十九.死への輪舞(中)
クルノは手すりを飛び越えた。高さ3ヤグルを落下して着地する。
「ぐっ!」
やせ衰えた体が、あらゆる関節で悲鳴を上げた。それでも朝霧で湿った土は、体に叩きつける衝撃を、ギリギリのところでとどめてくれた。
(走れ!)
崩れそうな自分の体に叱咤激励し、ルゥリアの機体、そして倒れたデクスマギンに向かって疾走する。
その先では、ルゥリアの竜骨騎が再び起き上がり、民衆が拍手喝さいを送っていた。それだけではない。公の殺害を求める声が地響きのように沸き起こり、高まっていった。
「「殺せ!」」
「「「殺せ!」」」
「「「「殺せ!」」」」
クルノは戦慄した。民衆が貴族に抱いている感情の激しさを、身を以て知らされた。それは今の所ルゥリアへの応援でもあるが、状況が違えば彼女にも向けられかねない恐ろしさでもあった。
デクスマギンの向こうで、ルゥリアの機体が動きを止めた。これで戦いは終わったのか。杞憂だったのかと思った矢先。
爆発音と共にルゥリアの機体から胸パネルが落下し、小さな人影が後を追うように飛び降りた。
(ルゥリア様!)
クルノは見た。その右手に剣らしきものが確かに握りしめられていたのを。
やはり彼女は、トマーデン公マハイルを殺める気なのだ。
(止めなければ!)
クルノはルゥリアとの間を隔てたデクスマギンの体をよじ登り、操者殻の頂に立った。
向こうから登ってくる、これが本当にルゥリアなのだろうか。
綺麗に整えられていた明るい栗毛は白髪にかわって振り乱されている。
ふっくらしていた、人形のように白い頬は、少し日焼けしてやつれて皴が走る。
左手は己の胸をえぐり取るかのように掴み、目は血走り、歯を食いしばった口からは唾液が流れる。
これが、本当にルゥリア様?
クルノは自問した。そして自らに答える。
そうだ。ルゥリア様だ。
いくら髪の色が変わっても、肌が荒れていても、鬼のような形相になっても、やはりルゥリア様だ。
その変貌は、その形相は、彼女がどんな苦しい日々を送ってきたかを示しているのだ。自分が、トルムホイグで無為の日々を過ごしていた時も!
クルノは胸を衝く思いに動かされ、ルゥリアの前に両手を広げて叫んだ。
「殺しちゃ駄目です! ルゥリア様!」
だが彼女がその声を聞いた様子はなかった。クルノに向けた目も、相手が誰であるか認識した気配もない。
「わああああ!」
彼女はただ叫びながら、剣で切りかかってきた。
クルノは間合いを詰め、ルゥリアの右手首を掴んで止めた。殴りかかってくる左手も受け止める。
剣を落とさせようと力を入れるが、ルゥリアは獣のような怒りの叫びをあげて抵抗する。蹴りつけてくるその足を払い、体を振り回す。まるで舞踏のように。
そしてクルノは、白昼夢を見た。
そこは、トルムホイグの領主館、その広間。
時は夜。暖炉の火が部屋を暖かく照らす。
その真中で、クルノはルゥリアと踊っている。
クルノのあごの下あたり、ルゥリアの頭は俯いていて、栗毛色の髪しか見えない。それでもつながれた手は熱く火照り、小刻みに震えている。
クルノは慣れないダンスのステップを、集中して懸命に踏む。
間違えませんように。間違えませんように。
ソファには、目尻を下げるヴィラージ様、穏やかに微笑むメラニエ様。
サニエスは妬ましそうにクルノを睨み、トレンタはクルノのミスを待ち構えるように睨む。
少し離れた窓際には、盃を手に見守ってくれる父と姉、そして母。
ああ!
もしこんな世界がどこかにあるなら、死ぬ事でその世界に行けるなら、誰か、今すぐ僕を殺してくれ。
だがそんな都合のいい死の瞬間は訪れず、クルノは涙と共に、指先に最後の力を込めた。
ボキ。
不快な音と共に手首に骨の折れる感触が伝わり、ルゥリアの手から剣が落ちた。
視界の端に、駆け寄る近衛騎士達、兵士たち。そして数人の民間人らしき一団。その先頭には、あの日帝都で見た銀髪の痩せた男性。そうだ、あの人が、ルゥリア様が頼った魔学者だ。
彼女の事は、あの人たちに任せよう。
クルノは腕を伸ばし、ルゥリアを突き放した。魔学者とその一団はルゥリアを皆で受け止めてくれた。
「あああああ!」
叫ぶルゥリアが抑え込まれ、首筋に注射が打たれる。それを滲む視界で見届け、クルノは彼女が落とした剣を拾った。
場内は群衆の『殺せ!』という叫びで揺れていた。物が投げ込まれ、警備兵と民衆の揉み合いも起きている。このままでは大暴動になる。
クルノは息を吸い、デクスマギンの操者殻に出来た亀裂から、体を滑り込ませる。
世界が闇に変わる瞬間、クルノはルゥリアに言葉を送った。
また、お別れです。きっと最後のお別れです。ルゥリア様。
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