十七.父
戦闘車の救助が終わる頃には、曙が空の半ばまで広がっていた。
合同部隊は大型トレーラーからティルトローター機を引き出し、折り畳まれた主翼やローターを伸ばして整備を始めた。トマーデン公領を抜けて帝都に三人を送るために用意されていたのだという。
「これで、帝都へ」
クルノは機体を見ながらつぶやく。
先ほど、ルゥリアが帝都で陛下に仇討ちを報告し、勲章を授与されると聞いたばかりだ。
(お嬢様)
その言葉を口に出しかけて、慌てて飲み込んだ。
「クルノちゃん、クルノちゃん」
軍用マントをまとったルチアが、手を振りながらクルノに声を掛けてきた。
「私ら、一緒できるのはここまでなのよ」
「そうなんですか」
「大っぴらに行動して良い立場じゃないからね。明るくなったら消えないと」
「分かりました。本当にありがとうございました」
差し出された手を握ると、ルチアは上体をかがめ、クルノの耳元にささやいた。
「私こそ、久しぶりに年相応の姿になれたの、ちょっと嬉しかったわ」
その言葉の意味をクルノは少し考え、目を見開いた。
「え? それじゃあ」「しっ!」
ルチアは開いた手の人差し指でクルノの口を押えた。
「これは、国家機密レベルの秘密だからね」
そういって、片目をつぶって見せた。
ほどなく、ルチアと魔学者たちのトラックは光学迷彩で姿を隠し、静謐状態で駐兵場から高速道路へと出ていった。
名残を惜しみながら家族の元に戻ろうと思った時、
「うっ」
微かなうめき声が耳に届き、クルノを戦慄させた。
あの忌まわしい留置場で監禁されていた時に何度も聞いた父の苦し気な声。
振り向くと、ティルトローター機の脇、小コンテナに腰を掛けた父が顔をしかめ、額に汗を浮かべていた。姉が横から背中をさすっている。
「父さ」「黙ってろ」
近付いて声を掛けるが、鋭い視線で遮られた。その視線が向いた先、検察隊長が歩いてくる所だった。
「これから、簡単に聴取をさせてもらう」
「はっ」
父が肯き、聞き取りが始まった。横では隊員が動画撮影をしている。
「まず、君の名前と年齢を」
「元、騎士軍トルムホイグ従士隊隊長、ゲオトリー・バーニク退役曹長、四十八歳」
「君は誰により逮捕監禁されていたか」
「騎士リグル・スワルダの配下にある憲兵分隊です」
「その際、あるいはその後、正式な逮捕状は提示されたか」
「いいえ」
「監禁中、拷問はされたか」
「はい」
「有難う」
聞き取りは、父の体調を察したらしく、手短に終わった。クルノとティクレナにも同様の質問が行われる。
隊長は無線で連絡をした後、偵察隊長と話をしてから戻ってきた。
「君達。これから我々武装検察隊は国家憲兵隊と共に、トルムホイグに強制捜査に入る」
ゲオトリーは頭を下げ、クルノ達もそれに従った。
両隊長が離れると、タルーディが入れ替わりに言葉を掛ける。
「俺たちも同行し、道案内をする」
「ああ」
ゲオトリーはうなずく。彼の様子とクルノ達を見比べたタルーディが言い淀むのに対し、
「これから、お嬢様を頼む」
とだけ言った。
クルノは不吉なものを感じた。それは別れの言葉だ。
タルーディの顎の筋肉が盛り上がり、眉根に深い
「トルムホイグ従士隊、整列!」
近くで準備をしていた隊員と子供達が、弾かれるように集まって列を組み、背を伸ばした。
タルーディの声から何かを察した隊員達は厳粛な面持ちに。子供達は良く分かっておらず、高揚感に包まれて。
「ゲオトリー隊長に、敬礼!」
皆が胸に手を当て、父も答礼した。
「総員、出動!」
大人たちは即座に散らばり、両部隊の装甲車に分乗する。タルーディはもう、振り返らなかった。
サニエスは、明るい表情でクルノに声を掛ける。
「俺たちの故郷、取り戻してくるぜ。体を治して待ってろ」
「サニエス先輩が、じゃないですけどね。それじゃ、クルノ先輩」
トレンタが突っ込み、二人は走っていく。その背中に、クルノは声を掛けた。
「気を付けて」
