十四.果し状
頭に振りかけた粘り気のある液体を、両手で髪に良く馴染ませる。目を閉じたまま手を伸ばしてシャワーの蛇口を開き、噴き出した水に手を差し入れた。温度が上がったのを確認して頭を流れの下に入れる。
手指でかき上げ、湯にさらすうち、髪の手触りが変わっていき、ルゥリアは心が浮き立つものを感じていた。
グーフェルギへの仇討ちを宣言する事が決まり、もはやルゥリアが正体を隠す必要も無くなった。宣言の動画を撮影する為に、銀色に染めた髪を元の栗色に戻すことにしたのだ。
肌の色がくすみ、唇の色が悪くなっているのは、薄く化粧をすればいい。元の姿に戻った自分を想像し、ルゥリアは湯を止めて顔を上げ、目を開けた。
ホイデンスが仮所長室で思索にふけっていると、
「所長、戻ってきて」
アルビーの棘がある声が彼の意識を引き戻した。
「うむ」
顔を声の方に向けると、アルビーの横でルゥリアが悄然としていた。染髪剤を落としに行った筈だが、まだ湿っている髪は白髪のまま。
「どうした。除去剤は使ったのか」
「使いました」
暗いつぶやきが返ってきて、彼は事情を察した。服用してきた薬剤の副作用で、本当の髪色も抜けてしまったのだろう。彼は深く息をついた。
「ノランには会ったか」
ルゥリアは無言でうなずく。
「なら、あいつの髪の色が戻りつつあるのを見ただろう。若いお前の髪は、副作用も極端に出たが、仇討ちを終え、投薬をやめれば必ず戻る。絶対にだ。安心しろ」
重ねて断言すると、アルビーが無言でルゥリアの肩に手を置く。引きつったルゥリアの頬も微かに緩んできた。
「はい」
「撮影の為に、元の髪の色に染めることも出来る。アバンティーノから取り寄せる必要があるが」
ルゥリアは少し考えた後で首を振った。
「いいえ。このままで構いません。これが今の私ですから」
ブルカヌス島の会議センターには、撮影スタジオも設置されていた。そこでルゥリアの仇討ち宣言撮影が行われた。
騎士の礼服を身にまとい、遠隔操作カメラの前に立った彼女。鞘に包まれた剣を床に突き立て、両手で柄を押さえる。
ブザー音と共に、カメラの赤ランプが点灯、撮影開始を告げた。ルゥリアは息を大きく吸い、話し始める。
「革命騎士を自称するグーフェルギ・ハリバンへ告ぐ。私はノヴォルジ帝国の騎士ヴィラージ・バリントス・デア・トルムホイグの娘、ルーンリリア・バリンタである」
カメラの直上に位置するプロンプターに表示される字幕。それがちゃんと読めている事で、自分は落ち着いていると確認した。
「私は、偉大なるノヴォルジ帝国皇帝たるロズフェリナ・ゼノバ・デア・ゲントニーデ陛下のお許しと、マレディオン・クールド連合王国ルベンス伯ディグナー様のご支援を受け、鍛錬を続けてきた」
ルゥリアの小さな体に合わせた礼服と剣も、ナイードが要請してルベンス伯が送ってくれたものだ。
「今、父の仇を討つべく汝に決闘を申し入れる。戦いは無論、ゴーレム戦である。場所、日時とも汝が指定するがよい。
騎士に保障された仇討ちの権利を行使し、諸国軍への通報は行わない。騎士の誇りがあるなら応えよ」
語る内に感情が高ぶっていく。ルゥリアは頬を紅潮させ、肩に力を込めて叫んだ。
「よしんば汝が応えなかったとしても、遭遇時にはこちらから戦いを挑む。覚悟せよ、グーフェルギ!」
世界騎士協会のサイトで配信されたその動画は、一気に世界からのアクセスを集めた。
協会を通じて応援のメールが数千通届き、彼女を指名しての寄付も、数日で五百万ギルスを突破した。
かつて報道された時と色が一変した髪を気遣う声も多数寄せられ、騎士協会が弁明の声明を出すほどの騒ぎとなった。
「ヴィラージの小娘が?」
トマーデン公は、府城トマルドグズにて、その報せを聞いた。ノヴォルジ帝国でも北東に拠る公領の事、窓の外に広がる城と街並みには、まだ雪が多く残っている。
