七.『帝国』の解体
公は驚きと怒りの声を張り上げた。
「ヴィラージの娘よ! これは一体、何の冗談か! 許される事では無いぞ!」
観衆からも戸惑いの声が上がる。
だが女帝ロズフェリナは、厳しい顔で首を振った。
「冗談ではない、公よ。
ルーンリリア・バリンタより、メラニエ・ダリシア・バリンタ退役中尉の死につき、娘の婚姻を盾に取った公による陵辱から娘を守り、自らの貞節を守る為に自害した、との申立てが出ておる」
公の傍で、老妻がひっ、と悲鳴のような声を上げる。
女帝の語った事は、全てが事実ではない。だが彼女の目は、こう語っていた。
言えるものなら、言ってみよ。そうではない、凌辱は成し遂げた。自分はメラニエを汚したのだと。
言えるものなら。
『好色老人!』
観客席からヤジが飛び、どっと笑いが爆発した。
マハイルは民からの侮辱に歯ぎしりする。
(愚民どもが!)
その言葉を飲み込み、反論した。
「これは謂れなき告発であり、全面的に否定する! メラニエ未亡人の死は病死であると聞いている。当時、帝国軍務局によっても確認されておる。かような告発を取り上げるからには、証拠が御有りなのでしょうな!」
女帝は、指を顎に当てて考え込む顔つきになった。
「ふむ。公の申し条も
そこでだ。この告発を受けて、帝国検察と国家憲兵隊が、トルムホイグとサイデルガルス市に於ける強制捜査中だ」
「な!」
公が息を呑むと、女帝は懐中時計型端末を取り出し、メッセージを読み上げた。
「それによると、メラニエ中尉の墓所とされた墓から遺体は見つからなかったが、関係者を尋問して真の墓所を発見。慣例に反して無届けで火葬とされたその遺骨の頭蓋骨の破片から銃創を発見したとの事。病死の届け出は偽りだった。軍務局に病死の診断書を提出した医師は、実際には生きた中尉にも、その遺体にも対面した事は無いと証言した」
(それも嘘だ!)
マハイルは腹の中で唸る。
銃創を残したまま葬るなど、有りえない。鑑定など不可能なまでに粉砕して埋めた筈だ。だが。
『女殺し!』
再びヤジが飛ぶ。それも二つ、三つと重なって。そしてそれに続くのは、民衆の笑いではなく怒号。
傍らの妻が椅子に倒れ込むと、今度は嘲笑が巻き起こる。
公は悟った。この女狐は、真実を以て戦う気などない。嘘でも構わず投げつけ、儂を倒す気だ、と。
それでも歯を食いしばり、抗弁する。
「領主の同意なき強制捜査とは、貴族の権利を踏みにじる不法行為ではないか!」
「確かに、三十分以内に公表せねば法に反する所であったな」
女帝は、時計を見ながら答えた。
背を伸ばし、公に対してではなく全ての者に向けて宣言する。カメラが女帝をアップにするのが大スクリーンにも映し出された。
「今より二十九分前の九時四十五分、私、ノヴォルジ帝国第八代皇帝ロズフェリナ・ゼノバ・デア・ゲントニーデは、帝国全土への非常事態宣言を発令した」
言い終えると同時にサイレンが鳴り響き、警備兵が出入り口を警備する。貴族の周りを、階段から躍り出た近衛騎士が取り囲んだ。
ロズフェリナは動揺する観衆に呼び掛ける。
「親愛なる国民並びに他国から来られた諸君、貴方達の安全は、我が名に懸けて保障する」
マハイルは顔を引きつらせて抗弁した。
「陛下よ! 国防最高会議の構成者である自分の知らぬところで、非常事態宣言を発令するのは違法ぞ!」
女帝は冷たい視線を返す。
「無論、通常ならそうである。が、安全保障会議法の第三項には、例外条項についての記述もある。死亡、人事不省、並びにそれに準ずる場合、構成者から外す事が出来るとある。
構成者が内乱の首謀者並びに共謀者の容疑者である場合は、『それに準ずる場合』に該当すると、帝国最高裁判所長官も同意している。
これにより、公の代わりに平民院議長ラファイ・ログドス氏を構成員に加えて会議を招集したものである」
