二十四.甘いチョコレート
体を強く揺さぶられて目を覚ますと、暗い照明を背に、姉ティクレナが覗き込んでいた。
「大丈夫? うなされてたよ」
「ああ、うん。ありがと」
つい今まで、クルノは牢獄の中で目覚めた夢を見ていた。
人の気配がなく、父や姉を呼んでも返事が無い。解放され、ルゥリアと再会したのも、全ては夢だったのか。パニックになり、泣き叫んでいた所だった。
目の縁が濡れているのに気付き、そっと拭うが。
「泣いてた?」
隠せる訳もなかった。
「い、いや、別に」
「気にしないで。私もよくあるから」
姉が髪を撫で、クルノは恥ずかしくなった。
女帝との謁見の後、クルノの身柄は医療拘置所から、ルゥリアの入院している騎士軍病院に移され、姉も付き添いとして隣室で寝泊まりしていた。
獄中で同じように苦しんだ姉に、自分はまた面倒を掛けている。
「姉さん、いつも」
言いかけた唇が指で押さえられた。
「きりが無いからやめようって言ったでしょ?」
「うん」
クルノが息をついて落ち着くのを見て、姉は口を開いた。
「あのね。さっきお嬢様の護衛の人から……」
クルノが食堂へ行くと、入り口近くで護衛の憲兵と看護士が立ち、広い食堂の一角だけ照明が灯され、その下のテーブルにルゥリアがぽつんと座っていた。
彼女が顔を上げ、小さく手を振る。
「こんばんは」
挨拶をすると、彼女がくすりとする。
「同じ病院にいるのに」
「あ、変ですか?」
「ちょっと」
「そうですよね」
頬をかきながら、隣の椅子に座る。ティクレナが紙コップのホットチョコレートを二つ置いて、どちらにともなく微笑みかけて出ていった。二人で甘いそれを飲み、ほおっと息をつく。
「眠れないのですか、お嬢様も」
「うん」
「あの、僕でよければ、お話、聞きましょうか?」
ルゥリアは首を振った。
「ううん。まだちょっと、いろいろな事が頭の中でごちゃごちゃしてて」
「そうですか」
「それにクルノの方が、もっとつらい思いをしてきたと思う」
「いいえ、そんな……って、これも、同じ話の繰り返しになっちゃいますね」
クルノが苦笑すると、ルゥリアもうつむいていた顔を上げた。
「そう。いつかきっと、お互いに、なんでも話せる時が来る、と思うから」
「ですね。せっかくだから、今はもっと楽しい話をしましょう。ええと」
クルノが視線を宙にさまよわせて話題を探すと、ルゥリアから話し始めた。
「クルノ。昨日の朝、陛下の前で、あの、言ってくれて、嬉しかった。愛しているって」
顔を赤らめる。それを見て自分の方も、顔が熱くなった。
そうか! これが楽しい話題なんだ! 女の子って。いや、他の子とそんな話した事ないから分からないけど。
僕なんか、牢獄の日々と同じくらい、遠い未来まで先送りしたかった話題なのに!
「あー……」
どう返したものか。そして思い出す。どうしても言えなさそうだったその言葉を言えたきっかけの事を。
「あの時、直前まで見当違いの事を言いかけてて」
「うん」
「そうしたら、男の人の声で――所長さんだと思うんですけど――聞こえたんです。『ゴー・フォー・ブローク』って」
「あ、私にも、聞こえた」
「やっぱり。それでですね、あの言葉なんですけど……」
それからクルノは、かつてトレンタから聞いたその言葉の意味、それにまつわる物語について話した。
「そうなんだ。でも所長と恋愛ドラマって、すごく、不思議な組み合わせ」
ルゥリアは首を傾げた。
「まあ、異世界の言葉の方を知ってただけかもしれませんし」
「うん。だけど、恋愛ドラマを見ている所長の方が、面白い」
クルノは、その人柄を良く知らないホイデンス所長ではあるが、少し気の毒に思った。
「でも」
ルゥリアは軽く顔をしかめた。
「こんな時に、他の女の子の話をするのは、マナー違反です」
「え?」
今まで見た事の無かった表情に、クルノは驚いて聞き返した。
「でも、トレンタですよ?」
「トレンタだからです。あんなにクルノを好きな女の子の事を」
「はい?」
?
