二十.死への輪舞(後)
クルノが亀裂に滑り込んだのと、騎士たちが駆け上って来るのはほぼ同時だった。彼らが伸ばした手は、わずかな差で届かなかった。
中に降り立ったクルノは、騎士たちが外から叫ぶ声を聞いた。亀裂は大人が入るには大きすぎ、彼らは手を差し入れるのが精一杯。クルノは、自分に時間が与えられたことを知った。
「誰……だ」
足元から苦し気な老人の声。
差し込む僅かな光で、内側の様子が見えてきた。
衝撃で歪んだ操者殻ではモニターパネルが落下し、椅子に座った、というより縛り付けられたような騎士服の老人にのしかかっていた。その体をパネルが切り裂いたか、血が流れて底に貯まっている。
「トルムホイグ、従士隊長ゲオトリー・バーニクが一子、クルネイス・バーニク」
「そうか」
マハイルは目を少し見開いた。
「真の英雄になり損ねたな、少年」
その意味が分からず黙っていると、
「まあ、よい」
マハイルは苦笑した。
「で、儂を殺しに来たのだな」
その問いに、クルノは目を閉じて自問する。
殺したいと思う理由なら、山ほどある。父、メラニエ、ルゥリア。クルノは考え、そしてやはり結論は変わらないと確認した。
「いいえ」
「ほう、
「一つには、陛下がそうお望みです」
「裁いた後に殺す事にしたか、銀狐め」
マハイルは唇を歪める。
「二つ目には、動けない貴方を殺したら、きっと自分を一生許せなくなります」
「甘いな」
「そうかも知れません。でも、あと一つ理由があります」
「なんだ」
「僕はこの一年、自分の欲しい強さが得られなくて、後悔してきました。
だから分かる気がします。マハイル様、あなたも、英雄になりたくてなれなかった子供だったって」
マハイルはその言葉に黙り込む事で、その問いを肯定した。
クルノは、貯まっていたマハイルの血を刀身に付けた。立ち上がり、マハイルに一礼すると、裂け目に手を掛ける。
「酔狂な英雄であるな、少年」
マハイルの声が、その背に投げかけられた。
萎えた両腕に力を込め、身を引き上げた。途中からは待ち構えていた騎士達に引きずり出されるような形になったが、再び外に立ったクルノ。
息を吸い、血に染まった剣を掲げた。
民衆の喝采は、天地を揺るがすほどだった。
暴虐の領主、トマーデン公マハイルは死んだ、正義は為された、と。
物を投げていた男も、警備と揉めていた女も、両手を上げて喜び、やがて落ち着きを取り戻していった。
クルノが掲げた剣は、すぐに騎士によって奪い取られた。クルノの両腕が左右から掴まれる。
「お前、まさか殺したのか!」
血相を変えた騎士に、いいえと答えようとした時。
腹が誰かに殴られた。そんな気がした。ついで体が内側から焼かれる感覚。そして遅れて届いた銃声。
(え?)
クルノは自分の腹を見下ろした。服に穴が開き、焼け焦げた臭い。そして赤い染みが広がる。
「何だ!」
騎士達が慌てる中、銃声の方に視線を巡らす。それは閲兵場の奥、百ヤグル以上先。諸侯のゴーレムが控えている場所。決闘の場と隔てる柵が倒され、人影がその上に身を横たえていた。
牢の中で衰えていた視力が、今は一呼吸ごとに冴えていく。普通なら見えない距離のその人に、焦点が合った。
リグル・スワルダだった。
両手に枷を掛けられたまま、小銃をこちらに向けていた。騎士軍儀仗兵用の単発銃、その銃口から、薄く白い煙が上っている。クルノを睨む彼の頬を、光る筋が走った。
その背後には、倒れた数人の兵士が起き上がりつつある。
そうか。きっとリグル様は、僕が血の剣を掲げたので、皆と同じように、トマーデン公を殺したと思ったんだ。そして監視の兵を跳ね飛ばし、没収していた銃で、あの距離から僕を撃った。やっぱり凄い人だったんだ。
リグル様は、僕がさっき願った事を叶えてくれたのかもしれない。これであの、美しい世界へ行けるんだとしたら。
血の染みがさらに広がる。
クルノの全身が震えだし、足から力が抜けた。
全てがゆっくりと動く世界で、リグルの背後から駆け寄った近衛騎士達が、彼に剣を突き立てるのが見えた。
リグルは振り向く事なく、ただこちらを見つめながら口から血を吐き、そして倒れ伏した。クルノもそれを最後に視界に焼き付け、闇の中に沈んだ。
**************************
全てが混沌として、自分の境界も分からなかった。
意識が深い眠りと、おぼろげな覚醒の隙間を浮き沈みして、いつまでも終わらない。
時に何かが――心だろうか。体だろうか――激しく痛み、叫ぼうとした。
あるいは悲しみが心を苛み、早く消えてしまいたいと願った。
いつかこの闇を抜けて、素晴らしい所に行けるはずだった。だけどそのいつかは来なかった。
やがて、混沌は次第に薄れ、自分に肉体の感覚が少しずつ戻ってきた。
同時に、痛みも少しずつ現実の体が感じるものになった。
そして気付く。
自分は、まだ生きている。
体は、もっと生きようとしている。
それが、辛い。
なんで、こんなに生きるのが辛いんだろう。体に力が入らないんだろう。
ああ、そうだ。
ルゥリア様に気付いて貰えなかったからだ。
一年ぶりに会ったルゥリア様。あれほど近くで見つめ合ったのに、僕だと分かってもらえなかったからだ。
情けない。そんな事で、生きる希望を失うなんて。
眠りと眠りの間、誰かに叱られた気がする。
父だろうか。御屋形様だろうか。奥様かも知れない。
きっと、死ぬ事で幸せになりたいなんて願ったからだろう。
僕は、やっぱり駄目だ。
駄目だ。
駄目だ。
それでも、生きているなら、生きられるなら、生きるんだ。
きっともっと生きたかったはずの、人がいるから。
どんなに希望が無くても、意味が無くても。
まず生きて、それから意味を探すんだ。
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ゆっくり目を開く。
そこは白い部屋。窓もなく、鉄の扉が一つだけ。
自分はベッドの上。酸素マスクと、ゴムバンドらしいものでベッドに拘束されている。
それと、横に座っている、姉、ティクレナ。真っ赤な腫れぼったいその目と視線が合う。
「クルノ……」
左手に力が加えられて、初めてずっと手を繋がれていた事に気付いた。
「たった一時間離れてた間に、なんで死にそうになってるのよ」
彼女の顔が歪み、再び涙が溢れる。
クルノは今まで、そんなに弱い姉の顔を見た事が無かった。
「父さんの後にクルノにまで死なれたら、私だって、耐えられないよ」
彼女はクルノの左手に、額を押し付ける。
彼はやっと気付いた。強いと思っていた姉だって、ずっと辛かったのだと。
崩れそうになる自分を、必死で支えていたのだと。
掠れた声で、彼女につぶやいた。
「ごめん」
「うん」
姉はうなずき、顔を上げる。眉根に皺を寄せ、懸命に笑顔を作った。
「お嬢様、病院に搬送されたって。でも、もう持ち直されたそうよ」
姉の言葉に、息が止まり、そして静かに流れ出た。
「頑張ったわね、クルノ」
視界がぼやけて、流れた。
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