二十.驕りと奢り

 意識を取り戻したルゥリアは、検診の後トルオが付き添って無人車で第九ブロックに戻った。

 ゲート前に降りた彼女は、まぶしさに目を細め、手をかざして陽光をさえぎりつつ辺りを見回した。気のせいか、世界がキラキラと輝いて見えるのだ。

 神経が高ぶっている。これが、初の実戦に勝利した余韻というものなのだろうか。

「ん? どうかした、ルゥリアちゃん」

「い、いえ。なんでもありません」

「そう?」

「はい」

 首を振り、トルオの後に従ってブロックに入る。


 外に比べれば薄暗い格納庫に入ってほっと息をつくと、アルベリンの声が飛んできた。

「もういいの?」

「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」

「本当に?」

「はい」

 不審げな彼女に、ルゥリアは逆に不思議だと思った。

 なぜ心配しているのだろう。今の自分は、生まれ変わったように感じている。今なら何でも出来る気さえしているのに。

「あんた、今日一日休んでな」

「どうしてですか?」

 少し険しい顔で言うアルベリンに、素直に問い返す。

「どうしてって……」

「ルゥリアちゃん、所長達が会議室で待ってるよ! アルビーも早く!」

「はい!」

 トルオに呼ばれ、ルゥリアは話を打ち切って会議室に早足で向かった。何か言いたげなアルベリンを、どこか疎ましく感じながら。



「グーフェルギ・ハリバンとその支援者に関し、現時点で分かった事を共有する」

 皆が揃った所で、ケリエステラ所長が読み上げはじめた。

「グーフェルギの支援チームは、機械騎の設計者であるリーチェ・クシェン博士と、仮名レイディア・クナンティスであるところの……」

 いったん言葉を切り、

「マロナ・ドーカス博士の合同プロジェクトだった」

「ドーカス博士?」

 ケリエステラ研究所のリデロー主任が首をひねった。

「聞いたことがないですね」

「機械ゴーレム研究者じゃないからね」

 ホベルドがつぶやいた。

「サイボーグ手術の専門家、先端サイボーグ開発の研究者である魔学者。そして俺がアバンティーノでサイボーグフレームを魔力伝導素材に変えた手術チームのメンバーだった」

 両所長を除く皆が凍り付く。ルゥリアにも衝撃が走った。

「つまりだ、ルゥリア」

 ホイデンスがこちらを見る。

「お前が戦ったルークリッジは、機械ゴーレムではなかった。巨大サイボーグ、人造の巨人だったのだ」


 混乱した頭でも、理解できた。

 サイボーグだからだ。首を傾げるような仕草も、顔に向けて飛んだ瓦礫に慌てた反応も、そして頭を吹き飛ばした事で倒れたのも。

 胃の辺りに、重いものが突然落ちたような不快感がこみ上げてくる。


 どうしてだろう。こんな気持ちになるのは。

 私はもう、壁を乗り越えたのだから、何も気にならない筈だ。

 そう、もう人を殺しても、どうとも思わない筈なのだ。


「二人はこちらの警備室に拘留して取り調べている。データと機材を没収後、二人とプロジェクトチームのメンバーは、アバンティーノで査問委員会の裁定を受ける事になる」

 それを聞いて頭が熱くなった。

「ちょっと待って下さい」

「なんだ」

「なぜ二人を、マレディオンにテロ首謀者として引き渡さないのですか?」

「なに?」

 ホイデンスの目がすうっと細まるが、ルゥリアは怯まない。実戦を乗り越えた自分には、もう怖いものなど何もない。

「アバンティーノには、死刑が無いのですよね?」

「何が言いたい」

「マレディオンに引き渡せば、少なくとも首謀者の二人は確実に死刑にできます」

「お前は、自分が何を言っているのか、分かっているのか」

 ホイデンスの声に含まれた険がこもる。

「分かっています。相手は、傷ついたトルムホイグの従士達を皆殺しにしようとした外道です。死んで当然、死ななくては償えない罪人です」

「ちょっとルゥリアちゃん」

 トルオが慌てて止めに入るが、

「それは実行されなかった。未遂だ」

「従士の皆が奮闘したからです。相手が自分で止めたわけではありません」

「それでも未遂は未遂だ。これはアバンティーノの評議委員会の規約に従った決定だ」

「納得できません」

「嫌ならば自分で殺しに行け!」

 ホイデンスはついに怒鳴り、ルゥリアも、

「わかりました!」

 と返す。

「ならプロジェクトの金で身に着けている物は服も剣も全て置いて、その手で絞め殺しに行け!」

「おいグラン!」

「そうします!」

「ルゥリアちゃんも!」

 ルゥリアは立ち上がり、服を脱ぎ始めた。皆が二人を止めようと動き出した時。

 破裂するような音と共に、皆が囲んでいたテーブルが真っ二つになり、跳ね上がった。その上に乗っていた全ての物が飛び散り、落下する。

 叫びとパニック。皆が立ち上がり、後ずさった。その中央に一人立っているのは、騎士トルカネイ・ガリエンサだった。長剣を振り下ろした姿で止まっていたが、ふっと力を抜き、息を吐いて剣を鞘に納める。

