五.穴の中

 式典前日の夜、帝都の公邸に到着したトマーデン公マハイルの元を、皇帝官房の上級書記官が訪れた。式典に使われる閲兵場の開場時刻を10時から9時に、式典開始時刻を11時から10時に、それぞれ前倒しする旨、皇帝ロズフェリナからの伝達と説明の為に来たのだ。


「陛下に於かれましては、予想を超える数の民が帝都を来訪している事に鑑み、彼らの安全に留意して斯くの如く変更する旨、トマーデン公マハイル様にご了承いただきたいとの事でございます」

「ふむ」

 片膝をつく書記官を前に、マハイルは鷹揚にうなずいた。

「承知仕った。民を想う陛下のお心には畏敬の念を抱かざること能わぬ。無論、異議など有ろう筈も無い。陛下には宜しくお伝えして貰いたい」

「ははっ」

 書記官が恐縮しつつ去ってから程なくして、ノグドロール公メグレルがやって来た。

 二人は当たり障りのない挨拶をかわし、トマーデン公の私室に。そこで酒を飲み交わしながら、兵棋の盤を卓上に広げた。駒の数を減らして対局を始める。


「やはり閣下は慎重で抜かりの無い駒運びで御座いますな」

 十近く歳若のメグレルが賞賛の面持ちで口を開く。

「したが、此度は速攻を試してご覧に為られませぬか。夜の闇に暁が差すが如く」

 上目遣いでマハイルを見る。

 マハイルにはその意味が分かった。決起の予定を繰り上げて、未明に行動を開始してはどうかという事だ。領地ならともかく、帝都では公邸と言えど、どこで盗聴されているか分からない故の言葉遣いだろう。

 マハイルは、徒歩かちの駒を手に暫し考えた。

「儂はこれでも、穏やかな心根の人間でな。なるべく計画通りに積み上げ、じわじわと追い込み、最後の最後に一気に決める、そういう手を好む。無駄に徒歩かちや騎士、神官を失いたくはないのでな」

「恐れ入りました」

 メグレルは頭を下げた。

 やがて兵棋はトマーデン公の勝利に終わり、ノグドロール公は辞去した。

 帰途、高級車の後部座席でノグドロール公は無表情でつぶやく。

「手加減する相手ばかりなら良いのですがな」




 寒い。薄手の囚人服では冬の夜の空気から身を守れない。

 息が苦しい。あれほど吸いたかった外の空気は、猿轡越しでは、もどかしいほど僅かしか肺に入ってこない。

 指先がかじかむ。おまけに初雪が薄く残る土は重く、固い。スコップを一振りする度に、手から滑り落ちそうになる。

「丁寧に掘れ」

 上からラマルギオの言葉が降ってきた。

「心を込めて、深く、広くだ。お前ら家族が仲良く永遠に眠るのだ。狭苦しい穴で窮屈に体を下り重ねたくはなかろう」


 牢の前に現れたラマルギオ率いる憲兵隊。

 クルノ一家は彼らに手錠で拘束され、口を塞がれて軍用のバンへ放り込まれた。

 走り出したバン。クルノは、自分たちが殺されるのだと、恐怖と共に覚悟した。

 やがて激しく揺れ始めた車が止まり、三人は引き出された。

 そこは暗い中でも見覚えのある、郊外の森の中。クルノだけが拘束を解かれ、スコップを渡された。


 周りには憲兵たちが立ち、穴の縁に座らされた父と姉に拳銃を突き付けている。

 抵抗は無理だが、それでも、なるべく時間を稼ごうと、クルノは思った。一分遅れれば、その一分で助けが来るかもしれない。

 いや、いくら待ってもそんなものは来ないとは分かっているのだ。それでも、ただ大人しく殺されるのはいやだった。

 もっとも、長い監禁と少ない食事で筋肉はすっかり衰え、わざとでなくても思った以上に時間がかかっている。

 殴られるか、憲兵がスコップを奪い取ってさっさと穴を掘り進めるのではないかと心配になる。

 穴の上から、ラマルギオが語り掛け、クルノはびくっとした。だがその言葉は叱咤や怒声ではなかった。

「クルネイス・ヴァーニク。お前は馬鹿々々しいとは思わんか」

 クルノが顔を上げるとラマルギオは、

「掘りながら聞け」

と顎をしゃくった。


「貴様があの小娘に尽くした忠義は大したものだ。だが本懐を遂げたあの小娘が戻ってきても、お前をここで見つける事は出来ぬ」


(!)

