八.従士として
その日、取調室に連行されたクルノは、今までより厳重に椅子に縛りつけられた。直後に、ラマルギオと共に騎士軍の軍医と軍魔術師が入って来る。クルノは軍医に袖をまくり上げられ、注射を二本打たれた。
直ちに全身をけだるさと眠気が襲い、意識が朦朧としてきた。慢性化していた体中の痛みが消え、クルノは解放感に包まれた。
自白剤の類だろうと、ぼやけた意識の中で懸命に考えた。そういうものについては、スパイ小説や映画などで大まかには知っていた。
父も、遅かれ早かれ、薬剤が使われるだろうと警告していた。その話を思い出しながら、クルノは自分に言い聞かせる。しっかりしろ。眠るんじゃない。眠りを許してもらうために、どんな取引もするんじゃない。
クルノが懸命に自分を保とうと奮闘していると、入ってきたラマルギオが、普段と違って横に座った。
『クルネイス・バーニク。君の忠義には、心から感服した』
その声は、厚いカーテンを通したようにぼんやりとクルノに届いた。それでも、その落ち着いた声からは、今までの険が消えている事は、すぐに分かった。
『ここまで長い間、私が聞き出せなかった事は無かった。私の負けだ。だから、とても大事なことを君に明かしたい』
彼の手が、優しく肩に置かれる。
『我々は、ルーンリリア嬢の命を奪ったり、危害を加えたいのではない』
これも、父から聞いていた。こういう尋問では、必ず責めるだけではなく、懐柔の手も差し伸べてくるのだと。弱っていると、そこで示された救いに飛びついてしまうのだと。
耳を傾けるな。それは、裏切りへの罠だ。クルノは自分に言い聞かせる。
だが背後に立った軍魔術師が、クルノには分からない言葉……魔語を唱え始めると、クルノの周りから光が薄れていく。
闇の中、クルノは立っていた。その耳元で声がする。ラマルギオだろうか。それとも、魔術師の声だろうか。ぼやけて反響する声は、誰のものだか分からない。
『ルーンリリア嬢の事が心配だ。万が一にも彼女がゴーレム騎士として覚醒した時、グーフェルギに勝てるのか。優れた騎士だったヴィラージ殿より、彼女が一年かそこらで強くなる、そんな事があるだろうか』
(!)
クルノは衝撃を受けた。ルゥリアが仇討ちを目指すと聞いてから、考えないようにしていた事だった。もし彼女が戦いで敗れたら、ヴィラージ様と同じ目に遭ってしまったら……。
『その時は、ああなるのだ』
促されて振り向いたクルノは凍り付いた。
闇の中、スポットライトに照らされたように浮かぶ空間に横たわるのは、騎士の服を着た小柄な姿。見慣れていた、そして懐かしい明るい栗毛の髪。
(ルゥリア……様?)
恐る恐る近づくと、体の下から赤い液体が流れ出てきた。
「ルゥリア様!」
血の海の中に踏み込み、彼女を抱き起そうとした。だが……。
彼女の半身は、潰れていた。
「わあああああああああああ!」
気が付けば、再び闇の中にクルノはいた。その腕の中には、何もない。だがその感触は今でも残り、心臓は破裂せんばかりに激しく鼓動していた。
『これは、変えられる未来。防げる未来だ』
あの声が響く。
『彼女が戻り、しばらく外に出なければ、それでいい。事が終わるまで、そう、長くても二年くらいだろう』
事? その台詞が注意を引く。だが止まらない言葉が、薬で麻痺しかかったクルノの意識を押し流す。
『彼女と君が暮らすのは、ここだ』
周りが明るくなった。
そこは、こじんまりとした家の中だった。暖炉には火が入り、低いテーブルを囲んで並べられた暖かそうなソファ。
見回すと、窓の向こうには白く輝く雪山の景色。
狭くはあるが、牢とくらべものにもならない快適な場所。
ああ、ここにずっといたい。牢に戻りたくないと、クルノは思った。