「失礼」

「何をする」

 一人椅子に座ったままのホイデンスが睨んだ。トルカネイは、忘れ物を思い出すように視線を天井にやる。

「昔、止めるべき時に止めなくて後悔したことがあってね。同じ過ちを犯したくなかった。まあゼーヴェ殿なら、こんな事をせずとも一喝で止められたのだろうけれどね」

 かぶりを振る。

「いや、今のはいいタイミングだった。俺はちょっと迷って出遅れちゃったな」

 軽い調子でホベルドが声を掛ける。だがホイデンスとルゥリアを見やるその表情は、一転して厳しくなる。

「二人とも、甘えるんじゃない」

 凍り付いていたルゥリアはびくっとするが、ホイデンスは逆に睨みつける。

「甘えているだと?」

「そうだ。年長者にこのような事を言うのもなんだけどね。

 二人とも、前は互いの事を探りながら接していたのに、今は相手が自分の気持ちを分かってくれて当然と思っている。それは距離が縮まったからだろうけど、甘えでもある。どちらも、そんなに器用じゃないだろうに」

 ルゥリアはその言葉にハッとしたが、ホイデンスは厳しい態度を崩さない。

「俺は分かっている。こいつは調子に乗っているのだ。自分一人で勝ったとおごっている」

「違う!」

 アルベリンが異を唱えた。

「戻ってからのルゥリアは、少しおかしかったよ。フェネイン主任、どう?」

 フェネインがうなずく。

「確かに、戻ったら時間を取ってカウンセリングすべきでした。今は分かります。彼女はショックを受けているんです」


(え?)


 ルゥリアは虚を突かれて主任の顔をまじまじと見つめた。彼女はそれに微笑み返す。

「考えれば当たり前です。ルゥリアさんは、仇を討つと誓いを立てた。なのに引き金を引く瞬間、狙いをそらしてしまった。だけど、相手は死んでしまった。

 殺すつもりが助けてしまい、助けてしまった筈が殺してしまったんです。混乱して、ショックを受けるのは当然です」


 そうか。

 そうだったんだ。

 自分の中でぐるぐる回っていたこの感情、名前と意味がつけられて、気づいた。

 これは、勝利の高揚などではなかった。自分がより高いステージに上がった証でもなかった。

 初めて、人を殺した、それも、最後の瞬間に回避したはずなのに殺してしまった、その衝撃だった。

 さっきまでお腹のあたりにあった不快な塊は、今、熱い何かに変わり、胸を締め付けてくる。

 思わず手で心臓のあたりをぎゅっと押さえつけると、

「ルゥリアちゃんにも、聞いてほしい事がある」

 ホベルドが片膝をつき、肩に手をかけて覗き込んできた。

「あの戦いで、撃てと言おうとした俺を、所長が止めたんだ。『言ったはずだ。俺以外の誰にも、責任を負わせはせん』ってね」

 胸をつかれ、所長を見る。彼は気まずそうに視線を逸した。

「所長は撃てと言ったあの時、ルゥリアちゃんと一緒に引き金を引いたんだ」

 ホベルドの声が、耳元でこだまする。

 ルゥリアが見つめるとホイデンスは目を背けたまま困惑し、

「そういう事は言うものではない」

「本人が言うのはね。でも、誰かが伝えないと」

 ホベルドは笑みを浮かべた。


 ああ。

 全部わかった。

 私は、自分一人で戦ったと、命を奪った重さも自分一人で負わなければならないと思い込んでいた。

 だからその苦しみから逃れようと、それを勝者の自信だと思い込もうとしたんだ。所長が言ったことも、間違ってない。


 トルオも身をかがめ、

「もちろん、あの時ここに居たみんなが、一緒に引いた、そう思ってるんだよ。それは覚えておいて欲しいな、ルゥリアちゃん」

「……はい」


 私は、馬鹿だ。

 自分で選んで、誓って、戦った。

 みんなが支えて、応援して、叱ってもくれた。

 なのに、自分一人つらいのだと思い込んでいた。

 そのつらさを認める事もこばんでいた。

 それでかっとなって、ひどい事を言った。

 恥ずかしい。苦しい。


 フェネインがルゥリアの体に腕を回してささやいた。

「今、泣いてしまいなさい」

「は……い」

 声に出した途端、涙と嗚咽が一気に溢れた。



「……所長」

 感情の大波が去り、顔をハンカチで吹いてから、ルゥリアはホイデンスに頭を深く下げた。

「本当にすみませんでした」

「う、うむ。いや」

 ホイデンスは眉根に深くしわを寄せ、咳払いする。

「俺の認識が不足していた。済まなかった」

「いいえ」

 ルゥリアは首を振った。


「さて! とりあえず片付けるか」

 ケリエステラ所長が声を上げた。

 壊れた机、倒れた椅子。飛び散った書類に筆記具、タブレットやパソコン、飲料のボトル。

 見回した皆がうんざりした顔になり、トルカネイはきまりが悪そうに申し出る。

「被害は、私が弁償する」

 ケリエステラ所長は片方の頬で笑みを浮かべた。

「いや、お前さんはよくやってくれた。その辺はこちらの予算から出すから気にするな。が、まあそうだな、皆の飲み物をおごってやってくれ」

「分かった」

 トルカネイは苦笑した。 


 なお、片付けが始まってもホイデンスは椅子から動かず、皆に邪魔がられていたが、程なく腰を抜かしていた事が発覚した。

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