十三.聖なる時

 微かな薬の匂いと、遠くで聞こえるせわしない足音が、ルゥリアの意識を呼び覚ました。

 目を開けると、見知らぬ白い天井とカーテンに囲まれ、ベッドに横たわっていた。右の脇には点滴台が立っており、そこから伸びたチューブがタオルケットの下に潜り込んでいる。腕の違和感は、点滴の針が刺さっているのだろう。

 要するに、プリモディウスのコクピットで気を失ってしまった自分は、島の医療センターに運び込まれたのだと認識した。

 体は鉛のように重く、鈍い痛みも全身を苛んでいたが、不思議と心は穏やかだった。空調は快適な温度に保たれて、窓からの日差しもカーテンによって和らげられていた。

 しばらく、天井を見上げながら倦怠感を楽しむ。全力を尽くした戦いの後というのは、これほど心が穏やかになるものなのか。


 足元の方で物音。目を向けると、アルビーが椅子に座ってタブレットを読んでいた。その顔が上がり、「あ」という声が漏れた。

「気分、どう?」

「大丈夫……です」

 かすれた声で答えると、アルビーは腰を上げ、水差しを口に運んでくれた。口に流れ込む水が、かつてないほど甘美に感じた。

「ありがとうございます」

「私にも頼むよ」

 カーテンの向こう、隣のベッドからケリエステラ所長の声がした。

「え?」

「過労でね」

 驚くルゥリアにアルビーが短く説明して隣のベッドへ。上体を伸ばすと、ナースコールの電子ブザー音がした。

「冷たいな……」

 拗ねるような所長の声に、こちらに戻りかけたアルビーは、腕を組んで首を傾けた。

「大人でしょ」



 ゼーヴェを見送り、部屋に戻ったマダンとトルカネイ。

 マダンが腰を下ろすと、トルカネイは一つ離れた椅子に座る。マダンは片眉を少し上げたが、何も言わなかった。

「しかし驚いた」

 マダンが口を開くと、トルカネイは挑むように答えた。

「ここにいる事、調べは付いていたのでしょう?」

「ああ。だが会いに来るとは思はなかった」

「どの面を下げて、と?」

 マダンは声量を上げた。

「要するにだ!」

 体を震わせた彼女に、

「元気そうで嬉しい」

 にっと笑いかける。トルカネイは戸惑い、

「ありがとう、ございます」

 と答えた。


「姉上達の墓前にはご報告に行ったか?」

「あれ以来、戻っていませんので」

 分かっているでしょうに、と口中で呟く。

「そうか」

 マダンは気にした様子もない。

「帰る気は無いか?」

「まだしばらく、ここでやりたい事があります」

「バーリ殿がそれほど嫌か?」

 トルカネイは溜息をついた。国を出奔する前に散々交わした会話の蒸し返しになりそうだからだ。

「バーリ殿の事は、嫌ってなど居りません。ただ、あのような愚にも付かない事を考える方々には、はらわたが煮えくり返るほどに怒っております」

 あのような事とは、王国の大臣たちがゼイロンテール王国の名高い騎士バーリ・ナディザスを引き抜くためにした事だ。

 自国の竜骨騎を、主持ちでも構わずに相性を試させた。適合した竜骨騎が主持ちであったため、その主トルカネイを彼とめあわせ、竜骨騎を彼に譲らせようとしたのである。

 だがそれへの返しは、

女子おなごの幸せは良き婚姻であろうに」

 と言う、やはり過去の話の蒸し返しだった。

「叔父上の事まで、出来れば怒りの対象としたくはないのですが」

 トルカネイは目を細めて睨むが、マダンの悠然とした態度は崩れない。ため息をついて、

「己の生は、己で決めたいのです」

「自己決定とか言うたか。アバンティーノやノヴェスターナの流行はやりにかぶれたのであろう?」

 トルカネイは口元を引き締める。

「もとより我が心にくすぶっていたもの。それに名が付けられただけの事です。

 それはアバンティーノやノヴェスターナというより、元来は異世界人からもたらされたものです。私は、その源流に触れる事ができました。そしてそれは、私が昔から知っていた事なのだと、分かったのです」

