十八.決戦ヴルカヌス(中)
島を覆う黒雲から、スコールが降り注ぎ始めた。
「まずいな」
仮管制室で、トルカネイは眉間に皴を寄せて呟き、マイクを掴む。
窓と室内の多くのディスプレイには、再びメイスを振り下ろすルークリッジと、飛び下がるプリモディウスが映っていた。しかし退けば退くほど、グーフェルギは大胆に踏み込んでプリモディウスに迫る。
別のモニタに映る操者殻のルゥリアは、顔を引きつらせ、目を開きっぱなしだった。額には玉のように汗が浮かび、呼吸は浅く頻繁になっている。
「ルゥリア、ひとまず距離を取れ!」
マイクに怒鳴り、スイッチを切って呟く。
「初実戦の恐怖だ」
「演習は何度もやったぞ」
こちらをいらいらと見るケリエステラに首を振る。
「演習と実戦は違う。その違いを、恐怖を乗り越えられない者は」
言葉を切ると、仮管制室が一瞬の静寂に覆われる。トルカネイは息を吸い、そして言った。
「死ぬ」
スコールで濁った視界から、ルークリッジが飛び出してくる。こちらに向かってメイスを振り上げるのが見え、ルゥリアにはもう耐えられなくなった。
敵に背を向け、プリモディウスの翼を広げて暗い空へ舞い上がる。
え?
今、私は、何をしたの?
ルゥリアは麻痺しかかった心で自問した。
有利な位置を取った?
作戦を立て直すため?
落ち着かせるため?
違う。
嘘だ。全部嘘だ。
もう闘志は心から消え失せている。上空で振り向き、ルークリッジを見る。
再びあそこに降り剣を交える意思は、もう無い。
私は、逃げたんだ。
「まずい」
管制室で、ホベルドの顔色が変わる。
「審判が戦意喪失と見なしたら、ここで戦いは終わりだ!」
「そうしたら、どうなる?」
ケリエステラは、虚を突かれたという顔で問う。
「逃げた者が自害させられた例がある」
トルカネイが、モニタに視線を据えたまま説明すると、室内に複数のうめき声が流れた。
「そんな事はさせん」
ホイデンスの怒りの声に、ホベルドもうなずく。
「当然。でも、彼女は二度と祖国には戻れない。もしこの状況に痺れを切らせて、グーフェルギが申し立てたら…」
その時ルークリッジが、メイスを地に立てて両手を柄の頂に置いた。通信機からグーフェルギの声が響く。
『ルーンリリア・バリンタ!』
部屋にいる全員の背筋に、冷たいものが流れた。そして。
『お主、それでもあのヴィラージ・バリントスの子か!』
ルゥリアは、自分が聞いた言葉が信じられなかった。
よりによって、父の仇が父の名を使って自分を罵るなんて。
「あ、あ、あ…」
怒りに舌がもつれる。
「あなたにそんな事を言う資格はない!」
竜骨アームを握る両手に力がこもった。
「あなたがお父様を殺した! そのせいで、全てがおかしくなった。お母様も亡くなった! 沢山の人が、私の周りからいなくなってしまった!」
『なるほどな。だが先程のお主は、それを忘れてしまったように見えたのでな』
その言葉はルゥリアの心に深く刺さった。
「忘れて……なんて」
『わしは、戦いを好む。戦いの中で命をやり取りをするのが楽しい。だが、それは互いが命を賭ける覚悟あっての事。それが無い者の命を奪うのは、楽しくない。そしてそれ故の、革命の戦いでもある。
もしお主が戦意を無くしたなら、降りるがよかろう。わしは、出来る事なら最後まで戦いたいがの』
落ち着いた声になだめられ、ルゥリアは唇を噛んだ。
『聞こえる?』
アルベリンの声が仮管制室からの回線で飛び込んできた。
「は、はい」
『こんな所で立ち止まってて、いいのかい?』
「え?」
『待ってるんじゃないの、あの電話の男の子が。あんたの故郷でさ!』
クルノ!
ルゥリアの脳裏に、電話で言葉を交わした日、声の向こうで彼が浮かべていたであろう泣きそうな笑顔が、この目で見たかのように浮かんだ。
胸が、痛い。
ルゥリアはうつむいて、歯を食いしばった。
「脈拍上昇! 安全上限値に迫っています!」
「アドレナリン分泌増大!」
仮管制室では、スタッフがルゥリアの体調変動を次々に報告する。それは、冷え切ったルゥリアの心に火が灯った証でもあった。
しかし席に戻ったアルベリンは、苦い顔で腰を下ろす。
「それで良かったんだ。あれは、君が言うのが一番効果的だった」
ホベルドが声を掛けるも、アルベリンは答えない。
「……済まなかった」
「いや、分かってるよ」
俯くホベルドに、アルベリンは首を振った。
ルゥリアの胸で、様々な感情が渦を巻いている。
自分を取り巻く理不尽への怒り。
父と母への焼き尽くされるような惜別。
ゼーヴェを裏切った不甲斐無さへの自責。
そして、体を引き裂くほどの、クルノへの思い。
ごめん、クルノ。
私は、またあなたを見捨てようとした。裏切ろうとした。
もう会えない。合わせる顔なんてない。
それでも。
あなたを解放する事だけは、絶対にやりとげる。
例え最後に、私が命を失う事になっても。
それに、プリモディウス。
貴方にも、謝らないと。
貴方の本当の初陣を、無様な敗北で終わらせてしまう所だった。
情けない操者で、ごめんなさい。
今度こそ、本当に、起動の誓いを果たすから。
私の心が貴方に掛けた束縛の鎖を解くから。
貴方の、真の力を解き放つから。
「我は汝の心臓なり。
魂なり。
命なり」
一言ずつ、その声は大きくなる。そして最後は叫びになった。
「我は、汝の全ての全てなり!」
それと同時に、ルゥリアの体に冷たい奔流が一気に流れ込む。
「ぐっ!」
歯を食いしばって耐え、その流れを全身で熱い滾りに変えて送り出す。
「はあああああああ!」
叫びに同調するように、プリモディウスの腹部からのガスタービンの回転音が上昇していった。
「主機、出力レッドゾーンに突入!」
「同調率が100%を突破!」
「ゴーレム出力も170%到達! しかしシステム全体は安定しています!」
スタッフの声を聞き、ホイデンスは詰めていた息をゆっくり吐きだした。
「もう、大丈夫だ」
隣のケリエステラに、そして自分に言い聞かせるように唸る。
「ここからが、あいつらの本番だ!」
ルゥリア=プリモディウスから立ち上る熱が吹き払うように、スコールの雲は流れていき、青空が戻ってくる。
プリモディウスは、きらめく水滴を振るい落としながら地上に降り立った。
「グーフェルギ様」
『うん?』
「父の、最後の言葉を聞きました。貴方との戦いは楽しかったと」
『左様か。うむ。わしも楽しかった』
ルークリッジは
「私は、戦いが好きではありません。それでも、父が貴方との戦いで感じたものを、私も感じたいと思っています」
『同感であるな』
プリモディウスは剣を抜く。
「私は、まだ弱いです。プリモディウスは、まだ未熟です。でも私とプリモディウスは、強いですから!」
ルークリッジもメイスを両手で振り上げ、そして吼えた。
『おう!』
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