七.光

独白:クルネイス・バーニク

 父や姉のように、どんな痛みだって、声一つ漏らさず耐えるつもりだった。

 でも、自分には無理だった。

 痛い思いをするたびに、情けない悲鳴を上げた。叫び、じたばたと暴れた。

 人の拳や足だけが怖いのではないと思い知らされた。

 火の付いた煙草が怖くなった。

 水の入ったバケツが怖くなった。

 自動車のバッテリーが怖くなった。

 眠るのも怖くなった。

 目の前で父が、姉が痛めつけられるのを見せつけられ、何度も泣いて、吐いた。

 格好悪くもがいて、あがいて、それでも、一番大事なことだけは決して言わなかった。

 お嬢様の……ルゥリア様の居場所だけは。


*******************


 一家の拘留から一か月以上が過ぎた。

 領主館の公務を司る表側。その廊下でラマルギオ分隊長にカニングムが声を掛けた。

「幾分、手間取られておられますな」

 ラマルギオは忌々しげに吐き捨てた。

「思う存分責められるものなら、とうの昔に吐かせている」

「なるほど、あのお言葉ですかな」

 カニングムの言葉に、ラマルギオは苦々しい沈黙で答えた。


 ラマルギオは、トマーデン公に責めを抑制されている。

 逮捕直後、一度サイデリス城に戻ったカニングムを通しての伝言で、クルノと家族の命を奪ったり、見た目に明らかな障害が残るような責めは避けろと仄めかされたのだ。


「閣下のお考えは、わたくしなんぞには計り知れませぬ」

「で、あろうな」

 カニングムはあっさり肯定した。

「閣下に問い合わせしてみてはいかがですかな。今でもそのお考えに変わりがないか」

 ラマルギオはカニングムを睨みつけた。

「そのような事を言うな。冗談でもだ」

「これは失礼しました」

 カニングムも表情を変えずに答える。


 公の下での憲兵は、軍律の執行者であるのみならず、治安維持の予防的活動にも深く関与してきた。

 それは、潜伏する反体制派を摘発するだけでなく、今は法に触れていないが、敵対要因になりかねない人物を、除去することも含まれている。

 決して表ざたに出来ない任務。公からも、明言されることはない。言葉の端からの微かな仄めかし、そして表情。決して確かめる事なく、自らの責任でそれを行う。ラマルギオの任務は今までもそうだったし、これからも変わらない。


 本当に公がそれを言われたのか。そんな微かな疑惑がラマルギオの心に浮かんだが、それを自ら打ち消した。

 カニングムは、ひたすら公の意向を忠実に実行することが最大で、ほとんど唯一の取り柄と言っていい官僚だ。自分のように、己の責で言外の意を汲み取って行動する、そんな事は求められてもいなかったし、しても来なかった。トマーデン公の発言を捏造などという、命知らずな事をする人間でも出来る人間でもない。

 だから、それは公の言葉に違いないのだと、ラマルギオは思った。公は、万が一にもあの娘が仇討ちに成功し、トルムホイグの領主として返り咲く可能性を考えられたのだろう。

 ならば自分は、それに従ったうえで、何としてでも聞き出すしかないのだ。あの娘の行方を。



 クルノは父のうめき声で目を覚ました。薄暗い牢の中、父のいる方の壁に無駄と知りつつ目を凝らす。

 父は足を失って以後、心臓が悪くなった。年齢もあるし、負傷から後、心臓への負担が大きいようだ。家でも時々痛みをこらえていたが、牢でのひと月でその頻度が増しているようだった。

「と…」「しっ!」」

 父に声を掛けようとしたが、即座にたしなめられた。そして、久しぶりに出した自分の声のしわがれ振りに恐怖を感じた。

 うつむき、歯を食いしばる。

 このひと月で、自分も手足の筋肉が落ちた。体中の関節が痛い。細かな傷も治りが悪くなった。そして、小便に血が混じるようになった。

 父の隊長もさることながら、姉はもっと苦しい思いをしている。わざとクルノの前で、辱めるような責めを受けているのだ。それでも一言も漏らさず耐えているが、やはり牢では苦痛を堪えている気配がする。

 クルノは頭を抱えた。



 全ては、自分たち三人で話し合って決めた事だ。ヴィラージもメラニエも亡き今、ルゥリアを守り抜くと。そのために、三人で朽ちてもいいと。それぞれが、なぜそこまで命を賭けるのか、特に尋ね合いはしなかった。

 この家族は、父が主君を戦で失った後、ヴィラージに拾われる事で生まれた。トルムホイグに他に身内はいない。ヴィラージもメラニエも、結婚の経緯から互いの親族とは疎遠だ。二つの家族は、似た事情を抱えて、一つの家族のように互いを思っていた。

 だからルゥリアの為に、何でもできるし、しなければならないという決意は三人共通のものだ。

 だが、日一日父と姉が死に近づいているのを感じる恐怖は、想像での準備などでは耐えられそうもない。

(ああ!)

 クルノは喉の奥で悲嘆した。

 今思えば、父と姉に反対されても、一人で自害するべきだったんだろうか。死ぬのが自分一人であれば、どんなに楽だっただろうに。



「……ノ!」

 遠くからの声が、クルノの意識を呼び覚ました。

 懐かしい、ずっと聞きたかった声だ。

「……ルノ! クルノ!」

 瞼を貫いて差し込む黄金の光。

 目を開けると、まばゆい光の中から、あの人が扉を開け、手を差し伸べていた。

「クルノ、助けに来た!」

「ルゥリア様!」

 震えるほどの喜びに包まれて手を出した所で、クルノは目が覚めた。


 光は消えていた。

 扉は閉じている。

 差し出した手は、何も掴んでいなかった。

(ルゥリア……様)

 クルノは顔を両の手で握りつぶすほど強く抑え、小刻みに体を震わせた。



 もう、嫌だ。

 誰か……誰か助けて。



 翌朝、ラマルギオは昨夜の監視に就いた憲兵から、クルノの嗚咽について聞いた。

 彼はその兵を労って就寝を許可すると、口元を強く引き締めて宙を睨んだ。

(ここが、勝負どころか)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る