『外からの好奇の目と、彼女の自由への意思から、彼女自身を守るのが君の仕事だ。無論、父上と姉上にも安全に住む所、完全な医療を保証しよう。事が終われば、みな大手を振って自由に出歩ける』
父と姉の事を言われると、クルノの胸が苦しくなる。もし本当に二人を助けられるなら、何だってしたい。
『想像してみたまえ。ルーンリリア嬢がここに居ると』
その言葉を聞いた瞬間、胸をはっと突かれ、目を閉じる。再び瞼を上げた時、ルゥリアが立っていた。クルノの鼓動がドクン、と音を立てる。
彼女は、不安げに辺りを見回し、そしてクルノを見上げた。
『最初の内、彼女は君を責めるだろう。泣くだろう。それでも、君は彼女を守るために耐えられるはずだ』
泣きながら何かを叫び、抗議するルゥリア。その声はノイズのようにかすれて聞き取れないが、自分を非難していることは分かる。彼女を落ち着かせようと肩に手を置くと、彼女は両の拳でクルノの胸を叩いた。
クルノの胸に感情が溢れ、
「ルゥリア様!」
彼女を強く抱き締めた。だがその瞬間、全てが暗転し、クルノを再び闇に呑み込んだ。腕の中は、再び空虚になった。
「ああ!」
悲痛な叫びが、口から洩れた。手のひらに残ったぬくもり、腕に残った小さな体の感触。胸に残った拳の痛み。その全てが、心を熱く惑わした。
(怒られても、嫌われても良い。ルゥリア様に……会いたい!)
クルノは、泣いた。
憲兵分隊長ラマルギオは、口の端を釣り上げ、小さく呟いた。
「落ちたな」
『君の願いは叶うとも』
クルノの周りに光が満ち、無数の足音と話し声が沸き上がった。
目が慣れてくると、そこは人々が行き交う空港の巨大な待合ロビーだと分かった。写真やテレビでしか見た事はないが、帝都ロゴドワードの国際空港だろう。
『君が行って、彼女を連れ戻せばいい。君の、真の忠誠心を信じているよ』
声が背中を押す。クルノは、
「で、でも、チケットはどうすれば」
と問い返す。
『我々が手配するとも。目的地はどこだったかな?』
掲示板を見る。そこには、ノヴェスターナの帝都グランデンや、マレディオンの王都ノルニウムなど、良く知った世界的大都市の名があった。それ以外の表示は、なぜか文字が崩れていて読むことができない。
ああ、そうだ。あそこへの直行便は無いんだった。
『大丈夫。目的地が分かれば、そこまでの乗り継ぎも手配しよう。どこに行くのかな?』
「それは…」
クルノは口に出しかけ、少し迷う。何かが、それを躊躇わせる。だが、その正体をはっきりと認識できないまま、ルゥリアに会いたい気持ちに押し切られる。
「ア……」「何やってるんですか」
懐かしい声がした。懐かしく、でもぶっきら棒で、低い声が。
「トレンタ!」
嬉しくて思い切り振り向くと、そこに立っていたのはやはり彼女だった。だがその声の通り、冷たい目でクルノを見つめている。クルノは我に返り、口をつぐんだ。
トレンタがあきれたようにかぶりを振る。
「そうではないかとは思ってましたが、先輩はやっぱり馬鹿なんですね」
「な……馬鹿ってなんだよ!」
『どうしたんだい、一体何を言って……』
「外野は黙らせましょう」
トレンタの一言で、誘惑の声は聞こえなくなった。同時に世界は凍り付き、周りの人々は動きを止め、全てが静寂に包まれた。
「また同じ間違いをする気ですか? なんでもいい子いい子すれば守ったことになる訳じゃないって、私、言いましたが」
彼女の舌鋒は変わらず鋭く、クルノをたじろがせた。
「だ、だけど、嫌じゃないか、ルゥリア様が戦って死ぬなんて!」
「私だって嫌です。でも彼女は騎士の子で、ゴーレム適合者でした。ずっと騎士になる事は考えていましたよ。昨日今日の事ではないです。そんな事、先輩が一番分かってると思いますが」
クルノは、その言葉に返す事が出来なかった。
「それなのに先輩は、彼女の覚悟を見誤って、また裏切るんですね」
