がる。

「うん、行ってきます!」

 声に出して手を振り、背の翼を開いた。浮遊力を込めると青い光が翼を覆い、体がふわりと浮かび上がる。

(行こう、プリモディウス。あの日約束した、自由な空に)

 そう語り掛け、ルゥリアは空高く舞い上がった。


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