六.願い事

 コートにくるまり、荷台に腰かけたケリエステラが煙草を吹かすと、煙が普段の倍ほどの量に見えた。

(この寒さだからなあ)

 うつろな目で、白い息と煙草の混合気体を眺める。

「その悪癖、まだ捨てられんか」

 ホイデンスが横に座る。こちらも目が落ちくぼみ、頬がこけている。その口からも、白い息が流れ出る。

「三か月ぶりだ。勘弁しろ」

 ケリエステラは溜息をついた。

 二人が腰を下ろしたのは、プリモディウスの乗ったトレーラーの荷台。ここからなら、周りを囲む幕布の上から、朝靄あさもやの海に浮かぶ帝都ロゴドワードの姿が見える。


 ノヴォルジに上陸してから、帝都郊外の駐兵公園に着いた日の深夜まで、ケリエステラ所長とそのスタッフは、プリモディウスの整備に追われていた。

 それに加えて、ホイデンスからは改善の要求が次々と飛び出してきた。

 曰く、緊急時のシートベルト締め付けがきつすぎて搭乗者の体を傷つける可能性がある。

 曰く、非常脱出ハッチの爆破ボルトを遠隔操作で無効化できるのは、万が一の場合に生命を危険に晒すかもしれない。

 しまいにはケリエステラが癇癪を起し、『そんなに娘が大事なら金庫にしまっておけ過保護親父め!』と怒鳴ったりもした。

 ホイデンスのスタッフや被験者たち、アンドロイドのジェリムの助けもあり、何とか整備を終えたのは、前日の夜半を大きく過ぎた頃。

 他のメンバーはまだトラックの中で泥のように眠っている。ルゥリアも同様だ。


「間に合うのかな」

 ケリエステラが呟き、ホイデンスは微かに俯く。それがルゥリアの父の従士一家の事であることは、二人にとっては言うまでもなかった。

「情報は来ない。だが、最善は尽くした。お前も、お前のスタッフも」

「貴様達もな。よく助けてくれたよ」

 ケリエステラも小さく微笑む。ホイデンスは宙に視線を向け、しばらく考えていたが、

「ところで、電源一時停止時の生命維持システムのバックアップについてだが」「殴るぞ貴様」

「それ、ノヴェスターナ風の夫婦コメディ?」

 アルベリンが、コートの前をぎゅっと引き絞りながら近づいてきた。

「な、なんだ」

 挙動不審になるホイデンス。

「なんかさ、ざわつくんだよ。神経がさ」

「寒いからな」

 ケリエステラの言葉にアルベリンは眉根に力を込めた。白い息が煙のように口から吐き出される。

「寒いけど! そういう事じゃなくて!」

「精霊が何かを語りかける、という事か?」

 ホイデンスが話を引き取った。ケリエステラ所長はアルベリンが精霊の声を感じる力を目覚めさせた事を深くは知らない。二人で話をしていると、時間の浪費になる。

「言葉で聞き取れるなら、良いんだけどね。はっきりはしない。だけど、ただの不安とは違うから」

「何か事が起こる予兆なのかもしれんな」

 呟くホイデンスに、ケリエステラは眉を強く曲げた。

「我々が事を起こす方なんだけどな」



 八時にはもやが晴れ、ルゥリアとプリモディウス、一行を乗せたトレーラーとトラックは演習場を出た。目的地は、帝都中心の閲兵場。

 ゲートを出て街道に出た途端、道の左右から怒涛のような声が沸き起こった。

 運転席と助手席の間、補助席に腰かけてルゥリアは、驚いて背を伸ばした。

 道の両側には立錐の余地もないほど人々が立ち並び、手を振り、あるいは携帯端末で撮影している。

 プリモディウスの不安を気遣い、ルゥリアは助手席側から這い出して、荷台に出る。彼女の姿を見た民衆は、さらに沸き立つ。ルゥリアはそれを怖いと感じて、天幕に覆われたプリモディウスの頭部に手を触れた。

 エンジンと走行振動だけではない震えが手から伝わる。

(大丈夫。皆、私達の味方だから)

 語りかけると、震えが小さくなっていく。その事でルゥリアも落ち着きを取り戻した。

(大丈夫。きっと、全部大丈夫)



