八.宣告

 ルゥリアの心を、目が眩むような怒りが襲う。

 絶望が、足を引きずって地の底に引きずり込もうとしている。

 手が震える。

 息が、苦しい。

 頭の中を巡る言葉は、一つ。

(間に……合わなかった!)



 その怒りは、ルゥリアだけのものでは無かった。

『子供殺し!』『糞野郎!』

 先ほどの揶揄とは違う、喉を嗄らすほどの怒声が四方からトマーデン公を襲う。

 声だけではない。

(!)

 背中に何かが当たる。落ちたそれは、折り畳み傘だった。次は小さなバッグ。そして革靴。沸き起こる笑い声。

『死ね!』『地界に沈め!』

 肩を掠めた酒瓶が、足元で砕け散った。

 民衆は、明らかな殺意を持って物を投げ始めていた。

「警備兵、何をしている!」

 女帝の低く抑えた声で、警備兵が弾かれたように公を守るように展開し、空に向けて威嚇射撃を行った。

 民の声が低くなる一方、不満の唸り声も確かに混じる。ロズフェリナは背を伸ばし、声を張り上げた。

「我が愛する民よ! 其方そなた達の怒りは我が怒りである。暫し時を貸して貰いたい。その願いが裏切られる事はない!」



 仮管制室になっていた指揮車両の中で、両研究所のスタッフ達も混乱していた。ホイデンスは顔色を変え、護衛の近衛騎士ドロデオスに詰め寄る。

「今、あの女が言ったのは本当か!」

 若いドロデオスも、青ざめた顔で怒鳴り返した。

「皇帝陛下と呼べ! 陛下が言われるなら、そうなのだ!」

「何だと!」

 掴み合いになる寸前、フェネイン主任が横から割り込んだ。

「あの表現だと、子供たちの生死については解釈の余地があります! 今までの発言から推察する陛下の性格からも、心理学者としてそう言えます。どうか、速やかに確認をお願いします!」