 初めて、マダンの顔に驚きの色が浮かんだ。

うたのか、異世界から来た者に」

「それ以上は、何も言えませんが」

「お前もか。ここは本当に、秘密だらけだな。が、まあそうか。国を出て一年と少しで、そのような経験までしておったか」

 腕を組み、感慨深げに天井を見上げる。

 トルカネイは、身を乗り出して語った。

「ここの皆は、イカれた連中です。礼儀も知らぬし、せっかちです。だが、楽しい。ここでは、ワンドゥルの一年分の時が一月で流れるようです」

「これ以上出奔が長引けば、祖国には戻れぬかも知れぬぞ」

「それも、自分で選んだ道です」

 マダンは大きく息を吸い、長い溜息をついた。

「ならば、良い。お前たちがこれから生きる世界だ。お前たちの望むように作り変えていけ」

 緩やかに言葉を紡ぎ、ニヤリと口角を上げる。

「ただな、大人は自ら席を譲ったりせぬから、手練手管を尽くし、己の力で押し退けるが良い」

「はい」

「ゆっくり話せる時が来たら、わしにも異世界の話を聞かせろ。大いに興味がある」

 そういって、偉大な騎士は子供のように笑った。



 看護婦が来てルゥリアとケリエステラ所長の世話をする間、アルビーも携帯端末に呼び出しが来て席を離れた。

 看護婦が出ていくと、二人きりになった。

 ずっと聞きたかったことを聞く機会かも知れない。ルゥリアは、思い切って声を掛けた。

「所長」

「なんだ?」

「一つ伺っても良いでしょうか」

「ああ」

「所長はなぜ、私が被験者になる事に反対されたのですか?」


 沈黙の後、ケリエステラが口を開く。

「済んだ事、じゃ駄目か?」

「いえ、私は、別にそれでも……」

 躊躇うルゥリアを見て、ケリエステラは首を振った。

「まあ、いいか。本来ならグランがするべき話だがな。私にも関係も、責任もある話だ」

 腕を伸ばしてカーテンを開いたケリエステラ。天井を見上げて話し始めた。

「前に、ディヴァ皇国から来た少年の被験者がいたんだ」

「ノランさんから聞きました。体を壊して帰ったって」

 ケリエステラの片眉が上がる。

「本当にそう言ったのか?」

「え?」

 意外な言葉に、ルゥリアは記憶を辿った。

「そういえば、もういない、と言っていました」

「そうだろう」

 ケリエステラは口を曲げる。

「ガイカは、死んだのだからな」


 その少年は、ガイカ・キネトシと言った。ディヴァ皇国の士族の息子だった。

 祖父が鬼骨鎧の武者であった彼は、自らも鬼骨鎧の適合資質を持っていた。だが今までの試験では、その資質が発動していない。

 本来、薬物を投じるこのプロジェクトでは、被験者は世界の成人標準である十八歳からとしている。

 彼は十四歳。ディヴァ皇国におけるサムライの成人儀式は済ませていたが、本来なら被験者として受け入れられる年齢ではなかった。

 だが彼の、傾いた家運の復興を誓う気持ちの強さが、メールで、国際電話で、動画で、自筆の手紙で、幾度も送られてきた。二人はその気迫に押された。

 同時に、鬼骨鎧適合者も竜骨騎操者として覚醒させられるかどうかも、研究者としての興味を引いた。

 二人は受け入れを決め、ガイカはアバンティーノにやって来た。


 しかし、七ケ月の被験者としての彼の成績は芳しくないものだった。

 竜骨騎操者と鬼骨鎧操者において、適性が活性化する為に働く遺伝子グループは同じだと分かっていた。それゆえに、彼も竜骨騎の適合者として活性化させる事ができると二人は考えていた。

 だが、研究が進むにつれて、そうはいかない事が分かってきた。

 たしかに、共通する部分も多い。覚醒して操者となるには、自我の拡大と他者との融合という、矛盾した行為を共存させねばならない。

 だが竜骨騎は生の力で、鬼骨鎧は死の力で動く。操者が両者に捧げるべきものは、全く逆で、同じ手法で達成させることはできなかった。その適正は似て非なるもので、ガイカには人造竜骨騎は動かせないと分かった。


 ケリエステラには、人造鬼骨鎧の構想もあった。だが竜骨騎が成功しないと、次には進めない。

 一方ガイカの体は、薬剤の副作用によって限界に達していた。

 彼の養成プログラムからの離脱が決定し、ホイデンスが説明した。自分たちの見込み違いを詫び、彼も納得してくれた筈だった。成功の保証が無い事は、被験者となる前に何度も説明していたのだし、こちら側に法的な非は無かった。

