十五.脱出

 それは、表彰式典の前夜。トルムホイグの森の中。

 撃鉄の落ちる音は、クルノが思っていたより遠くから響いた。直後に破裂音がして、何かが空気を切り裂いて頭上を掠めた。それも一度ではなく続けざまに。

 父に無言で頭を穴の底に押さえつけられて初めて気付いた。これはどこからかの銃撃だ。聞き慣れたノヴォルジ軍用のサブマシンガン、それも複数。

(一体、何が!)

 クルノは混乱した。

 頭上からの憲兵の拳銃は呻き声と共にすぐに途絶え、人が倒れる音が相次ぐ。

 やがて銃声は止み、幾人もの足音が駆け寄ってきた。

 クルノの心臓は激しく動悸し、額に汗が浮かぶのを感じた。今までまさに殺されようとしていたのに、もっと悪い事態など有るのだろうかと、自分でも不思議に思う。


 顔を上げると、十人前後の戦闘服姿があった。手にはサブマシンガン。暗視ゴーグルに防塵マスクで顔は見えない。殆どは穴を左右に迂回し、憲兵たちを武装解除に掛かる。

 真ん中の一人だけが、三人の前に立った。

「見事だな、タルーディ」

 猿轡を外した父が、かすれた声ながら穏やかに話しかけた。

(え?)

 クルノが思わず両者を見比べると、相手はゴーグルとマスクを外した。現れた顔は、タルーディ副隊長。ゲオトリーの前に膝を着き、手を差し出す。

「遅くなったな」

「いや、最高のタイミングだった」

 父は口角を上げ、その手を握った。

 辺りを見回すと、他の戦闘服も次々と顔を見せる。皆、トルムホイグ従士隊員だった。懐かしい顔が、クルノ達に笑みを向けた。

 助かった、という感情がこみ上げ、安堵の涙をこらえる。震える手で自分の猿轡を引き下ろす。

「まだ安心するな。ここは敵地だぞ」

 ゲオトリーに小声で叱られ、緩みそうになった心を引き締める。そうだ。まだ安全とは程遠い所にいるのだ。


 タルーディが背中の方に向けて小さく手を振ると、

「クルノ!」

 向こうから、また数人の人影が駆けてきた。拳銃だけを装備している小柄な姿。従士隊の子供達だ。

 タルーディの息子サニエスが駆け寄るが、後ろから横に突き飛ばされた。

「先輩! クルノ先輩! 大丈夫ですか?!」

 涙を浮かべ、必死の形相で飛びついてきたのは、トレンタだった。クルノの肩を掴み、揺さぶる。その勢いで、首がグキっと鳴った。

「う、う、あ」

「やめろ! クルノの首を折る気か!」

 立ち直ったサニエスがトレンタを後ろから羽交い絞めにした。 


 従士達は、銃弾を受けて負傷、戦意喪失した憲兵を武装解除している。その時、何かが斜面を滑り落ちていく音がした。

「逃げやがった! 隊長が!」

「あの野郎!」

 誰かの叫びに、トレンタが逆上した。

「あいつは私がこの手で撃ち殺痛たたっ!」

 これも戦闘服姿の母エンベッタが、トレンタの頬をつねり上げた。

「最優先事項は?!」

 美人の怒り顔が目前に迫り、トレンタは怯えた顔で答えた。

「ひゅ、救出ひゅうひゅふ脱出はっひゅふ……」

「それを実行!」

「はい……」

 母の手が離れ、トレンタは涙目で頬をさすった。

「奴らの車はパンクさせた。時間はまだある。だが急げ」

 タルーディも慌てず指示を出す。サニエスが穴に入ってクルノに肩を貸した。

 トレンタ親子が姉ティクレナを、そしてタルーディ副隊長とサナッドがゲオトリーを両側から抱き上げる。

 穴を出てしばらく走ると、従士達は草で隠してあった軍用電気バイクと電動アシスト自転車を起こす。

 クルノ達はサナッドのバイクに乗せられ、ベルトでサナッドに結びつけられた。結んだサニエスが背中を叩く。

「振り落とされるなよ!」

「分かってる」

「よし、行くぞ」

 タルーディの号令で、皆がバイクと自転車で走り出した。



 トルムホイグのトマーデン公領軍残留部隊は、駐屯地に駆け込んできたラマルギオ分隊長によって眠りから叩き起こされた。

 部隊の指揮官は、息を切らして飛び込んできたラマルギオの姿に肝を抜かれた。右腕から流血し、軍服は泥だらけでボタンや肩章もあちこち取れている。

 そのラマルギオが、鬼気迫る表情で指揮官に詰め寄った。

「緊急出動準備! それと通信機を貸せ!」



 クルノ一家と従士達は、森の中の小高い山を迂回。トルムスの街とは反対側の麓に着いた。

(確かここには、洞窟が……)

 記憶を探るが、夜の闇に包まれた森の中、その入り口を見つけるのは定かではない。

 タルーディ副隊長が懐中電灯を点滅させると、山麓の一か所から低いモーター音が聞こえてきた。

 山の斜面の一角が内側から押し破られ、中の洞窟から大型トラックが出てきた。

 偽装ネットを破り、踏み潰しながら出てきたその車は、トルムホイグで使っていたものではない。それどころか、ノヴォルジの軍用トラックですらない。

 だがその運転席に室内灯が灯り、笑顔で手を振る若者の姿が見えた。

(ルデリオさん!)