「今、我らは公とのいくさ最中さなかなのだ! そのような事にかかずらっておれるか!」

「なるほど、戦争か」

 ホイデンスが、すうっと目を細めた。

「なら、プリモディウスが暴走して皇帝陛下とやらが巻き添えで死んでも、勝利の為のやむを得ない犠牲という事だな!」

 ドロデオスは、喘ぎながら言葉を紡ぎ出した。

「貴様、我々を脅すつもりか!」

「危険を警告しているだけだ。お前が陛下を救う為に行動するかは、お前の問題だ」

 ドロデオスは顔を真っ赤にして怒りと戦っていたが、トレーラーを出て部下に通信をさせる。だがしばらくして、今度は顔面蒼白で戻ってきた。

「上と繋がらない。取り込み中だ」

「テキストメッセージは」

「送ったが、誰も見ていないようだ!」

「伝令は走らせたのでしょうね」

 ホベルドが控えめに確認する。

「む、無論だ!」

 ドロデオスは目を宙に泳がせながら指揮車両を飛び出していった。

「全く、頼もしい連中だな!」

 ホイデンスは吐き捨てた。



 閲兵場では、デキスマギンとトマーデン公領兵、そしてリグル・スワルダを国民軍と近衛騎士の兵が包囲して銃を向けていた。

 そこにも皇帝の声が、幾重にも反響して届く。

『帝国がトルムホイグ騎士領の統治を委任した代官リグル・スワルダにも、幾多の容疑が掛かっている。収賄、不当課税、暴行、婦女暴行、そして殺害についてである!』

 公領兵は青ざめてリグルを伺う。彼は顔を紅潮させ、拳を握り締め、小刻みに震えた。

『豚…偽…糞…死ね…!』

 観客席から様々な罵倒が、聞き取り難いほどに重なって降り注ぐ。

 だがその中、たった一つの言葉が、彼の耳には明瞭に届いた。

『妾の子め!』

「おのれ!」

 一瞬で頭に血が上り、我を忘れてその声の方に向き、剣を抜いたリグル。

「動くな!」

 警備兵が一斉に飛び掛かって取り押さえる。彼を守ろうとする公領の兵と入り乱れるが、数で圧倒的に勝る国民軍の警備兵がリグルとその兵達を完全に制圧した。

「離せ! 無礼者共が……!!」

 兵達に押さえつけられたリグルは、もがきながらトマーデン公の背を見上げる。だがその背が、彼の方を向く事はなかった。



「さて諸侯よ」

 女帝は貴族たちを見下ろした。

「それぞれ、国政に様々な意見もあろう。公を弁護する者は声を上げられよ。話を聞こう」

 その問いに、答える者はいない。皆、互いの顔色を窺い、動く事を躊躇ためらっている。

「我が統治に耐え難く、トマーデン公と同心せんという方は、名乗り出られよ。警備兵をして外へと通せしめ、本領に戻りて帝国軍と雌雄を決する事を許そうぞ」

 その言葉に呼応するように、観衆の怒号が轟く。

 いま警備兵の包囲の輪を抜けて外に出れば、領地に戻るどころか民衆に袋叩きに合うのは確実だった。

「皇帝陛下!」

 ノグドロール公メグレルがひざまずいた。

「我ら貴族、トマーデン公にたばかられたのでございます。多くは、陛下への抗議に同意したのみ。我の如く、謀反に同意したものも、公の虚実交えた口舌により、陛下が貴族をことごとく廃滅せんとするものと誤解したのでございます!」

 その言葉に、民は嘲笑い、しかし一方で喝采も送った。

「陛下の迅速なるご決断には心服いたしました。

 ここに、陛下への完全なる忠誠を、改めて誓うものであります!」

「うむ。公の逸早いちはやき情報提供と協力に感謝する」

 メグレルがこうべを垂れると、女帝は満足げな微笑を浮かべた。

(情報提供だと? 寝返りおったか!)

 マハエルは怒りを込めて睨みつけた。だがちらりと見返したメグレルの視線は、たじろぐどころか責めるように冷めきっていた。

 その意味する所が、彼にはすぐに分かった。


 そうだ。あの男は昨夜言っていた。先手を打てと。それが勝利の鍵だと。

 だが儂はそれを拒んだ。計画通り、準備した通り、進めればよいと。

 あの時、奴は危惧を抱き、周りの情報を探り、この決起は失敗すると、感づかれていると察したのだ。そして儂を見限り、銀狐の元に走った。

(だから警告したではないですか。先んずれば制し、後んずれば制されるのだと)

 メグレルの声が、視線を通して聞こえてきた。


「……だが諸侯よ。汝らが究極に忠誠を尽くすべきは、彼らノヴォルジの民である」

 女帝は両手を広げた。

「彼ら在りて国が有り、国有りて皇帝が居る。其方そなた達は、彼らを守るつるぎであればこそ、貴族たり得るのだと心せよ」

「「はっ!」」

 貴族たちが一斉に膝を着き頭を垂れると、民衆は沸き立った。

「トマーデン公、いや、罪人つみびとマハイル・シンドルダイグ。武の国デクスラードの末裔を自認するなら、正々堂々、仇討ちを受ける事だ」

 ロズフェリナは冷たい視線で、ただ一人立ち尽くすマハイルを見下ろした。

「通常、仇討ちの宣告から試合には最低一日を置く所であるが、此度こたびはそれに従う必要は無いと断ずる」

 憤怒の表情で受け止めるマハイルに、女帝は宣告した。

「仇討ちの日時は、今。

 場所は、ここ。

 方法は無論、ゴーレム戦である。

 助太刀、同乗しての介添えは認めない!」

 万雷の拍手喝采が、閲兵場を埋め尽くした。



「やった!」

「完全勝利だ!」

 指揮車の中も沸き立っていた。

 マハイルには機械ゴーレムを操縦した経験も技能も無い。生身での騎士模擬戦すら出場したことが無い。リグル・スワルダが同乗しない限り、彼にはデキスマギンの指一本動かせる筈が無かった。

 だがそれを、ケリエステラ所長が険しい顔で遮る。

「完全じゃない。もし、少年と一家が殺されていたのなら、な」

 その言葉に、浮き立った空気は冷まされた。

「くそ!」

 トルオがパネルを拳で殴る。

「あのじじい、必ず償いをさせてやる!」

 スタッフたちがそれに強くうなずき、立ち上げ作業に入った。これは祭りではない。罪を問う聖なる儀式なのだ。

「ちょっと待て!」

 ホイデンスの声が響いた。動きを止める一同に、

「いや、作業を続けながら聞け」

 と促し、一息を置いて続けた。

「我々は、何かを見落としてはいないか?!」

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