 だが離脱の日の朝。彼は寮の自室で、自らの腹を切り裂いた死体で見つかった。部屋は血の海となっていた。


 ルゥリアは、息を呑んだ。

「切……腹」

 ケリエステラは顔を歪める。

「ああ。ルームメイトがやはり離脱プログラムに移行したばかりで、一人部屋になっていたのが、まずかった」


 ガイカの遺体を引き取りに来た両親は、両所長の説明と謝罪に、一言も言葉を返さなかった。

 その後ホイデンス所長は倒れた。その時になって、彼がガイカの切腹以来何日も食事を摂っていなかったことが分かった。

 ケリエステラは、ホイデンスを労り、慰め、励まし、叱り、怒り、最後には殴った。それがどれほど功を奏したか、彼も少しずつ立ち直っていった。だが、完全に事件以前と同じには、戻らなかった。


「あれ以来、あいつはずっと思い詰めている。眠っている時以外は寸暇も惜しんで思索している。元からそういう所はあったが、常軌を逸するほどに、そうなった。ガイカの声を聞くのを恐れているか。声を聞く方法を探しているのか。どちらでもあるのかも知れん。

 だから、お前が応募してきた時、私は反対したんだ。もしお前がガイカの二の舞になったら、あいつはもう立ち直れないだろうと思ってな。だが、あいつは聞かなかった」

 一つ、息をついた。

「なあ、ルゥリア。死ぬなよ」

 かぶりを振って、

「いや、これはお前に言う言葉ではないな。お前が死なないように、私達が全力で支える」

 ルゥリアの胸に、熱くて痛い何かが宿った。

 いつも無表情で苦言を呈するホイデンスの顔が浮かぶ。その奥に、そんな思いがあるとは、想像した事もなかった。

 スタッフや被験者の皆も、その記憶を抱えた上で、自分を迎え入れてくれたのだ。そんな彼らから見て、自分はどれだけ危なっかしく見えただろう。いや、今でも危なっかしい自分を、皆は不安を抱えながら支えてくれているのだ。

「ありがとうございます。でもケリエステラ所長も、もう無理をして倒れないでください」

「お前に、それを言われるとはな」

 ケリエステラは苦笑いした。



 その日の午後、マダンとベネンメーリオを載せた船は、ヴルカヌス島を離れた。



 翌日。体調が回復し、内輪山の試験ブースに戻ったルゥリアは、会議室に呼び出された。

 そこには、ホイデンス所長の他、一足先に戻っていたケリエステラ所長とゼーヴェ、主要スタッフが並んでいた。トルカネイにアルビーとホベルドも席に着いている。そしてアバンティーノに残っていたナイード営業部長も。

「ナイードさん!」

「久しぶりだね。ルゥリアちゃん」

 彼は変わらない快活さで手を振る。

「さあ、始めようか」

 ケリエステラ所長が促し、ルゥリアも椅子に座った。

「今回の実戦演習の結果をデータに反映させた結果、グーフェルギとの対戦シミュレーションにおける勝率は73%に達した」

 ホイデンスが話を引き取る。

「お前の技能向上曲線と、薬剤投与の副作用による身体機能低下曲線の交差予定点は二十八日後と前後六日間。その期間に向け、今から実戦フェイズに移行する事が適切だと判断した」

 ナイードはそれに続けて、

「でもその前に、ルゥリアちゃんの意思を再確認する必要がある。だから僕が来た訳だ」

 その口が引き締められ、笑顔が消えた。

「君が承諾すれば、騎士協会を通してグーフェルギへの果たし状を公開する事になる。もう後戻りはできない。正直、僕は今でも君が引き返せばいいと思っている」

 その言葉に、ホイデンスたちは特に異を唱えない。アルビーもホベルドも、ただルゥリアを見つめている。それはこれが、神聖な選択の時だからだろう。誰にも頼らず、誰にも影響されず、誰のせいにもせず、自分で決めなければならない時。

 ルゥリアは、深呼吸をした。

 ナイードの、自分を案じてくれる気持ちは嬉しかった。それでも、自分には戻る道は無いという思いは不動のものとなっていた。

 ホイデンスの顔を見る。彼が、どれほどの反対を、心配を押し切って自分を受け入れてくれたか。どれだけ二度目の悲劇を起こさぬために意を注いでいるか。

 そしてホベルドやアルビー、フェネイン主任やトルオがどれほど案じてくれているか。


 私は、幸せ者だ。こんなにひねくれているのに、こんなに皆に助けられているなんて。

 それでも、いや、だからこそ、行かなければならない。最短の道を、一刻も早く。だって、クルノが待っている。


「ありがとうございます。ですけれど、気持ちは変わりません」

 ナイードは、少し寂し気な笑みを浮かべてうなすいた。

 ルゥリアはホイデンスとケリエステラに向き直って宣言した。

「実戦フェイズへの移行、お願いいたします」

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