では、自分が内乱の容疑者とされた理由は、と聞く事を公は自制した。今は時間が必要だ。そして聞かれなくてもこの女自ら話すであろう。ならば好きなようにさせておけ。
「さて、話が前後した。安全保障会議の召喚事由であるな。本日未明、第五駐兵公園において、ラガーロ伯の部隊がゴーレム用の自動砲にグレネード弾実弾を装填していたのを確認した」
マハイルは表情を変えぬように集中した。
ラガーロ伯は確かに公に呼応する事を約束した有力貴族であり、今この場にも参列している。公より下の段に立ち、その後ろ姿しか見えないが、明らかに動揺している。
「公もご存知の通り、帝都で必要最低限の武器以外、無届けで実弾を装填する事は禁止されておる。10テル口径のグレネード弾が、必要最低限の自衛武器でない事に、異論は無いと思われるが」
最上段から見下ろす女帝は、薄い笑みを浮かべていた。
「そしてこの事態を受け、通信記録を検証したところ、ラガーロ伯とトマーデン公、貴方が密接に連絡している事を確認、貴方が他の数人の貴族とも、この数日、
本日早朝より、軍用通信回線において、反乱参加の可能性がある貴族と領地とのデジタル通信を全て遮断したものである」
観衆の間から、低い感嘆の声が上がる。
公は奥歯を噛み締めた。それでは、今朝、領地から何の連絡もなかったのは、その為であったか。
「国民の生活に害をもたらさぬよう、民間回線は遮断していない。だが貴方達は、馬鹿にしている民の回線を使うことなど考えもつかなかったであろう?」
女帝の目は、異様な輝きを帯びていた。
「今、帝都では、国民警察と治安騎士団の合同部隊が、不法に武装していたと疑われる諸部隊を拘束し、武装解除しつつある。その結果、多くの部隊で式典や自衛の為では説明のつかない実弾装備が多数発見された。催涙ガス弾もだ。民衆鎮圧を想定したものであろう」
観衆の間からどよめきが起こり、ヤジと怒号も強まる。
「驚かれたであろう、公よ。去る梟の月、十一日、貴方の部下が帝都にて『平民警察風情』と罵った彼等が、この困難な任務を成し遂げているのだ!」
女帝の言葉は、彼らの反貴族感情を煽り立てた。観閲式場を、観衆の熱狂的な歓声が包む。
(そのような事は知らぬ!)
トマーデン公は、拳を握り締めた。
(部下が何処で何を言っていたか等、一々知る訳もない!)
だが、皇帝の方ではこの事態をずっと想定していたのだ。そして公の部下のあらゆる行いと言動を記録していたのだ。
そしてその事に、気づかなかった。衰えたと思っていた。だが。
(全てこの日の為に準備してきたか! 銀狐!)
彼は血走った目で女帝を睨みつけた。
ルゥリアは、茫然と目前に立つ女帝の口元を見つめていた。
今まで、仇討ちを申し立てる事がどれほどの影響を及ぼすか、彼女は分かってはいなかった。
トマーデン公を討ち、側近の何人かが処罰され、トルムホイグ騎士領が復活する。それが思い浮かぶ限り最良の結末だった。
だが今女帝が語っている事は、そのような事ではない。『帝国の中に有る帝国』とまで呼ばれたトマーデン公領。その完全な解体が進められているのだ。
となれば、ルゥリアが知りたい事はただ一つ。
知りたい。だけど、知りたくない。
きっともうすぐ、陛下はその事に触れられるはず。
もうすぐ。もうすぐ。
女帝は、端末に視線を下し、眉を
「そして今、新たな報告があった。
トマーデン公、貴方は帝国騎士ヴィラージ・バリントス・デア・トルムホイグの従士隊長ゲオトリー・バーニクとその家族を違法に逮捕並びに監禁した。そして拷問の末」
その言葉の意味に、そして置かれた空白に、ルゥリアの背筋を氷のように冷たい衝撃が走った。そして女帝の口が開いた。
「死に至らしめた」
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