十六.翼竜を撃つ

「あれは私でも殴り倒せないなー」

 肩をすくめるルチアに、魔学者の老人が歯をむき出して笑った。

「ハッチをこじ開けて手榴弾でも放り込め」

「腕がもげるって。とりあえず逃げの一手ね」

 顔をしかめたルチアは背を伸ばし、再び左のブースに入った。

「そうじゃな。神経接続」

 魔学者が指示を出し、スタッフが操作すると、すぐに天井のスピーカーからルチアの声が流れてきた。

『接続完了! 制御取るよ!』

『ハ、ハンドルが効かない!』

 運転席のルデリオがパニックになり、魔学者は疎ましげに怒鳴り返した。

「ハンドルとペダルから手足を離しておけ。骨折しても知らんぞ」

『えっ!』

 それきりルデリオは黙り込んだ。

『駐兵場まで近道行くわね』

 トラックは道を逸れ、森に入った。たちまち揺れが激しくなる。

「お前達、三人をしっかり押さえておけ。振り落とされるぞ」

 こちらを向いた魔学者が言う。

 クルノに覆いかぶさったサニエス。トレンタは母エンベッタと共にティクレナを支える。ゲオトリーは既にサナッドが押さえている。

『ま、戦車砲でなく、初速が遅い低圧砲で少しチャンスが増えたかしらね。とはいっても危険なのには変わりないわね』

 声が途切れ、重苦しい雰囲気になりかけた時、

『はい! いま皆さんは戦死しました』

 軽い声が降ってきた。

『そう思っておけば、弾が当たっても気が楽になるでしょ?』

「なる訳ないだろ」

 サナッドが小声でぼやき、皆が笑った。

「追ってきた。あと十秒であっちの射程に入るぞ」

「畜生、近くに民家もあるってのに撃つんですかね?」

「撃つだろうな」

 タルーディ副隊長とサナッドの会話に、クルノの体が震えた。

「大丈夫か」

 サニエスの心配そうな声に、慌てて否定する。

「ち、違うんだ。こ、これは、自分が、怖いんじゃ……」

 舌が縮こまって、思うように話せない。


 自分が死ぬのが怖いんじゃない。

 自分は、そして自分達一家は死を覚悟していた。

助けに来てくれた皆が、自分達一家のせいで死ぬような事があったらと思うと、怖くてたまらないのだ。


 いや。

 本当にそうだろうか。

 本当は、せっかく助かったのに、やっぱり殺されるのが怖くなっただけじゃないのか。皆をだしにして、それを誤魔化しているだけじゃないのか。


 情けなくなった時、サニエスが静かに言った。

「心配すんな。分かってるって。お前が臆病者な訳ないだろ」

 クルノは、奥歯を噛み締めて涙をこらえた。

『来るよ!』

 ルチアの声と共に車体が右に振られ、皆が席から投げ出されそうになりながら耐える。クルノの体もサニエスが必死に押え込む。間近で爆発が車体を揺さぶり、荷室の壁を破片が乱暴に叩いた。