「操者として覚醒したというのか」
半信半疑の面持ちに、家宰リーフェル・マテュクスが告げる。
「そのようです。騎士協会が仇討ち認可に許諾を与えたと、ノヴォルジ帝国政府にいる者から情報がありました」
「ふむ」
考え込む
「いかがなさいますか?」
「当面は放っておけばよい」
公は首を振る。
「グーフェルギはその果たし状に応えまい。諸国軍が探し求めても奴を見つけられぬのに、あの娘が会敵できるとは思えぬ。仮に戦えても、一年も鍛錬しておらぬ娘が勝つ事はあるまい」
リーフェルは無言で肯く。
「だが、こうなったからには、ラマルギオにあの件は中止するよう、伝えておけ」
「は」
公は手にした書類に視線を戻し、呟いた。
「ラマルギオが、吐かせられなんだとはな」
その指示は当日中にトルムホイグに届き、同じ報せを聞いて衝撃を受けていたラマルギオに止めを刺す形になった。
その日を最後に、クルノ達一家への尋問は止まった。だが牢内のクルノは、それがどういう理由によるものか、知る事は出来なかった。
二日後、革命騎士グーフェルギは仇討ちの決闘について、これを拒否する文章をネット上に公開した。
その中で彼は、革命の戦いが本儀だとし、弱き者、数少き者、虐げられし者、そういった者の為に戦うと宣言した。
ルゥリアに対しては、応じられない事を詫びつつ、いつか世界のどこかで遭遇した時に戦う事を楽しみにしているとして、文を結んでいた。
「予想通りだ。革命騎士団は反社会団体だ。こちらが安全を約束しても信用はするまい」
仮の所長室で、ホイデンスは言った。ルゥリアは不安な面持ちになる。
「では、こちらから世界を探し回るのですか?」
「最悪の場合は、そうだ。まあその場合でも、相手の行動を予測して先回りぐらいする。だがその前に、試しておく事がある。奴を戦いの場に引き出すのだ」
「いったいどうやって?」
ホイデンスは息を深く吸い、一気に言葉を吐き出した。
「秘密だ!」
「はい?」
聞き間違いかと思ったルゥリアが首をかしげると、ホイデンスは目を細めてゆっくりと繰り返した。
「ひ、み、つ、だ!」
「は、はあ……」
どうも自分に教えるつもりが無いらしいと理解したルゥリアは口をつぐむ。ホイデンスはタブレットを操作しながら指示を読み上げた。
「お前は今まで通り、鍛錬を続けろ。
戦いは、いつ起こるか分からん。こんな離島だ。グーフェルギがそれと知らず革命とやらの為に上陸してくることもあり得る。
その時になって準備が出来ていないなど、あってはならん。俺が最も嫌いな言葉は、『まさか』だ」
ルゥリアは、その言葉に胸を衝かれた。
そうだ、グーフェルギはノヴォルジ帝国の国境を侵して襲ってきたのだ。他でも、相手の不意を衝いてきている。マレディオンの軍事施設があるここが襲われても、不思議ではない。
「はい」
ルゥリアは肯いた。
三日後の朝、ゼーヴェは練習室に現れなかった。
不穏なものを感じたルゥリア。トルオに呼び出してもらうが、応答がない。トルオは医師メドーンも呼び、共にゼーヴェの部屋に向かった。
その短い道程の間も、不安がルゥリアを襲う。初めて会った時に比べて、ゼーヴェが痩せ、血色も悪くなっているのは感じていた。両所長を怒鳴りつけたように、その気力に衰えは見られなかったが、体調が悪化しているのは明らかだった。
騒ぎ立てたわけでもないのに、ホベルドやアルビー、ルギウスが無言でついてきたのも、心をさらに乱した。
トルオが鍵を解除し、慌ただしくゼーヴェの部屋に入る。
その瞬間に鼻を衝いたのは、血の匂い。目に映ったのは、真っ赤に染まったシーツの上に横たわる老人の姿。
ルゥリアは悲鳴のように叫んだ。
「ゼーヴェ様!」
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