九.悪鬼と怪物

 女帝には、マハイルの返事を待つ気は無いようだった。

「双方、戦支度をするがよい!」

 高らかに宣告すると、民衆の熱狂はさらに高まった。

 ルゥリアは皇帝に再び片膝を着いて礼をし、階段を下りる。間に警備兵を挟んでマハイルの前を通る彼女は、横目で彼を見た。

(!)

 マハイルは恐怖を感じた。

 それは、子供の目ではなかった。瞳に暗い憎しみの雷を走らせながら、彼女は下りていく。

(まるで悪鬼の目ではないか!)

 彼は怒りと怯えで歯を食いしばった。



 プリモディウスの後ろに止められた指揮車の中で、ホイデンスは言葉を続ける。

「今までにも、戦いの中で楽観的過ぎた事があった。相手の持つ力を正確に見抜けなかった。あるいは、こちらのトラブルを予測できなかった事もあった。

 今度だけは、そんな失敗をしてはならない。だから問うのだ。

 何か見落としてはいないか!」

「所長」

 トルカネイが片手を上げ、主画面に映ったトマーデン公に向けて顎を振った。

「私には、あの男の顔が、鉄の棺桶の中での避けられぬ死に絶望している顔には見えないのだが」

 ホイデンスは画面に目をやるが、人の表情を読もうと試みる無駄な努力は瞬時に放棄。心理学の専門家に任せる事にした。

「フェネイン!」

「見ています」

 フェネインは既に身を乗り出して画面を注視している。

「表に出ている表情は、怒り。でもその裏では、懸命に思考しています。絶望はあるとしても、主たる感情ではありません」

 ケリエステラが首をかしげる。

「何ができると言うんだ、この状況で?」

「分からん。皆、思い付きを出していけ。どんな事でもいい」

 ホイデンスの声に、皆がうなずく。


「あの男、実は機械騎操縦の達人だったとか」

「あり得ません! 自動車も運転できないし、生身での試合も一度もしていません」

「あの細い体を見れば、鍛錬もしていないのは明らかだ」

「では、×だ」

 モーラが認識したそのやり取りをトルオが端末でまとめ、最後に×をつける。


「訓練を受けた騎士が搭乗しているのでは?」

「だが、リグル・スワルダはもう身柄を拘束されています」

「他にいるのでは?」

「ここに来てから、ずっとカメラをモーラに繋いで監視していますが、乗り込んだ関係者は全員出てきています」

「今、近衛と騎士協会がデキスマギンを調べている。搭乗者が隠れるのは不可能だろう」

「×だな」


「グーフェルギと同じサイボーグという事は?」

「なるほどな」

 その指摘に、ケリエステラは顎に指を当てて考え込んだ。

「だが、グーフェルギのような不随意の所作が無いぞ」

 確かに、ここまで移動してきたデクスマギンの動きには、人間じみた無駄なものが全く見られなかった。

「静止時は、電脳世界のダミー身体に接続を切り替えてるのかも知れません」

「否定も肯定も難しいな。△だ」


「非公開の設計者、確定情報は見つからんか?」

 トルオが首を振った。彼は人工知能モーラを使って、設計者の情報を探していた。

「ネット上でのサーチでは推測、憶測ばかりです。昨日お渡ししたリストよりましな情報はありません。

 ここに来た公領部隊の映像をモーラで探してます。が、監視カメラの映像にはマスクなどで顔を隠した姿しかありません。こちらも確度は低くなりますが、モーラが推定したリストを今送ります。

 それから、ここの観客がネットに上げたばかりで、検索エンジンに引っかかる前の画像を探してます。今は計算力の10パーセントを貰ってますが、試合五分前まで50パー貰っていいですか?」