 十時直前。

 閲兵場の観客席は、既に民衆で埋め尽くされている。圧倒的多数は帝都近隣の直轄領の民であろう。

「何とも、暇な奴らよ」

 トマーデン公は、貴族用のラウンジで窓の外を見ながら慨嘆した。

「閣下、こちらを」

 側近が懐中時計型の情報端末を差し出すと、マハイルは眉をひそめた。

「無粋よの」

「は?」

「すぐに終わる茶番だ。斯様かような物を持つまでもなかろう」

 側近は頭を下げ、端末を乗せた手を引き込めた。

「領地に変事はあるまい?」

「特に連絡はございませぬ。問い合わせを致しましょうか」

「無用だ」

 公は言い捨てた。一大事の直前である今、連絡がないのは何事も無い証拠。余計な連絡は綻びの元となりかねない。

かしこまりました。それでは、間もなく御入場される時間でございます」

 側近は腰を曲げ、扉を開いた。マハイルは離れたソファで退屈そうな妻に声を掛けた。

「参るぞ」



 貴賓席への貴族の入場が始まった。

 トマーデン公は貴族の筆頭として、最初に階段を登り、姿を見せる。

 熱意の無い拍手と、止まない会話の声。市民の貴族への敵意が良く現れていると、公は思う。ただ、彼の後に続いて諸侯が入場すると、領民と思われる少数の人々からは、熱心な拍手と歓声が聞こえてきた。

 だが、その中にトマーデン公領地からの民はいない筈。彼は領地を離れる前に、領民の参加を領主が歓迎していない事を、家臣たちを通じてそれとなく伝えさせていたのだった。

 万が一にもクーデターに反撃があり、帝都の領民が大量に人質に取られれると面倒な事になりかねない。無論そのような事になった場合には斬り捨てるつもりだが、その後の統治に影を落とすような事態は避けたかった。


 貴族たちがそれぞれの席の前に立ち並ぶと、近衛騎士団の竜骨ゴーレムが入場してきた。途端に歓声が上がる。

 次いで貴族達の機械ゴーレムが入ってくる。先頭はリグル・スワルダのデクスマギンだが、民の喝采は衰えない。貴族への心情とは別に、ゴーレムには人をして感嘆させる力がある事を、公も再確認した。

 貴賓席の前に近衛騎士が、左右の列に貴族のゴーレムが並び、プリモディウスの入場する道を形づくった。

 そしてアナウンスが、押さえた声で告げる。

『皇帝陛下が御入場なされます。ご起立と静粛を』

 皆が口を閉じ、一斉に立ち上がり、動きを止めた。

(来おったな)

 マハイルは視線を前方に向けたまま、視野の端に意識を向ける。

 専用の階段から、白いドレスに身を包んだ小柄な老女が姿を現した。

 その時。


白銀しろがねの峰煌めき……”


 誰かが国家を歌い始めた。音楽の教養が有るとは思えない中年男の胴間声。国歌斉唱は皇帝入場の後の筈。マハイルは酔客かと思わず眉をひそめた。だが。


黄金こがねの如き実りの大地……”


 別の誰かがそれに声を重ねた。一人。二人。三人。


”ルジアの導き 集いし同胞はらから……”


 歌声は一言ずつ重なり、客席全体に広がる大合唱になった。

 皇帝は自席の前に至り、その声に耳を傾けている。


”固く繋ぎし手は鋼鉄はがね……”


 動揺していた楽隊が、指揮者の合図と棒の動きに合わせ、演奏の音を乗せる。

 合唱隊も高さを合わせ、澄んだ歌声をそれに沿わせた。


”如何なる敵が崩し得ようか……”


 怒涛のように四方から押し寄せる歌声。マハイルの視界に入る貴族たちは、とりわけて蜂起に同意した者たちには不安と動揺の色が見える。


(馬鹿者どもが。このような事で心情を表に出すな)


 その未熟さに怒りを覚えるが、あからさまに視線で窘める事も出来ない。自分の表情も、テレビカメラに収められているだろうからだ。


”ノヴォルジ そは千歳ちとせの金城 決して破るる事あらじ!”