「気分はどうだ」

 訊くサニエスも震えていた。クルノは少し考えて、軽口を返す事にする。

「お前、ちょっと臭いな」

 サニエスは顔を赤くして怒った。

「うるせえ! 九日も潜伏してたんだぞ! ていうかお前の方が十倍臭え!」

「はは」

「へっ」

 クルノが笑い、サニエスも笑う。


 それを見ているトレンタの耳元に、ティクレナがささやいた。

「男の子だよね」

「え?」

「互いに臭いって言い合って、もっと仲良くなるんだから」

 確かに、とトレンタも思った。あんな事を自分に言われたら、即座に腹にパンチを打ち込んでいる所だ。

「ティクレナさん、強いですね」

「……まあ、男の子二人の母親役をやってたら、どうしても、ね」

 小さく笑う。

「二人?」

 ちょっと考えたトレンタは、ゲオトリーに目をやって、

「ああ」

 と納得した。しかし、あの厳格なゲオトリー隊長を『男の子』と言えるのもティクレナくらいだろう。

 再びトラックが急ハンドルを切り、トレンタは母エンベッタと共にティクレナを必死に支えた。爆発音。しかし今度も無事だった。

「大丈夫、ですか?」

「ええ」

 ティクレナの青ざめた顔に、少し生気が差した。

「不思議なものね。死ぬ覚悟をしてたのに、今は十秒余計に生きられるだけでも嬉しい。それと……」

「それと?」

 楽しそうに笑う。

「私達も、結構臭いよね」

 さすがに彼女には、パンチは打ち込めなかった。



「あの大きな図体に、なぜ当てられん!」

 戦闘車の車内では、ラマルギオが車長に罵声を浴びせていた。

「それは……」

 車長は困惑している。

 見えない訳ではない。照準器のモニタには、相手の姿がかなりはっきりと映っている。光学迷彩も、赤外線、電磁波複合センサーの前には無力だ。

 しかし、森の木々の間を巨体に似合わぬ敏捷さで走り抜ける相手に当てるのはかなり難しい。おまけに、システムの補助を受けて照準が合った瞬間に発射しても、相手は弾着をかわしているのだ。

 パンクもしない所を見ると、軍用装甲車レベルの無パンクタイヤを用いているらしい。

「狙いを読まれているようです。このままでは、高速に乗られてしまいます」

「まあ、それならそれで良かろう」

 ラマルギオはうなった。

「高速道路では左右にハンドルを切る余地は少なくなる。そう長くは逃げられまい。そうであろう?」

 威圧を含ませた声に、車長は唾をのんだ。

「無論です」



 追われるトラックの中。後部カメラの画像では、木々の間から覗く空が白み始めているのが見えた。

 五度目の砲撃をかわした後、相手はしばらく撃ってこない。

「高速に乗ったら確実に止めを刺す気だろう」

 タルーディが呟く。

 前部カメラの画像では、森を抜け、道路に戻っていた。高速道路の駐兵場が近付いてきている。ゲートは開かれていて、トラックはタイヤを鳴らしながら斜めに飛び込んだ。

(あれ?)

 モニタに映る、照明の消えた空虚な駐兵場。クルノはその中央辺りに仄かな蛍光の矢印を見つけた。

「あの上を抜けろよ」

『分かってますよ!』

 そんな会話を聞きながら矢印を見つめていると、その左右の空間が何か揺らいで見えた。


 何かが、いる。


 矢印が画面の下に消えた瞬間。

 複数の炸裂音が荷台の外壁を乱打した。

「う!」

 思わず体が反応し、声が漏れる。

 後部カメラの画面では、左右から火線が次々と飛び出し、追ってきた戦闘車へ突き刺さった。

 弾かれる弾丸、炸裂する弾丸。車輪が一個外れる。二個、三個。

 戦闘車は火と煙を吹き、左右に大きく揺れ、転倒した。

 それを見る荷室内には、誰からともない静かな呻きが流れた。

 トラックは制動を掛け停止した。左右を映すモニタに、何かが姿を現す。

 それは、十台以上の装甲車、そして軍用パワードスーツの部隊。それらが駐兵場の大半を埋めていた。今までは光学迷彩で姿を消していたのだろう。

 クルノは言葉にならない声を漏らした。

「あ、ああ……」

「何の部隊か分かるか?」

 体を離したサニエスが悪戯っぽく尋ねる。

 クルノは装甲車が掲げる旗と、パワードスーツの盾に描かれた紋章を見た。

「国家憲兵隊と武装検察隊?」

「正解」

 サニエスが歯を見せて笑った。

 周りを見回すと、従士隊の皆、緊張から解き放たれて表情を緩めていた。

 目の合った父が、小さくうなずく。

 穴の底で銃声を聞いてから初めて、クルノは全身から力が抜けるのを感じた。瞼の裏が熱くなり、視界がぼやけた。


 今度こそ、本当に助かったのだ。



「何事だ、一体!」

 転倒した戦闘車内でラマルギオが怒鳴った。転倒時にぶつけ、頭の左側から出血しているのを押さえる。

 炭酸ガス自動消火装置の噴射音がやみ、それぞれの声が聞こえるようになった。

「状況報告!」

 車長が下令し、部下が次々と報告する。

 砲塔は重大な破損なし。出火無し。ただ転倒により装填・発砲不能。

 車体は発動機室の補器から出火。ただし消火成功。発動機停止。予備バッテリは無事。

 引火防止のため、電源を切る。

 搭乗員、憲兵隊、死者・人事不省は無し。ただし全員負傷。運転手は重傷で動けず。


『軍籍不明の装甲車搭乗員に告ぐ』

 外からスピーカーを通した声が響いてきた。

『こちらは帝国国家憲兵隊第三旅団偵察中隊である。

 貴官は、駐兵中の当部隊にレーザー照準を行ったため、自衛の為に反撃したものである!』

(ぬけぬけと嘘を!)