 グーフェルギの侵攻で大怪我をした軽装甲車の運転担当は、そんな事など無かったかのように活気に満ちていた。

 トラックが皆の前を横切ると、その姿がぼやけた。夜の闇に紛れ、殆ど透明になる。光学迷彩機能を持っているのだ。

 荷室のドアが開き、中から光が漏れる。

「早く乗るんだ」

 タルーディの声で、皆がバイクや自転車を乗り捨てて荷室に上がった。クルノ達も引き上げられ、押し上げられる。

「うわあ」

 クルノは目を見開き、驚きの声を(掠れてはいたが)上げた。

 荷室の後部にはベンチシート。前部には、様々な機械が設置されている。最前端に置かれた二つのブースが特に目立つ。

 椅子に座った見知らぬ大人達が三人。軍服ではなく、やや緩いスーツ姿。一人は禿げあがった老人だが、鋭い眼光でこちらを見据えてきた。それと、タルーディの母ロベリアも。

「ロベリアさん」

「クルノちゃん、みんな、何とか無事だったのね」

「はい、何とか。で、あの、この人たちは?」

 クルノは見知らぬ人たちに視線を向ける。

「協力者ってところかしらね」

 にっこりしたロベリアが、付け加える。

「私もね」

「……え?」

 意味の分からない言葉を問い返そうとした時、老人が声を上げた。

「揃っているか」

 タルーディが皆を見回し、うなずく。

「大丈夫だ」

 老人が天井に顔を向ける。

「よし、出せ」

『了解!』

 天井のスピーカーから、ルデリオの声が聞こえ、クルノ達は慌てて、後部のベンチシートに座る。同時にトラックは動き出した。



 荷室の前部には様々なモニタがあり、周囲の様子も映し出されていた。肉眼では真っ暗にしか見えないが、暗視カメラだろうか、昼間のようにはっきりと映っている。

 しばらくは森の中を大きく揺れながら走っていたが、道路に出て揺れは収まり、同時に速度を上げる。

 あらためて、父と姉の顔を見る。姉ティクレナは青ざめた顔ながら微笑みを浮かべたが、父ゲオトリーは厳しい表情を崩さない。

 まだ安全になった訳じゃない、無言でそう告げている。

 クルノは気持ちを引き締めた。そう、まだ安全じゃない。そんな状況で、何か自分にも出来る事はないだろうか。

 まずは、体力か。三人とも。とりわけて父に。

「サニエス、父さんに、水を頼む。食べる物もあるか?」

「ああ、そうだな」

 サニエスはタルーディと目配せしてうなずくと、水筒の蓋に水を入れて差し出した。

「お前も飲め。少しづつな」



「糞っ! 一体、何が起こっている!」

 ラマルギオは悪態をついた。

 借り受けた無線機で、トルムホイグの反対側、高速道路寄りに残っている部隊を呼び出そうとしているのだが、全く通じないのだ。

 公領本国への通信も同様。有線電話も試してみたが、駄目だった。妨害は、電波に対するものだけではないようだ。

 考えたラマルギオは、一つの結論に至った。

「これは、敵の攻撃だ」

 口を引き締めて絞り出した言葉に、留守居部隊の指揮官が青ざめた。

 引き渡しを前提に、ギリギリまで削減された部隊の指揮官は中尉。兵力は二個小隊でしかない。

「敵? ラバーン族かナギル族でしょうか。それともヴェストリア……まさか、ノヴェスターナが?」

 帝国の東、森林地帯に棲む呪術の民たち。西方世界を統一し、ノヴォルジとは冷たい共存関係にある連合国家。新大陸の巨大国家。敵対する恐れのある勢力を彼は次々と挙げる。それ自体、この国が信ずべき盟邦を持たない証でもあった。