意味が分からず、頭の中が一瞬空白になった。
「いや、それはないです! 僕への恋愛感情は九……百パーセント無いって言ってましたよ?」
ルゥリアは半目で指摘した。
「今、九十パーセントって言おうとした?」
「いや九十九です! ……あ」
「やっぱり」
慌てて反論する。
「で、でも、一パーセントは一パーセントだって本人が」
「人の気持ちが分かる人ほど、自分の気持ちが分からないものです」
「そんな、そんな事が……」
クルノは、自分と話をしている時のトレンタを思い浮かべた。
不機嫌そうなトレンタ。
「え?」
冷たい目でクルノを見るトレンタ。
「ええ?」
クルノの言い草を鼻で笑うトレンタ。
「えええ?」
救出に来た時の、泣きながらクルノを揺さぶるトレンタ。
「ええええ?」
「帰ってきて」
ルゥリアが手に触れて、クルノは我に戻った。
「はい、帰ってきました」
彼女は息をついて、話し始める。
「トレンタは、私なんかよりずっと、クルノのためを考えて行動してきた。助けにも来たんでしょう? 自分で思っている以上に、クルノが好き、だと思う」
彼女は目を伏せ、寂しそうに言った。
「それに、クルノが本当に好きなのも、トレンタなのかも」
クルノは、いったん収まりかけた紅潮がぶり返すのを感じた。ルゥリアに、こんな寂しい顔をさせてはおけない。
「そんな事ありません! 僕が好きなのはルゥリア様だけです! トレンタはただの後輩です! そんな気持ちは僕には全然ありません!」
勇気を振り絞って言った。入り口で待っている憲兵や看護士には聞こえない程度に声は押さえてではあるが。
だがそれを聞いたルゥリアは目を伏せて逸らし、唇を尖らせた。
「ひどい。トレンタがかわいそう。最低」
「ええっ!」
クルノはショックを受けた。確かに、今の言葉は、全部本心ではなかった。人を喜ばせるために嘘をついたことを、クルノは恥じた。観念して、心を正直に表現する事にした。
「はい。彼女には、とっても感謝してます。それに捕まるまでの間にも、今までなかったくらい話をして、女の子としても好きになったのは本当です。でもやっぱり、ルゥリア様の方が好きですよ」
だがルゥリアは、やはり唇を尖らせた。
「馬鹿。比べるなんて最低」
「今のは正解だと思ったのに!」
クルノは天井を仰いだ。
「正解は……」
顔を上げたルゥリアに、クルノが聞き返す。
「正解は?」
「ないの」
「理不尽だ!」
泣きそうになったクルノに、ルゥリアは小さく噴き出して微笑んだ。
「でも、ありがとう。私、クルノが思っているより、ずっと、素直じゃなくて、我がままで、ひねくれてるの。そんな私でも、本当に、いい?」
クルノは深呼吸して、ルゥリアを見つめた。
「僕だって、お嬢様について、この一年半でずいぶん知ったつもりです。ルゥリア様でも、じゃなくて、ルゥリア様が、好きです」
見つめ合うと、ルゥリアが目を閉じた。
心臓が爆発しそうに脈を打ち、全身が熱くなるのを感じながら、クルノは顔を寄せた。その時。
咳払いの音がした。
視線をそちらにやると、戸口で憲兵の一人が口元に拳を当てていた。他の憲兵や看護士もこちらを睨んでいる。
慌てて身を離そうとしたクルノだが、その腕が引っ張られる。ルゥリアが袖を掴んで、顔を近づけていた。その口が小さく動く。
「ゴー・フォー・ブローク」
クルノは息を呑み、答えた。
「かまうこたない、やっちまえ」
そして、唇を重ねた。
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