 ラマルギオは歯噛みした。光学迷彩で姿を消し、不意打ちをしておいて言う台詞か!

『貴官及びその部下には、直ちに投降するよう勧告する。

 全員、武器を捨て、手を上げて出て来るように。

 一分以内に投降がない場合は、攻撃する!』

 放送が止まり、車内は沈黙に包まれた。

(そうか)

 ラマルギオは、敵が、すなわちノヴォルジ帝国が先手を打っている事を悟った。

 トマーデン公の決起は、始まる前に敗北しているのだ。

 こうなったからには、デクスラード人の戦いを見せるのみ。動ける者だけでも最後まで銃を取って戦う決意を彼は固めた。

 その時。

『君……』

 マイクの声が困惑し、彼の注意を引いた。

『ラマルギオ大尉!』

 疲れ、かすれた少年の声が響き、神経を逆撫でした。

 クルネイス・バーニク!

『もう抵抗は無意味です。投降してください』

 耳だけ傾けながら、ラマルギオは拳銃を確認する。

『僕は……』

 声が途切れた。

『貴方を好きにはなれません。怖いし、恨みもあります』

(当然だな)

 ラマルギオは思った。

『それでも、信じるものの為にぶれない貴方に敬意は有ります。

 僕は、貴方が死ぬのを見るのも嫌です。

 どうか、投降してください。お願いします!』


 拳銃をいじる手が止まる。気が付けば苦笑いを浮かべていた。

「馬鹿な小僧めが」

 息をゆっくり吸い、そして吐く。

 彼を見つめる車長に、顔を向けた。

「俺には、厳密には貴官に命令する権限はない。ただ示唆するだけだ。だが良く聞け」



「すみません、急に」

 クルノは、スピーカーを差し出していた偵察隊長に頭を下げた。今はトレンタとサニエスに肩を借りている。

 生身で立つ隊長とクルノ達は、パワードスーツの兵が盾になって守っている。

「構わんよ」

 隊長は首を振り、スピーカーを下げた。

「君達を救いたかったのであって、彼らを殺したい訳ではない」

「ありがとうございます」

「だが、どうかな」

 隊長が言いかけた時、

「今から出ていく。撃つな!」

 戦闘車の中から大音声がして、側面ハッチからラマルギオ大尉が這い出て地上に降りる。その右手の親指に。拳銃を引っかけてある。

 偵察隊長がインカムにささやくと、パワードスーツ部隊は機関砲から対人小銃に持ち替えた。

「本職は騎士軍トマーデン公領軍憲兵隊、トルムホイグ分隊長イーグリ・ラマルギオ大尉である!」

 ラマルギオは話しながら戦闘車から離れる。

「車内にはクストブ少尉以下五人。全員負傷している。運転士は重傷で動けぬ。

 クストブ少尉には、この場の筆頭士官となった時に投降するよう要請してある。

 その際は、速やかな救助を願う」

 その言葉を聞いて、クルノは悟った。彼は死ぬ気だ。

 偵察隊長はパワードスーツの隙間を縫って前に出、スピーカーを使わずに答えた。

「承知した!」

「大尉!」

 クルノが思わず叫ぶと、ラマルギオは口の端を上げた。

「人は如何いかに死ぬかで決まると覚えておけ、クルネイス!」

 言い終えると同時に親指の拳銃を回転させて手の平に納め、両手で構えて発砲した。

 即座に偵察隊が反撃し、何発もが命中。ラマルギオは赤い飛沫しぶきを振りまきながら半回転し、倒れて動かなくなった。コンクリートに血が広がっていく。

 クルノは歯を食いしばり、涙を流す。

 トレンタが口を押えながらつぶやいた。

「先輩、馬鹿じゃないですか……優しすぎますよ」

「お前もだろ」

 サニエスが反対側から腕を伸ばし、トレンタの頭を優しく叩く。彼女は涙を浮かべながら手を頭にやり。

 サニエスの手を強くつねった。

いってっ!」


 偵察隊員が遺体の収容と装甲車内の乗員救出にあたる中、

「見事でした」

 検察隊の隊長が装甲車から出てきて、偵察隊長に声を掛けた。

「モニタで見ていて心配でしたが、彼の射撃が外れて良かった」

 偵察隊の隊長は、自らの装甲車を振り返る。

「そうでも、ないですよ」

 装甲車の上に掲げられた国家憲兵隊の旗、その図案中央に位置するノヴォルジ帝国の象徴、翼竜ワイバーンの胸に、焼け焦げた穴が開いていた。

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