朝日が差し始めた駐兵場から、合同部隊が次々と走り出ていった。残るのはティルトローター機のみ。
駐兵場が静けさを取り戻した時、ゲオトリーが崩れ落ちた。
「「父さん!」」
二人の叫びに、近くにいた看護兵と軍医が駆け寄ってきた。
「ティクレナ……クルノ」
応急措置を受けながら、ゲオトリーは子供たちに語り掛ける。
苦しい息に、言葉が途切れる。
「俺は、もうすぐ、死ぬ」
「父さん!」
「留置所で、何度も止まり、そうになったのを、こいつは、堪えて、働いてくれた。だが、もう限界だ」
「やだよ!」
クルノは叫んだ。
「ずっと耐えて、やっと自由になれたんだよ! ルゥリア様も戻ってきて、トルムホイグは元通りになるんだよ! これからじゃないか!」
涙があふれた。
牢の中でずっと、三人の暮らしを取り戻す日の事を夢見ていた。
父の心臓が悪い事は、ずっと気になっていた。それでも、まだ先だ、何とかなると思っていた。いや、願っていた。
そしてやっと解放される日が来た。これからはもう、悪い事は起きない、そう思っていたのに。
「その、『これから』は、お前たちが、作るんだ。俺は、その入り口に、立ち会えただけで、十分すぎる」
ゲオトリーは、寂し気に目を細めた。
「俺は、親としては、お前達に、何もして、やれなかった。母さんに、謝らないと、な」
父の手のぬくもりが、みるみる失われていく、その事実がクルノに教える。父は本当にもうすぐ死ぬのだと。なら、どんな言葉を掛ければいい。
「そんな事ないよ! 僕は父さんを誇りに思ってる! 感謝してる」
ティクレナがクルノの手をぎゅっと握る。
「そうよ。父さんは最高の父さん。他の誰とだって取り替えたりしない!」
「父さん」
クルノは、声を絞り出した。
「母さんには、謝るんじゃなくて自慢してよ。俺は、ちゃんと二人を育てたぞって!」
「……ありがとう。お前達も、胸を張って、行け」
ゲオトリーは微かに微笑み、目を閉じた。
その後、軍医と看護兵が懸命に救護措置をするのを、二人は見守っていた。
だがクルノは思った。
父さんは頑固な人間だ。
その父さんが、もう死ぬ、と言ったのだ。
どんな名医だって、ローゼヌイの丘への道から呼び戻す事は出来ないだろう。
そして、そうなった。
ティルトローター機は、公領軍の拠点とレーダーを避けて低空で山や谷を掠めながら帝都へ向かっている。
クルノとティクレナは、ベンチシートに安置された父の亡骸を傍らに、怪我の治療や隊長の診断を受けていた。
それが一段落すると、クルノは父の顔を見ながら、その父の事を考える。
母が死んだ後も、任務最優先の姿勢を変えなかった。寂しくもあったが、そんな父を頼もしくも思った。
故郷で仕えていた主を失った父を、ヴィラージ様が拾って下さった。その気持ちは、自分達子供にも受け継がれている。
なら自分は、ルゥリア様の為に何ができるんだろう。
トマーデン公領を抜け帝国直轄領に入ると、機は高度を上げ、安定した飛行に入った。揺れが減って気が緩んだのか、クルノはいつしか眠りに落ちていた。
「君」
軍医の声で目が覚めた。姉も隣で窓にもたれかかって眠っている。
「もう帝都だ」
促され、クルノは姉を起こさないように身をのりだして、窓から外を見た。
「うわあ」
思わず声が漏れ、自分は子供だと軽く嫌悪した。それでも、目の前に広がる帝都の壮大さには、目を奪われずにはいられなかった。
彼方にはレンガ造りの旧城市。手前には高層ビルが立ち並ぶ新市街地。そして目の下にはその外、駐兵公園などに居並ぶゴーレム。
その中にルゥリア様の機体はあるのだろうか。ルゥリア様を見る事は出来ないだろうか。
目を凝らしてしまうクルノの耳元で、ティクレナがささやいた。
「父さんには私がついてるわ」
「え?」
思わず振り向くと、彼女は強い眼差しをこちらに向けていた。
「あなたは行きなさい。お嬢様の所に」
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