五.痛みの報酬

 ホイデンスの発言に、ルゥリアは一歩前に出て抗議した。

「待って下さい! 私の剣術指南はホ…ホッブさんです!」

 殿下、というのをかろうじて思いとどまる。この老騎士がどこまで明かされているかは分からない。

「決めるのは所長だよ、ルゥリアちゃん」

 ホベルドはルゥリアの肩に手を置いて宥めながら、軽い調子でゼーヴェとホイデンスに顔を向けた。

「だけど、彼女と俺は確かに剣術指南の誓いを交わしましたし、指導にも少々自信があります。まあ、本当の指導騎士様には遠く及ばないでしょうけどね」

 ゼーヴェは二人を見比べ、初めて口を開いた。

「ご謙遜なさいますな、ホベルド殿下」

 ホベルドとルゥリアが思わず視線を向けたホイデンスは、小さくうなずく。ゼーヴェは構わず話を続ける。

「殿下のご指導がルーンリリア嬢をここまでにしてきたのは確か。それに、それがしにはゴーレムを操る事は出来ませぬ」

 安堵の息をつくルゥリア。しかし、

「殿下には、それがしの補佐役を勤めて戴きたいと存じまする」

「補佐役って!」「ルゥリアちゃん」

 声を荒げるルゥリアを押さえたホベルドは、ゼーヴェへの口調を変えた。

「評価して頂けたのは光栄だ。ただ、失礼ながら私は貴殿の御名を存じ上げなかった。貴殿の実力を皆に知らしめる為にも、まずは私と手合わせをしていただく、というのはいかがだろう」

 皆が顔を見合わせる中、ゼーヴェはゆっくりとかぶりを振る。

「まことに有難きお申し出でありますな。ですがこの年では殿下のお相手は務まりますまい。それに試合って強い者に指導の資格が有る、というものでもありますまい。ところで殿下には、騎士見習いの指導経験がいかほど有りましょうか」

 ホベルドは

「無い」

 と答える。

「間もなく戦場に送り込まれる若者に、生き残るための戦いを教えた事は」

「無い」

「その若者が遺体袋に入って帰ってきたのを迎えた事は」

 皆が息を止め、静寂がその場を支配。ホベルドの顔が厳しくなった。

「……無い」

 ルゥリアはかっとなり、つっかかりながらも抗弁する。

「そ、その言われ様は、少しひ、ひ、ひき」「ルゥリアちゃん」

 卑怯、と言いかけたのをホベルドにたしなめられ、深呼吸して言葉を選び直した。

「……公正ではないと思います」

「ほう」

「殿下も戦場で死線を潜り抜けて来られました。自らも危険に晒されました。御自分で体得された戦場の掟を、今私に教えてくださっております!」

 両の拳を握り締めて力説すると、

「ありがとう」

 ホベルドの微かな呟きが耳に届いた。

「良いでしょう」

 するとゼーヴェの声音が、微かに軟かくなった。

「それがしが補佐、でも構いませぬ。殿下のご指導の上に、些かながらそれがしが加えられる知見があるやもしれぬ、それだけの事でございます。例えば……」

 一息を置いて、

「今日の演習で、ルーンリリア嬢をして殿下に勝たしめましょう」

「承知した」

「え?」

 ホベルドが即座に了承したので、ルゥリアは驚いて振り仰ぐ。しかし彼は視線を合わせないまま、

「では、準備もあるので私はあちらに行かせてもらう」

「どうぞ、ご随意に、殿下」

 ホベルドは背を向けて歩き出したが立ち止まり、肩越しにゼーヴェへと呼びかける。

「ところで、いちいち殿下と呼ばれるのは煩雑すぎる。もっと気楽に呼んでは戴けませんか」

 ゼーヴェは表情を変えぬまま、

「殿下が王族の籍をお離れになられた時には、そのように」

 ホベルドは肩をすくめ、出ていった。

 緊張が少し解けた格納庫で、あちこちから小声の会話が起こる中、ゼーヴェはルゥリアに厳しい顔を向けた。

「では、準備されよ、ルーンリリア嬢」



 両研究所に割り当てられたブロックには、他にもいくつか部屋があった。被験者の訓練のために確保された一室で、着替えと装備を身に着け終えたルゥリアはゼーヴェと対峙する。

「よろしくお願いいたします」

「うむ」

 頭を下げ、次なるゼーヴェの言葉を待つ。だが。

「何をのんびり待っている」

「はい?」

「これが実戦なら、お前の命はもうない」

「……はい」

「いつでも掛って参れ」

 ゼーヴェの目が光ったように見え、ルゥリアの背筋に電流が流れた。

 息を吸い込み、盾と剣を構え、

「たあっ!」

 と切りかかる。その途端、

「っ!」

 踏み込んだ足先に痺れるような激痛が走り、横に倒れ込んだ。

 足先を押さえ、痛みにかたく瞑った瞼を開くと、踏み込んだ場所に立てられた木剣の切っ先が見えた。

「筋の良い身のこなしだが、戦場でもこのような馬鹿正直な足運びでは、命がいくつあっても足らんぞ」

 視線を上げると、ゼーヴェの目が再び鋼色の光を放っていた。

「立て。寝ている場合ではないぞ」



 約一時間後、ルゥリア=プリモディウスはホベルドの操る機械騎と再び向かい合っていた。

 カウントダウンの数字が減るのを見ながら、ルゥリアは呼吸を整える。どうしても目の前にいる機械騎、その中のホベルドの事が気になる。彼が出ていく時の、今まで見た事の無い不愛想さ。