 一気に語ったトルオ。ケリエステラとホイデンスは顔を見合わせて肯いた。

「戦術支援システムを一時凍結する。開始一分前まで、90パーセント使え!」

「そういう事だ。任せる!」

「はい!」

 トルオは力強く答えた。



 外では、技術者と整備士たちが、プリモディウスに持たせる装備を選んでいた。

「火器、遠距離投擲武器は全て禁止だ」

 騎士協会の立会人が注意する。万が一にも観衆や貴族、そして皇帝に害が及ぶ事があってはならない。

「盾と長剣だけですかね」

 整備士の問いに、技師長バイドレンは首を振る。

「いや、近接武器のフル装備で行こう」

「え? でも据え切り確実じゃないですか」

「無駄で済むなら、それでいいだろう」

 彼は、肩越しに親指で示した。

「折角の貰い物だ。あれも忘れるなよ」



 デクスマギンの隣に止められたテントの中で、マハイルはリグルの操者服を着ていた。

 かなりだぶついた服を、従者がピンやベルトで留めて合わせていく。

「お前がこれほどまでに大きく逞しくなったと、この身で感じるとはな」

 マハイルは穏やかな口調で話しかける。近くに立つリグルは、手枷を掛けられうつむいている。

「お話はご遠慮を」

 監視の近衛騎士が口を挟むが、マハイルは苦笑で応えた。

「作戦を打ち合わせておるわけでもない。心情を察せよ」

 近衛騎士は無言で横を向く。

 リグルは震え、涙を浮かべて膝を着いた。

「閣下、申し訳、ございません。我が不徳の為に、閣下の名を……」

「思えば」

 マハイルはその言葉を遮る。

「ここまで儂はお前に、汚れた背中しか見せて来なんだな」

「閣下!」

 救いを求めるように顔を上げるリグルに、マハイルは微かな笑みを見せた。

「このような時くらい、好きに呼べばよかろう」

 リグルは大きく目を見開き、俯き、再びおずおずと顔を上げた。

「父上……」

 マハイルがゆっくり肯くと、リグルはうずくまり、頭を抱えて号泣した。


 テントの外でそれを聞いていた国民軍の将校が、無線機を耳に当てた。

「奴は全てを諦めたようです。妾腹野郎と永の別れをしていますよ。何かする心配は無いでしょう。後、騎士様は貴族には甘くて駄目ですな」



 プリモディウスの隣に止められた支援車両の中で、ルゥリアは操者服に着替えていた。アルベリンが手伝いながら話しかけるが、彼女は顔を強ばらせ、言葉を返さない。その目は固定されたように前に向けられるが、何も見ていないのは明らかだった。

 アルベリンは強く溜息をつき、ルゥリアの頬を両手で音がするほど強く挟んだ。

「あんた、聞いてるの!」

 ルゥリアは初めて話しかけられたようにハッとしてアルベリンに視線を向けた。

「は、はい……」

「あんたが怒りで回りが見えなくなるのは当たり前。でも戦いの為にはちゃんと見て、聞かないと駄目なんだよ。それが出来ないとわたしが判断したら、あんたを今気絶させて、この決闘を止める」

 指に力が籠り、ルゥリアは驚きに喘いだ。

「そ、そんな事をしたら、帝国の決闘法で処罰が」「それが何?!」

 アルベリンの強い視線に、ルゥリアは目を伏せた。

「わ、分かりました。そ、そ、そのように努力します」

「政治家の答弁か」

 アルベリン少し笑って手を下した。

「忘れるんじゃないよ。あんたの後ろには、いつも皆がついてるって事を」

 ルゥリアは深呼吸して答えた。青ざめた顔ながら、微かに笑みを浮かべる。

「はい」



 マハイルはデクスマギンの操者殻に入った。

 整備兵によって、シートに安全ベルトで固定され、さらにヘルメットと補助ベルトで頭もほぼ動かないようにされる。

 幾つかの要注意事項を説明された後、ハッチが閉ざされていく。

(見ておるか、リーフェル)

 領地に残り、今、帝国の検察隊と対峙しているであろう家宰につぶやく。

(お前の懸命の努力にもかかわらず、儂の夢は叶ってしまったぞ)

 マハイルは口の端を上げた。

(さて、一つ仕掛けてみようぞ)



 ルゥリアがプリモディウスに乗り込み、アルビーが指揮車内に戻ると、スタッフが両所長に報告している所だった。

「デクスマギンがプリモディウスに通信を求めています」

「何だ?」

「挑発か心理攻撃、でしょうね」

 フェネインの言葉を受けて、ホイデンスは即座に答えた

「受けさせるな」「プリモディウス、回線を開きました!」「馬鹿者が! 止めろ!」

 激怒するホイデンスを、ホベルドが制した。

「待って」

「なんだ!」

「話をさせるべきだ」

「……なんだと?」

 ホイデンスは目を大きく見開いて睨むが、ホイデンスは静かに返す。

「これが、公と話す最後の機会になるだろう。今言いたい事を言わなければ、きっと彼女の心に影が残ったままになる」

「だが……マハイルが何か仕掛けてきたら」

 視線をさまよわせるホイデンスに微笑む。

「その時の為に、俺達が居るんだろう」

 通信機を通して、耳障りな老人の声が響く。

『ルーンリリア・バリンタ。ヴィラージの娘。しかと言葉をかわすのはこれが初めてであるな。この機に存念を言うてみるが良い』

『は、はい』

 ルゥリアが答えた時。

「見つけました! モーラが!」

 トルオが叫んだ。

「出せ」

 副モニタに、数秒の動画が再生される。デクスマギンのスタッフが、トラックを降りてテントに入る所を捉えている。だが携帯端末で撮影した動画らしく、人物は小さく、手振れも除去しきれていない。