 国歌が終わると、万雷の拍手と大歓声が巻き起こり、女帝ロズフェリナは満面の笑みで小さく手を振った。


(我ら貴族に、帝都近傍の民の皇帝支持の強さを印象付けるか。歌い始めたあの者も、ロズフェリナの回し者であろう)


 そう思い至り、公は忌々しさを噛み締めた。


 引き続きアナウンスがあり、入場ゲートが開いた。

 甲高いガスタービンの駆動音。そして重い足音がして、鮮やかな青赤金の三色に塗られた装甲で身を飾り、人造竜骨騎プリモディウスが入ってきた。

 再び拍手喝采が起こるが、今度は親しみを込めた掛け声も飛ぶ。民にとってルーンリリアは、騎士や貴族というより身内のような親愛を感じられる存在となっているのだ。

 立ち並ぶ貴族のゴーレムの間を進むプリモディウス。各国国王騎に匹敵するその大きさと肩を並べる者は、トマーデン公のデクスマギンのみ。その前を通り過ぎ、遥かに小さい近衛騎士の竜骨ゴーレムの前で片膝を着く。

 ハッチが開き、ルゥリアがワイヤーリフトで降りてくると、客席からの歓声は最高潮に達した。

 ルゥリアは寒さと緊張に頬を赤くしながら、近衛騎の間を抜け、階段を登る。

 途中で貴族席の最上段にいるトマーデン公の傍らを通るが、視線は向けない。公も視線は空に向け、ルゥリアを無視する。

 やがてルゥリアは皇帝ロズフェリナの前に至り、ひざまずいた。

「皇帝陛下」

 ルゥリアの声は、見えないように設置された複数のマイクに拾われ、増幅されて会場に流れた。

「騎士ヴィラージ・バリントスが娘、ルーンリリア・バリンタにございます。陛下のかんばせに接する栄誉をお許し下さり、恐悦至極にございます」

「うむ」

「陛下の寛大なるお許しを頂き、他国を放浪しつつ修行すること一年、自称革命騎士グーフェルギ・ハリバンを討ち果たす事、成りましてございます。ここに、騎士協会による仇討認定書を提出いたします」

 懐から差し出した、古風な羊皮紙の巻物。ロズフェリナは近衛騎士を介してこれを受け取り、広げて目を通し、うなずく。

「昨年」

 ロズフェリナの声が響き、そして止むと、観客席のざわめきも静まった。

「熊の月、十四日。そなたの父、帝国騎士ヴィラージ・バリントスは、帝国領を犯せる敵と勇敢に戦い、そして死したり。そは帝国の大なる損失にして、恥辱であった。

 だが、ルーンリリア・バリンタ。其方そなたは、その身にしるしも明らかな苦難を乗り越え、見事にそのあだを討てり。其方は帝国の誇りなり。

 よってここに、第一級銀星天馬勲章を授与するもの也。そして、そなたの帰還を心より寿ぐものである」

 再び言葉を切った女帝は、柔和な笑みを浮かべた。

「よくぞ帰ってきましたね。ノヴォルジへ。故郷へ」

「は……」

 ルゥリアの動きが止まった。

 その言葉は、笑顔は、前日に聞かされた式次第には無かった。

 ブルムンドの港に着いてから、ずっと驚きと緊張、不安で落ち着かなかった。トルムホイグ以外のノヴォルジを、故郷とは思えなかった。

 だが初めて対面したロズフェリナの言葉に、感情が胸を一杯に満たした。

「はい……ありがとう、ございます」

 俯くと、涙が溢れ出た。客席からも、温かな拍手が沸き起こる。皇帝は笑みを絶やさず、差し出された勲章を手に取り、ルゥリアの礼服に留めた。


「落ち着いたかな、ルーンリリア」

「はい、申し訳ございません」

「よい」

 皇帝は肯く。

「ではルーンリリア・バリンタ。望みを一つ言うてみよ。私に出来得る事であれば叶えよう」

「それでは、お願いしたき事が一つございます」


 マハイルは、来たな、と思った。この寒い朝の、うんざりする様な茶番の最後を飾る一幕が。

 ヴィラージの小娘め。トルムホイグ騎士領の復活を申し出るのであろう。そしてロズフェリナ、おまえはこの場でそれを許すのだろう。

 所詮、今日の午後には空文となる定めなのだがな。

「……新たなる仇討ちを、許していただきとうございます」

 予想外の言葉に、マハイルの思考が止まった。なんだと、何を言っている?

 観衆も、今聞いた言葉の解釈に戸惑っている様子。

「仇討ちとな。それは誰か。討つのは誰の仇であるか」

 女帝の問いに答え、ルゥリアは顔を上げて声を張った。

「母メラニエが仇、トマーデン公マハイル・シンドルダイグ様にございます!」

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