「裏切る!?」
クルノは目を見開いた。その言葉の強さに、頭に血が上る。
だがその脳裏に、ルゥリアが出奔したあの日、帝都のカフェで彼女を止めようとした時の光景がよみがえった。
トレンタは追い討ちを掛ける。
「要するに、先輩がつらさから逃れるために、都合のいい話に飛びついたってことです」
「そうだよ!」
クルノは耐えられずに叫んだ。
「つらいんだよ! だって、ルゥリア様を助けたいんだ! 父さんも姉さんも助けたいんだ! みんな大事なんだ!」
「はい」
トレンタはその叫びを正面から受け止めた。
「で、ルゥリア様は逃げ出したいと思っているんですか? ゲオトリー隊長は、ティクレナさんは助けてくれって言いましたか?」
クルノの体が凍り付いた。そしてうなだれる。
「……そう、裏切り、だよな」
長く息を吐く。
「ルゥリア様は、見た目よりずっと頑固で、ずっと熱い人です。隊長も、ティクレナさんも。先輩がご存知の通り」
「そうだよな……。結局、僕だけが逃げ出そうとした。楽になろうとした。そう言う事なんだよな」
クルノは涙を流しながら懸命に言葉を紡ぐ。
「そうですね」
「でも、このまま逃げ出したら、きっと死ぬ時に自分を許せないだろうな」
「でしょうね」
不愛想な答えだったが、トレンタの視線と表情はずっと柔らかくなっていた。クルノも、肩の力を抜き、涙を拭って、微かに笑みを浮かべる事が出来た。
「全くさ、何でお前が夢の中にまで出てきて説教するんだ」
トレンタは、顎に指をあてて考える。
「そうですね。先輩の心の中の、自分を客観視する部分が私の形を取ったんでしょう」
「よくそんな事を冷静に分析できるな」
クルノが言うと、トレンタは視線を上げて睨み返した。
「そう認識しているのは先輩の方ですから、私に言われても困ります」
「ごめん」
クルノは謝った後で、微笑んだ。
「でも、いつも、ありがとうな」
トレンタも、今まで直接見た事の無かった、穏やかな笑顔を返した。
「言ったじゃないですか。私は、率直をモットーに、出来る範囲でだけお役に立ちます」
クルノは目を開けた。そこはいつもの恐ろしい取調室。だが、もう震えるほどの恐れは無くなっていた。
「おい、大丈夫か!」
目の前には肩を揺さぶるラマルギオ分隊長。
「……大丈夫です」
「そうか。良かった」
分隊長は安堵した様子だった。
「まあいい。心は決まったのだろう? 話してくれないか。彼女はどこに居るか」
クルノは息を吸い、首を振った。
「話せません。いえ、話しません」
「なん……だと」
ラマルギオの温和な表情が一変した。
「ルゥリア様や父や姉の覚悟に、やっと僕も追いつきました。誰が死ぬとしても、ルゥリア様の居場所は墓穴まで持っていきます」
そこまで行ったところで、ラマルギオの拳が飛んできて、椅子ごと吹っ飛び、床に叩きつけられた。
口の中に広がる血の味。舌の上に落ちた異物を吐き出す。一本の奥歯だった。
クルノはそれを見て、微かに笑った。
その後もラマルギオはクルノへの尋問を続けたが、彼から居場所を聞き出す事は出来なかった。
そして三週間ほど経ったころ、部下がラマルギオに情報を耳打ちし、彼は目を大きく見開いた。
「何い!」
その日、クルノと家族への尋問は無かった。
翌日も。その翌日も。
何が起こったか、クルノには分からなかった。
ただ、この戦いで、少なくとも一つの勝利を収めたのは確かだった。
それは同時に、自分と家族を生かしておく必要が無くなった事を意味するのかもしれない。それでも、いいのだ。
自分は、トルムホイグの騎士ルーンリリア・バリンタ様の従士として死ねるのだから。
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