「人物を中心において拡大補正、背景をカット。手振れと反射を除去。人物特定」

 トルオがモーラに出した指示で、画像が一気に見やすくなる。

「これが指導者だな」

 ホイデンスは、画像の中央、歩きながらマスクを着用するがっしりした体格の男性に触れた。指の横に名前の候補リストが表示されるが、一番上の名が確度98パーセントと表示され、この人物である事はほぼ確実だった。

「ロモフ・ケンドゥルス博士。ノヴォルジの機械ゴーレム設計者だな」

 ケリエステラ所長がそれを読み、考え込む。

「どんな奴だ」

「優秀。だが特筆すべき閃きを見せた事はない」

 彼女は息をつき、表情を緩めた。

「どうやら、杞憂だったようだな」

「待て」

 ホイデンスは硬い表情で、その後ろにいる短髪の中年女性を指さした。その指に反応し、複数の候補名が表示される。多すぎて畳まれた候補数は203。しかしその最上位でも確度は33パーセントしかない。

「モーラ、再々生」

 画面の女性が巻き戻され、再び鼻先をいじった。ホイデンスの声が低く掠れる。

「モーラ、この人物の外見、性別、年齢をすべて無視。この所作から次に言う人物と一致する可能性を推測」

「おいグラン、まさか!」

 ケリエステラが青ざめながら顔を引きつらせる。そしてホイデンスは、忌まわしい名を口にした。



「クルネイスは、優しい人です」

 一度口を閉じ、歯を食いしばって思いが溢れ出るのを押さえ込む。

「相手が嫌がるような事は、決してしない人です。

 トルムホイグの皆を守るために、絶対に従士になるんだと言っていました。

 困っている誰かを助けるために、色々なものを自分から背負い込んでしまう、そんな人です。

 だからって、痛みに鈍い人ではありません。指を撃鉄で挟んでも、友達に少し嫌味を言われても、同じくらい本当に痛そうな顔をしていました。

 彼は、そんな苦しみを与えられていい人では、絶対にありませんでした。貴方はそんな彼に、一体何をしたんですか!」

 最後は叫んでいた。

 少しでも、その罪を彼に悟らしめたい。そう願っていた。

『儂も、その少年に盃を捧げたよ』

 静かな答えに、ルゥリアはその願いが通じたのかと一瞬期待した。

『彼が秘密を守り通し、あるじを守った事に賛辞を送ってな。彼に死の運命を与えた、その日にであった』

 ルゥリアの全身から血が引いた。それは、微かに残っていた希望を打ち砕く死刑の宣告だった。

『あの時、彼は人知れず消える英雄であった。それ故にこそ、儂だけであっても、彼の栄誉を讃えたのだ。それが今、誰もが知る世界の英雄となりおった。聞けば聞くほど、つまらぬ、どこにでもいる子供にしか思えぬがな!』

 マハイルの声に、邪悪な嘲りが籠る。そして大きく、強くなっていく。

『儂はその、なんと言うたか名も知らぬ少年を、心からうらやみ、そしてねたむ!』


「あ!」

 呼吸困難のように喘ぐルゥリア。

 この男は、理解できない。全く共感できない。

 冷酷さなら、残酷さなら、まだ分かる。

 だがこの男は、羨ましいと、妬ましいと、言った!

「そ、そ、そんな事、クルノが受けた苦しみの千分の一でも耐えてから言えっ!」

 叫ぶと同時に、決闘開始のブザーが鳴った。

「お前はっ! 自我の膨れ上がったっ!」

 ルゥリア=プリモディウスが全力で踏み込み、剣を抜く。

「怪物っ!」

 民衆の喝采がプリモディウスの聴覚を圧し、無線で届くホイデンスの制止の声をかき消した。

 だが。


『ルゥリアっ!!!』

 ホベルドの絶叫がその障壁を破り、ルゥリアに届いた。

『全力で後退! 下がれえっ!!』

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