二十二.最後の試練(前)

「離してください! 行かせてください!」

 ベッドの上でじたばたと暴れるルゥリアを、看護士と共に抑え込むホイデンス。

「あまりにも予想通りの反応だな。面白みに欠ける」

「面白いとか面白くないとかではありません! 早く行かないとクルノが!」

「少なくとも点滴を抜いて止血するまで待て。それとも、点滴跡から流血していても会える程、この国の皇帝陛下は気安いのか」「そんな事ありえません!」

 激しく否定したルゥリアは、ふと我に返った。

「……皇帝陛下?」



 数時間後、ルゥリアは皇帝宮殿の中庭で片膝を突き、白い息を吐きながら震えていた。

 冬の早朝、帝都は凍えるほど寒い。その寒さのせいもある。だがその震えの大部分は、皇帝への陳情という行為への恐れから来ていた。

 昨日、ホイデンスがクルノの話をしている間に、ナイードから非公式な謁見の許可を取った旨のメッセージが届いていたのだった。


 謁見は、女帝が朝の散歩をする際に遭遇する、という形で許された。ルゥリアは騎士の正装を身にまとい、しかし骨折した右腕を吊った状態で跪いている

 肩が、ふわりと何かで覆われる感触。振り向くと、ホイデンスが自分のコートを脱いで彼女に掛けた所だった。

「あり……がとうございます」

「うむ。いや、いい。気にするな」

 所長はそっぽを向き、そして何かに気付いた。

「来たぞ」


 中庭を迷路のように区切る、切りそろえられた庭木。その向こうから、近衛騎士を従えた女帝が近づいてくるのが見え、二人は首を垂れる。

 やがて質素なコートに覆われた足が、二人の前で止まった。

「おはよう、ルーンリリア。良き朝であるな」

 ルゥリアは震えながら答えた。

「はい。陛下に於かれましても、ご機嫌麗しゅう」

「うむ。其方そなたの体調も回復しつつあるようで何よりだ」

「恐れ入ります」

 女帝は柔和な笑みを浮かべた。

「ここでうたのも何かの縁よの。申したき事あらば聞こうぞ」

「ありがたき幸せにございます」

 ルゥリアは型通りの挨拶をして、頭を更に深く下げた。

「わが父ヴィラージ・バリントスの従士隊長ゲオトリー・バーニクが一子クルネイス、決闘法違反などの容疑で拘留中と聞きました」

「うむ。そのように聞いておる」

 震える声を抑えながら奏上する。

「クルネイスは、温厚にして篤実。無用な暴力を人に働く事も、働かれる人を見る事も好まぬ者にございます。彼がそのような行為に出ましたのは、勅命を無視した私を止めるため。全ては私に原因があります。そして、父と母が亡き今、私がクルネイスの主筋。責任も全て私にあります」


