三.名付け親

 ルゥリアが目覚めたのは、アヴァンティーノ時間で午前二時だった。

 すすり泣き、眠れなくなった彼女を、同室のアルビーが船の食堂へと連れ出した。

「あそこなら、お茶が淹れられるからね。まあ、ハーブ茶は無理だろうけど」

「はい……」

 ルゥリアは半ば目を閉じ、顔をうつ向けてとぼとぼと歩いた。緩やかに揺れる床が、足元をおぼつかなくさせる。


 無人と思われた食堂からは、光が漏れていた。

 足を踏み入れると、背の高く、痩せた色白の男性がタブレットを操作していた。髪もかなり白い。そして銀縁の眼鏡。ホイデンス所長だとルゥリアは確認する。

「何やってるの、こんな時間に」

「思索だ」

 それ以上の説明は不要、という風情でタブレットに視線を戻すホイデンス。

「で、お前たちはどうした」

「好んで夜更かしとか、ヒト族は頭おかしい……」

 アルビーがため息をつきつつ説明すると、所長は、タブレットを操作した。

「ジェリムを呼んだ。ここよりはましな茶葉が荷物の中に有った筈だ」

 少しして、サポートアンドロイドのジェリムが入ってきた。一抱えもある箱を軽々と持って厨房に入る。


 仇討ちを終え、アバンティーノに帰還した後。

 両所長は厳選した同行候補者に命の危険があると説明の上、誓約を提出させた。総数11人。人手が減った分の補助に、ジェリムを同行させたのだ。


 やがてジェリムは、湯気の立つティーカップを盆に載せて持ってきた。甘く爽やかな香りが広がり、ルゥリアはジェリムに礼を言って口を付ける。

 ほうっと息をつき、

「おいしい」

「うん。いいね……」

 アルビーも茶を飲むと、眠そうな声で俯く。エルフは概して、ヒトより睡眠時間が長い。

「じゃあ、部屋に帰るときに起こして」

 彼女はテーブルに突っ伏すと、すぐに寝息を立て始めた。


「あの、ジェリムさんはすごいですね」

 ルゥリアが横に立つジェリムを片目で見ながら感嘆すると、所長は天井に視線を向けた。

「戻っていい」

 それはジェリムに向けた言葉だった。半ゴーレムのアンドロイドは会釈して、食堂を出ていった。その背を見送りながら、ホイデンスはつぶやく。

「お前は知らないのだな」

「何をですか?」

「ジェリムは、俺、そしてミルヴィ……ケリエステラの、恩師が作ったゴーレム・アンドロイドの二号機だ」

「そうなのですか」

「ダオール・ゲティ・ノイセン博士と言えば分かるか?」

「聞いた事はあります。何でしたか……」

「一号機の名は、ユモレプール」

 その名を聞いて、引っかかっていた知識が浮かび上がった。

「殺人ロボットを作った魔学者!」

「そうだ」

 ホイデンスは厳しい顔でうなずいた。


 ユモレプール。

 それは、事故でもなく、操作された無人兵器でもなく、自らの意志と判断で初めてヒトを殺したと認定されたロボットの名。

 ルゥリアの断片的な知識を、ホイデンスは補完しながら説明した。


 ホイデンスは、元はノヴェスターナ帝国でケリエステラとロボット工学と魔術の融合を研究していた。その時の恩師がダオール博士だった。

 アバンティーノを設立後、二人はダオール博士を招く。彼はノヴェスターナでも難しい、賢者連盟の声明に反しかねないグレーゾーンの研究をこの人工島で進め、一号機ユモレプールはそれまでとは桁違いに人間に近い動作が可能なアンドロイドとして誕生。ダオール博士は彼女を常に従えて行動していた。

 だがある日、激しい性格で犬猿の仲だったロゲ博士と口論がエスカレート。掴みかかったロゲ博士を、傍に控えていたユモレプールが首を折って殺したのだった。

 ダオール博士はユモレプールと共に逃亡。二日後、ユモレプールはデータを抜かれて機能停止した状態で見つかったが、博士は行方不明となり、密出国したと認定された。

 ユモレプールは証拠品として捜査当局が押収、後に解体した。

 開発が進んでいた二号機は捜査が一段落した後でホイデンスが引き取り、ケリエステラと共同で使う事となった。それがジェリムだった

 ホイデンスはこの事件の後、研究の対象をロボット工学から人間そのものへ切り替えた。


「我が師も、確かに世を良くしようと思った人だった。だがその研究の方向は、自分とは相入れぬ。

 俺が考える良き世には、人の意思が必要だ。人が居なくて済む方途ではなく、人の力を強化し、意識を拡大する道を探るのが俺の使命だ」

 ホイデンスの言葉に熱がこもり、加速する。

「プリモディウスはなぜ十八ヤグルなのか。それは、研究の中で分かった、自意識の中での人の大きさだからだ。人は、自分という意識の周りに世界を構築する。自己と一体化したその認知された世界において、自己は肉体的現実的尺度とはかけ離れた絶対的な巨大さで認識されている。とりわけ思春期の若者に顕著であり、その自己と現実との落差が人造竜骨を通してマナの大海より魔力を汲み出す動力となる。名付けて『思春期エナジー兵器システム』。今論文を執筆中だが」「やめてください!」