 きっとホベルドは怒っている。それも無理はないとルゥリアも思う。そしてこの戦いで勝つことが、ゼーヴェの指導者としての力を証明してしまうのだと思うと、気後れもしてしまう。だけれども、勝ちたいし、勝たねばならない。

 乱れた心に葛藤していると、機械騎が動き、右手を差し出した。

(え?)

 昨日の戦いではなされなかった行為に戸惑いつつも、半ば反射的にその手を握り、離すと、告知音と共に視界の右上に、音声メッセージを受信した旨の表示が出る。近付いた事で、近接無線通信を通して受信したのだ。

 ルゥリアはそれに意識を向け、セキュリティの警告を解除して開いた。

『ルゥリアちゃん。さっきは済まなかった』

 予想通り、ホベルドの声が飛び込んできた。


『彼に対してむきになり過ぎたし、君にも余計な心配を掛けてしまったね。

 あの後考えたが、やはり騎士の格であちらの方が上だ。それを感じた為に、かえって感情的になってしまった。まあ、若造だって事だな、俺も。

 余計な迷いを与えてしまったと思うが、俺が君に教えてきたのは、君に勝ち、そして生き残ってほしいからだ。それに君には時間がない。だから今すべきことは、俺に勝つ事だ。迷わず全力で掛かってきてくれ! 以上!』


(殿下……)

 ルゥリアは、こみ上げる感情が溢れ出さないよう、操者殻の自分の体に一時意識を戻し、瞼を押さえた。そして小さく、しかし力強く呟く。

「よしっ!」


 試合開始のブザーが鳴ると同時に、ルゥリアは踏み込んだ。しかし今度は、切り結ぶ直前に足を下した場所から斜めに滑らせ、姿勢を低くする。ホベルドが繰り出した剣は、プリモディウスの頭上を通り過ぎた。

(いける!)

 ルゥリアは勝利を確認した。


 ゼーヴェとの立ち合いで三度足先を打ち据えられた。その痛みがルゥリアに悟らせた。

 昨日のホベルドは、ルゥリアの足運びを読み、自機の立ち位置をずらして剣筋を合わせていたのだ。

 これなら、初期設定した動作を選択するだけでも思い通りの打ち込みができる。

 ならば、その読みを外さなければならない。ルゥリアはかつてノランが教えてくれた、路上の喧嘩でのフットワークを思い出し、使ったのだった。

「だああああっ!」

 低い姿勢から、剣を相手の脇に向けて斬り込んだ。その仮想の切っ先が触れると同時にロケットモーターの噴射で剣が止まり、ブザー音と共に勝利判定が表示された。



 この日の対戦は、四勝一敗となった。二日の通算では敗れたが、もう既存の機械騎には後れを取らない自信がルゥリアには生まれた。

「ルゥリアちゃん、おめでとう!」

 格納庫に戻ると、トルオを筆頭に次々と祝福の声を掛けてきた。ルゥリアは一通りそれに応えると、離れて座っていた老騎士の元に走る。

「ゼーヴェ様!」

「うむ」

「ご指導、ありがとうございました!」

 深く頭を下げる。

「これからも私の第一の師は殿下です。でも殿下は優しいお方です。ゼーヴェ様には、殿下ができない厳しいご指導をお願いいたします」

「無論だ」

 彼の表情は変わらないが、見上げた目から微かな好奇心が覗いていた。

「ところで、あの足さばきは殿下の教えか? 何という流儀のものか?」

「いえ、あれは、その……スキッフェルリンチ流のケンカ殺法です」

「そうか」

 答えたその声には微かな暖かさがあるのを、ルゥリアは感じた。


「ルゥリア」

 ホイデンスが格納庫に入ってきた。

「所長。実戦演習、二日目、終了しました」

「うむ」

 所長はうなずいた。そのほとんど動かない表情にも、満足げな心情が表れているのが、今のルゥリアには分かった。

「戦績は申し分ない。今回は良くやった」

「はい!」

「だがここに座れ」

 彼はクッションを二つ床に置くと、それを指さした。

「は、はい……」

 ルゥリアが正座すると、ホイデンスももう一つのクッションに座る。そして表情を険しくした彼は、

「演習の相手から受信したメッセージを、断りもなく開けるとは何事だ」

「あ、あの……はい」

「今日機械騎に載っている相手が本当にホベルドか分からなかっただろう。情報を盗むスパイウェア、動作を妨害するウィルスが仕込まれている可能性もあるのに、こちらが何を言う間もなく開けるなど……」

 そしてまた、厳しくも長い説教が始まったのだった。

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