 そうだ。

 私はクルノを置き去りにした。

 彼に電話をして、苦難に合わせ、父まで死なせた。

 私は彼に、ひどい事しかしなかった。

 それなのに、彼は私の為に駆け付けてくれた。


「どうか、クルネイスではなく私を罰して頂けますよう、お願い申し上げます」


 彼が止めなかったら、私はトマーデン公を刺して、その場で倒れてた。

 大人は操者殻の亀裂に入れなかった。私は救命が間に合わず、死んでいただろう。

 私は、彼に命までも救われた。

 それなのに。

 私のせいで、彼は死にそうになり、今度は裁かれそうになっている。

 なぜ私のやる事が全て、彼を傷つけるのだろう。苦しめるのだろう。 

 こんなに、彼の事を大事に思っているのに。


此度こたび、、陛下より賜りました全ての栄誉、ご約束くださいました領地、身分、全て返上し奉ります」


 震えが止まらない。寒さと、畏怖と、そして後悔の悲しみ。

 懸命に閉じた瞼から、熱い涙が溢れて流れ落ちる。


「代りに……罪深きこの身を……奴隷にも」「ルゥリア!」

 ホイデンスの制止も振り切って続ける。

「落として……下さいますよう」

「ルーンリリア・バリンタ。顔を上げよ」

 女帝の静かな声が、頭上から降ったが、ルゥリアは泣きじゃくりながら、俯いた首を振る。

「今、私は醜い顔を、しております。とても、陛下には、お見せ、出来ません」

「よい。そのような、其方の顔が見たいのだ」

 再び促され、

「……はい」

 ルゥリアはすすり上げながら顔を上げた。

 後悔に顔を歪め、涙と洟が流れ落ちる顔を、女帝に向ける。

 だがロズフェリナは、その顔を愛し気に見つめた。

「良き顔よ。

 の日、戦いに向かう其方は、人ではなく鬼であると見えた。

 今、人として、女として帰ってきた事、嬉しく思うぞ、ルーンリリア」

「陛下……」

「其方の申したき事はよく分った。後は、もう一人の当事者から話を聞かねばなるまいな」

 女帝は顔を上げ、背後の近衛騎士に命じた。

「被疑者、クルネイス・バーニクを此処ここに」

 ルゥリアははっと顔を上げた。


 近衛騎士が合図をすると、庭木の彼方、宮殿の一角から数人の人影が出てきた。朝日の光が当たると、二人の騎士に腕を取られた少年だと分かった。

 うなだれた少年は、病院服の上から軍用コートを羽織っているだけではない。服の下、腹部に何かが厳重に巻きつけられ、背後には自走点滴スタンドが付き従っている。

 白髪混じりの波打つ赤毛、やつれた顔。

 それがクルノか、まだルゥリアの目には見分けられない。

 それでもクルノの特徴に、過酷な日々が与えたであろう影響を加味すると、彼であることは確かだった。

 その両手に掛けられている手錠を見て、ルゥリアの胸が締め付けられる。思わず皇帝の脇をかすめ、近衛の制止も無視して少年に駆け寄った。

「クルノ……なのね?」

 彼女に見上げられると、少年が怯えたように目を見開き、そしてうなずく。ルゥリアは自由な左手を体の前で開いたり閉じたりしながら、言葉を繰り出そうと苦闘した。

「ご、ご、ごごめんなさい。今、私は人の顔が分からないの。あの、薬とか、魔法とか、副作用で」

 少年の顔がぱあっと明るくなり、すぐに目が潤んだ。

「そう、だったのですね。……良かった! お嬢様、苦労、されたのですね」

 彼は顔をくしゃくしゃにして笑い、そして泣いた。


 ああ、クルノだ。そうルゥリアは思った。

 あの日、デクスマギンの上で再会した時に気付かず、剣を向けた。その事で、無視されたのではないかと一抹の不安に苛まれていたのだろう。

 そうではなかった、ただ分からなったのだと知らされた、それだけでこんなに嬉しくなる、そんな人間はクルノしかいない。


「ク、クルノ! クルノ! クルノ!」

 ルゥリアは彼の手を握る。枷の鎖がガチャリと音を立て、胸がさらに苦しくなる。

「帝都で置いて行ってしまって、本当にごめんなさい」

「いいえ、僕こそ、あの日、一緒に行くと言えなくて」

「ううん、私が電話をしたせいで、ゲオトリーを……」

「僕こそ、奥方様をお守りできなくて……」

 二人は互いに首を振り、涙を流しながら謝罪を繰り返す。

「控えられよ。陛下の御前である」

 近衛騎士が小声で諫めた。二人は我に返り、女帝の前に並んで跪いた。


「皇帝陛下!」

 クルノは膝を着いたまま、一歩前ににじり出た。

「従士隊が解散させられてから、ぼ……自分は見習いでもないただの平民です。ルーンリリア様とは主従関係もありません。全ては己の責任でした事。その罪も、自分一人が負うものです!」

「クルノ、それは違うわ。……陛下!」

「いえ、そうなのです。陛下!」


 ん!


 女帝が微かに苛立たし気な咳払いをし、二人ははっとして跪いた。

「其方達の思いには心打たれるが、この年寄り、残り時間が限られておる。

 帝国検察庁からは、起訴の判断の前に私の意見を訊きたいと言われてな。

 されど事実関係の認定は彼らの仕事。私が考えるべきは、情状酌量についての意見であろう。

 そこで、其方らに問いたい」

 女帝は背筋を伸ばした。優しくも厳しい笑顔はそのままに、目がすうっと細められる。


「互いをどう思っているか。その感情を一言で申せ。二人同時にだ」


 ルゥリアとクルノは、凍り付いた。それは、明らかに答の一致を求める試練だった。女帝の声が低くなり、厳粛な響きを帯びる。


「申し合わせてはならぬ。


 言い直しも許さぬ。


 さあ、如何いかに答えるか、若人わこうどたちよ」

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