 そこまで黙って聞いていたルゥリアは、一瞬で髪の毛を逆立てて抗議した。

「そんな恥ずかしい名前、私の名といっしょに発表したら、私は舌を噛んで自害します!」

「むう」

 ホイデンスは言葉を飲み込んだ。

「我ながら、なかなか良い名だと思うが」

「最悪です!」

「……そこまで嫌がるのなら、やむを得ぬ。再考しよう」

 ルゥリアは安堵の息をついた。そしてこの天才魔学者には名付けのセンスが無いと確信する。

「ジェリムさんの名前は、どちらが?」

「ミルヴィだが」

 やっぱり。ため息をついた。

 馬鹿げたことで怒ったら疲れがどっと襲ってきた。今なら眠れそうな気がする。

 アルビーを起こして部屋に戻ろうと思った時、ホイデンスが再び口を開いた。


「トルオが、最近のお前は恋をしている、妙に大人っぽくなったと騒いでいる」

「そ、そうですか」

 ルゥリアは困惑して目をそらした。

「俺はそういう問題に関しては学術的な関心は大いにあるが、人生論的な助言は俺の専門外だ」

「はい」

 それは期待していませんと、胸の内でつぶやく。

「お前の案じている件についても、安心させるような情報は何もない」

「はい」

「ただ、我々は想定した以上に最短のルートを進んでいる。結果を保証などできないが、これ以外の道ではより遠回りになるという状況は変わらない」

「分かっています」

「それとだ」

 所長の声が低くなる。

「今観察した結果、トルオが先に言ったように感じたのは、確かにお前自身の心情もあるが、お前がほとんど目を伏せているせいだと推測した」

 ルゥリアはぎくりとした。

「それは瞳をはっきりと見せないためだな。それでも先程お前が怒って顔を上げた時に見たが、瞳孔が開いていた。アストラレンの副作用が強く出始めている。対人識別障害も出ている筈だ。この部屋に入った時、お前はしばらく何かを考えていた。特徴を照合して、私だと確認していたな?」

 全て、言い当てられた。ルゥリアは観念する。

「……はい。あの、そうです。いつからそれを疑われていたのですか?」

「ノランだ」

「はい?」

「戻ってから、ノランに会っただろう。その後あいつから連絡があった。声を掛けた時、自分だとなかなか分からなかったようだとな」

 ルゥリアは唇を噛んだ。


 その通りだ。

 カフェで待ち合わせした時、先に来ていたノランをテーブルに着いた先客の中から探し出すのに苦労した。予想よりも肌のつやが戻っていて、脳内で用意していたチェックリストから洩れてしまったのだった。


「あいつはな、それがお前の無茶を止める事に繋がるなら、自分が話したと告げて構わないとも言っていた。無論、お前は恨んだりなどしないな?」

 それは、ノランが発作を起こした後、ホベルドがノランに言ったセリフの裏返しだった。

 あの時自分がしたように、ノランも自分が知ったルゥリアの秘密を敢えて人に話す事で、ルゥリアを救おうとしたのだ。

「……当たり前です」

 涙が膝を掴んだ手の甲に落ちた。

「よし。俺はしばらく船内を散策しつつ思索する。お前は落ち着いたらアルビーと部屋に戻れ」

 ホイデンスが立ち、ルゥリアは驚いて顔を上げた。

「止めないのですか? プリモディウスに乗る事を」

「検査の結果がリスクが有るという程度なら、止めてもお前はやめないだろう。危険レベルなら、お前が何と言ってもやめさせる。それだけだ」

「はい。ありがとうございます」

「うむ」


 ホイデンスは歩き出そうとして、また思いとどまった。

「もう一つ、言っておく事がある」

「なんでしょうか」

「ジェリムは、俺とミルヴィでゴーレム呪文もコンピューターシステムも一から書き直した。あれが人を殺める事はない。明日からも、普通に接してやってほしい」

 ルゥリアは胸を衝かれた。無表情な顔から出てきたその言葉には、穏やかな情が籠っていた。きっとジェリムは、両所長にとって子供のような存在なのだと思った。

「分かりました。それで、あの」

「今度は何だ」

「所長とケリエステラ所長は、ご結婚なさらないのですか?」

 ホイデンスの無表情は微動もしなかったが、両手で持っていたタブレットがその手から勢いよく飛び出してテーブルに落下した。



 次の日の午後。

 トルムホイグ、トルムスの街にも、初雪は所々に残り、陽光を受けて白く輝く。

 街で二つしかない食堂の一つで、老女がそんな雪の残る街並みを眺めていた。

 かつての従士隊副隊長、タルーディの母ロベリア。久方ぶりにトルムホイグを訪れ、知人たちと旧交を温めた後、長距離バスが出るまでの時間を、茶を飲みながら過ごしている。

 すると、空いている店に入ってきた中年の男二人が、わざわざ隣のテーブルに着いて酒を注文し、鬱屈した様子で話し始めた。


(これは、わざわざ聞かせに来ている話ね。なら、しっかり聞かないと)


 ロベリア、という事になっているその女性は、素知らぬ顔で聞き耳を立てた。

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