十八.死への輪舞(前)
一家が運ばれた国民軍病院。そこでの健康診断や体の洗浄は思いの外掛かり、クルノが国家憲兵隊の車で移動を始められたのは、式典の始まる時間だった。
窓の外から見る街並みは、一年と少し前に来た時とも桁違いに多い人々でごった返していた。彼らの様子はお祭りを楽しむ陽気な雰囲気で満ちていた。
だがその移動の途中、サイレンが鳴り響いた。次いで街頭のスピーカーからアナウンスが流れ、非常事態を宣言する。
多くの車がその場で通行を止められ、人々が不安な面持ちで会話をかわし、警備の国民警察や治安騎士団に問いただしているのが窓から見える。
すでにトルムホイグでは、ノヴォルジとトマーデン公領の戦いが始まっていた。それがここでも本格的に始まったのだと、クルノは思った。
「心配はいらない」
同行する憲兵隊の少尉が声を掛ける。
「事態は全て我々の管轄下にある」
「はい」
そうであってほしいと、クルノは願った。
彼等の車は、制止される事なく閲兵場に到着した。彼は少尉に付き添われ、関係者用の通用口から入る。
少尉は無線でやり取りをした後、クルノに明かした。
「ルーンリリア嬢がこれから、ゴーレム戦でトマーデン公を討たれるそうだ」
「ええっ!」
クルノは愕然とした。こうなった以上、公は逮捕されるものだと思っていた。ルゥリアが危険を冒す事はもう無い筈だとも。
「大丈夫。介添え、助太刀禁止だ。公はゴーレムを指一本動かせない。これは只の処刑だ。ルーンリリア嬢に危険はない」
「そう、ですか」
クルノは安堵する一方、複雑な気持ちにもなった。無抵抗の相手を殺す、などという事がルゥリアに出来るだろうか。出来たとして、彼女は傷つかずにいられるだろうか。
警備兵しかいない階段を上がっていくと、スピーカーを通した老人の声が聞こえてきた。そして群衆の罵声も。
「トマーデン公、いや逆賊マハイルの声だ」
少尉が吐き捨てる。
クルノは気が
そこからでも閲兵場は見渡せる。彼の目の前には、対峙する二機のゴーレムがあった。
一騎は見慣れた、リグル・スワルダのデクスマギン。マハイルはこれに乗っている。今流れている声は、この中からの通信だろう。
もう一騎は、今まで見た事も無かった三色装甲に銀フレームの機体。これにルゥリアが乗っているのか。
マハイルの声が途切れると、少女の声に変わった。
『クルネイスは、優しい人です』
クルノの息が止まった。
それは、一年以上ぶりに訊く、ルゥリアの声。それがまさか、自分の事を言う声だなんて。
そして続けられる言葉。クルノがどんな人間か、人を守りたいと願い、困っている人を助け、しかし痛みには敏感な繊細な人間であるかを語っていた。
観衆は囃し、手を叩き、口笛を吹く。クルノは思わず赤面し、俯いてしまった。少尉は横目でこちらを見ている気配だが、何も言わない。
『彼は、そんな苦しみを与えられていい人では、絶対にありませんでした。貴方はそんな彼に、一体何をしたんですか!』
『儂も、その少年に盃を捧げたよ』
それに答えるマハイルの声は冷たかった。
『彼が秘密を守り通し、
いや、冷たさだけじゃない。なにか、違う感情が潜んでいる。
『あの時、彼は人知れず消える英雄であった。それ故にこそ、儂だけであっても、彼の栄誉を讃えたのだ。それが今、誰もが知る世界の英雄となりおった。聞けば聞くほど、つまらぬ、どこにでもいる子供にしか思えぬがな!』
憎悪だろうか。軽蔑だろうか。いや、そのどちらでもないだろう。
『儂はその、なんと言うたか名も知らぬ少年を、心から
妬み!
クルノの心に衝撃が走った。
あり得ない事だ。マハイルは広大な領地の支配者で、どんな贅沢もでき、多くの臣下を動かせた。その力を使って、トルムホイグの人々を、一人ずつ踏みにじってきた。
それでも。
そう、何かが分かる。理解できるのだ。
なりたい自分と、今の自分の間に大きな裂け目があって、どうしても目指す場所へ行く事が出来ない、そういう時、どれほど辛く、悔しいものか。
自分も、ルゥリアと一緒に行けるような男になれなかった事を、ずっと後悔していた。トマーデン公マハイルのような権力者であっても、そんな悔しさがある。言葉に滲むその悔しさが分かるのだ。
目頭が熱くなり、指でそっと拭う。
「君は、いささか優しすぎるのではないか」
横の少尉が低い声で言った。
『そ、そ、そんな事、クルノが受けた苦しみの千分の一でも耐えてから言えっ!』
ルゥリアの怒声と同時に、ブザーが鳴った。
『お前はっ! 自我の膨れ上がったっ! 怪物っ!』
そして始まった戦いは、少尉の話に相違して激戦となった。
デクスマギンは達人のように剣を振るい、空に退避したルゥリアが体勢を立て直して反撃。だがその竜骨騎が突然倒れた時、クルノも戦慄し、飛び出しそうになって少尉に引き留められた。
デキスマギンが皇帝を狙うもロケットランスに阻まれ、ルゥリアの竜骨騎が最後には竜の炎を吐き、相手を圧倒してついに倒した。
その間、クルノは叫び続けた。
ルゥリアに届かぬとは分かっていても。
他に出来る事は無かった。
こんなに近くに居ても、やはり自分には、彼女の為に出来る事が何一つないのだと思い知らされた。
だが。
「何故止まらぬ!」
高齢の女性の苛立った声が、貴賓席の方、壁の向こうから聞こえた。それはテレビで聞いた事のある女帝の声だと、少し遅れて気付いた。
閲兵場に目を戻すと、ルゥリアの竜骨騎が近衛騎士の竜骨騎を押し戻しながら、デクスマギンに向けて歩みを進めている。
「殺すなというのが通じておらぬのか。魔学者か? 本人が聞かぬのか!」
クルノの全身を、戦慄が貫いた。
そうだ。ルゥリアには聞こえていないのだ。聞こえていても、きっと止まらないだろう。公を殺すまでは。
昔トレンタが言った意味が分かった。ルゥリアは噴火しようとしている、いや、今まさに大噴火した火山だ。それは自分も周りも焼き尽くさなければ止まらないだろう。
クルノはルゥリアに向かって走った。やはり皇帝の声に気を取られていた少尉を引き離して。
「止まれ、クルネイス君!」
少尉の声を聞き流す。
「待つんだ!」
その声が背後に近づく。
だがここが観客席でないために、正面には金網は張られていなかった。
クルノは手すりを飛び越えた。高さ3ヤグルの壁の下、朝露の湿りを残した地面に向けて。
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