 クルノに衝撃が走った。ラマルギオの言葉が意味するもの、それはルゥリアは仇討ちを成功させた事だった。そして、ラマルギオがそれを教えた事にも意外を感じた。


「あの娘もしばらくは嘆き、悲しむだろう。だが領主として、日々の暮らしの中でお前の事を考える時間は減る。

 やがて誰か騎士の子弟とでも婚姻し、子を成す事になる。そうなれば、お前の事を口に出す事も憚られるようになる。

 お前の忠義は報われる事はない。そうではないか?」


 そんな事は言われるまでもなく分かっている。いや、最初から分かっていた。

 ルゥリアはずっと守るべき、忠誠を尽くすべき対象だった。

 ヴィラージの死の後、色々な事があり、トレンタにも指摘されて、自分の気持ちに気付いたが、だからといって自分が彼女と結ばれる未来など有りえないとずっと思っている。そんな事の為に体を張った訳ではない。


 黙って穴を掘り続けると、ラマルギオはしゃがみこんで声を低めた。

「このような仕事をしているとな。色々な人間を見るものだ。

 ひたすら泣きわめき、慈悲を求めるやつもいる。自分可愛さの為に、身に覚えのない嫌疑でも人を売る奴もいる。

 自分は精一杯頑張った、そう仲間に申し訳がつく程度に耐えようとする者もいる。そう言う奴は、たかだか一時間で音を上げても、自分では何日も耐えたつもりでいたりしていた。

 憲兵の仕事とは、そんな人間どもというドブの中に、手を突っ込んでかき回すようなものだ」

 小さく首を振り、

「だが稀には、信念の為に耐え抜く奴もいる。

 そういう奴は、ドブの中を漁っている時に手を傷つけるガラスの欠片のようなものだ。忌々しいが、陽にかざせば輝く。

 吐かせる事に失敗するというのは、俺にとっては大きな失策だ。だが、そんな奴が一人もいない世界より、いる世界の方がましだ。ずっとな」

 息をつく。

 クルノは初めて、偽りでないラマルギオの人間らしさを見た気がした。

 しばらく無言だった彼は、やがて首を振った。

「もういいだろう」

 穴は、三人が横たわるには十分な広さになっていた。

 クルノは肩で息をしながら、スコップを差し出した。

 その瞬間にスコップを振るって一矢報いる、そんな気持ちも体力も、もう残っていない。

 部下の一人が、外していた手錠を取り出すと、

「いらん」

 ラマルギオは彼を制し、

「二人のも外してやれ」

 と命じた。

 憲兵たちは父ゲオトリーと姉ティクレナの手錠を外すと、腕を抱えて穴の底に座らせた。

「最後ぐらい、家族三人で手を繋ぐが善かろう」

 クルノはうなずき、父の横に膝をつく。

 父の手を握ると、姉もその向こうから手を伸ばしてきた。互いに固く手を結び合い、顔を見合わせる。二人とも、穏やかな目でクルノを見つめるので、彼はまた泣きそうになるのを懸命にこらえた。


 怖い。けれど、やるだけの事はやった。

 ルゥリア様は仇討ちを成し遂げ、国に帰ってくる。トルムホイグ騎士領は復活するだろう。もう自分も、家族も十分に報われている。

「さらばだ、英雄達よ」

 ラマルギオの声と共に、憲兵たちが三人の後ろで拳銃を構えた。クルノは、家族と共に前を向く。死ぬなら、後ろを見たままなんて死に方はしたくない。

 前を向き、一番見たいものを思い浮かべる。

 覚えている中で一番輝いていたルゥリアの笑顔。それは、彼女の誕生日に、自分で切り出した木の薄板で作ったカードを送った時のもの。さっき見たように、目に焼き付いて鮮明に思い出せた。

(ルゥリア様、お幸せに!)

 そう念じた。

 撃鉄の落ちる音は、思ったよりも遠くから聞こえた。




 強い胸の痛みで、ルゥリアは目覚めた。

 目を開くと、天上に薄暗い電球の灯った細長い空間。帝都郊外の演習場に止めた軍用バンの中、アルビーや女性スタッフと雑魚寝をしているのだと思い出した。

 寝袋の中、心臓の辺りを押さえて、痛みが去るのを待つ。


 心臓の痛みは、アバンティーノから船出した日に始まった。

 ノランが倒れた日を思い出し、恐怖に囚われる。だが今回は、それだけではない不吉な予感がして、嫌な汗が額に噴きだしてきた。

 もうすぐだ。もうすぐ分かる。自分が間に合っているのか、いないのか。そもそもの道を誤っていないのか。

(クルノ、どうか、無事でいて!)

 ルゥリアは瞼を固く閉じ、涙を封じ込めた。

 だがその記憶の中のクルノの顔は、曖昧にぼやけていた。

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