「いや」

 ラマルギオは若い中尉の思い違いを正す。

「我らクデスラードの敵、ノヴォルジ帝国だ」

 その言葉に固まった指揮官に、ラマルギオは平静な顔で言った。

「信号銃をよこせ」



「後方、信号弾が打ち上げられました」

 女性スタッフの声に、タルーディがモニタを見る。

「橙、黄、黄。意味が通じない。帝国軍の信号じゃないな」

「トマーデン公領軍で独自の信号表を作っていたんだろう」

 ゲオトリーが押さえた声で言い、タルーディがうなずく。

「通信が妨害されているからか。道路封鎖の指示だろうな」

 クルノは不安を覚えた。大きなトラックではあるが、軍の封鎖を突破できるものだろうか。

「大丈夫よ」

 ロベリアが彼に微笑みかけた。そして外套から次々と服を脱ぎ出した。

「え?」

「青少年には刺激的過ぎたかしら」

 七十代の女性が下着姿で嫣然と微笑む姿は、クルノ達を困惑させた。息子である筈のタルーディ副隊長に目をやるが、彼は視線を横に向けて決して見ようとしない。

「人を困らせるんじゃない。そら、換装準備出来たぞ」

「了解。でもあんたがそれを言う?」

 ロベリアは――少なくともロベリアの姿をした女性は――老人と軽口を叩きながら、右側のブースに入った。

 しばらく老人がスタッフに指示を出し、ブースからも様々な機械音が漏れてくる。

「換装完了。異常はないか」

『無いわね。残念ながら、仕事をさぼれそうも無いわ』

 中から、若い女性の声がした。

 左側のブースから出てきたのは、体に密着したスーツを身に着けた、金髪緑眼の女性だった。全く会った覚えのない相手だが、

「クルノちゃん、クルノちゃん」

 ロベリアの真似をして手招きしながら笑いかけてきた。

「あの……?」

 困惑するクルノに、

「ルチア、とだけ名乗っておくわね」

 彼女は微笑んだ。

「ロベリアさんの姿で君にダウンロードコードを渡したのは私」

「え?」

 クルノは衝撃を受けた。

「仕事とはいえ、ちょっと責任を感じてたんでね。君達を助けられて嬉しいわ。ま、まだ助かったとは言えないけどね」

「前方、軽装甲車一台が道を封鎖してます」

 女性スタッフが背を反らしてルチアに声を掛けた。

「13タル機銃装備型。歩兵が約十人」

「ほらね」

 ルチアがため息をつく。

「そういう事じゃ。さあ、行ってこい」

「了解。じゃあね」

 ルチアは後部ドアの前に立つ。その姿がぼやけ、ドアが透けて見えた。彼女のスーツ部分だけではない。むき出しになった顔や髪までもだ。

(光学迷彩! この人は全身サイボーグだ!)

 クルノは目を見開いた。至近にいるから存在が分かるが、数十ヤグルも離れたら、ちょっとやそっとでは見つけられないだろう。

 そして今、目の前で起きた事の意味が、やっと分かった。ロベリアだと思っていたのは、彼女そっくりに作られたサイボーグボディだったのだ。中身はこの人、ルチアだ。

 後部ドアが開き、ルチアの影が消えると、また閉じた。


 クルノは、前方カメラのモニタに視線を移した。

 そこには、音でトラックの接近に気付いたらしい兵達が、停止を命じるバーライトを振ったり、車載機関銃や自動小銃をこちらに向ける様子が映っていた。

 光学迷彩を掛けたトラックは彼らには良く見えないようで、サーチライトの光線が探る様に振り回される。

 トラックは減速しながら激しくクラクションを鳴らした。

 同時に軽装甲車から身を乗り出していた将校が見えない手で引き抜かれ、弧を描いて地に投げ出された。ついで装甲車はいきなり転覆。徒歩の兵士も次々と地に倒れ伏した。

 トラックは中央に開いた空隙を通過。後部ドアが開き、透明な人影が飛び乗ると同時に閉まった。

 その人影がルチアの姿に戻り、息をつく。

「上出来だ」

 老人が親指を立てると、ルチアは顔をしかめた。

「あんたに言われるとすごくむかつく」

 彼女はクルノの視線に気づくと、老人の方に指を向けた。

「この爺がね、私のこの体を作った気○い魔学者」

 老人が顔をしかめる。

「そういう言葉を平気で使うあたり、さすがわしより年う……」

「は?」

 ルチアが老人の頭を鷲掴みにした。

「さっき装甲車をひっくり返してから、手首の調子がおかしくなったのよね~」

「やめんか……お嬢さん」


 二人がじゃれ合うように会話するのを見ていて、クルノは戦慄を覚えた。

 普通、全身サイボーグは体に馴染むのに何か月ものリハビリがいる筈だ。機械の体を数分で取り換えられるサイボーグなど、聞いたことがない。

 それに、超人的な身体能力を持つサイボーグは、世界賢者会議が禁止していると学校で習った覚えが有る。

 きっとこの人たちは、アバンティーノから来たのだ。世界の掟を破る研究者たちの人工島から。

 悪い人たちには思えない。気さくで、陽気で、親しみやすくて。

 だけど人間として、クルノが、そしてノヴォルジの人が大事だと思う部分が、壊れている。

 ルゥリアが一人で身を任せたのがどんな相手か。クルノは初めて実感した。


 電子音が鳴り、女性スタッフがモニタに顔を近づけた。

「後方に追尾する車両を確認。約九百ヤグル。追いつきつつあります」

 タルーディ副隊長がその後ろからモニタを覗き込む。

「トマーデン公軍の装甲戦闘車だな。九十タル低圧砲装備。有効射程五百ヤグル。最高時速110デオヤグル」

「きっと」

 ゲオトリーが顔を上げた。

「そいつにはラマルギオが乗っている」

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