四.魂の匂い
「そこに座れ」
ホイデンスが厳しい面持ちで指さしたのは格納庫の床だった。
「え?」
「座れ」
「は、はい」
足を前に出して座ると、彼の顔がさらに怖くなる。
「違う! 足を揃えて床に着け、膝を折って座れ」
「は……い?」
言われるままに従う。自分の失態の結果なので、逆らう気にはなれなかった。
「こ、これは……セイザ!」
トルオが二人を囲むスタッフたちの中から一歩前に出た。
「セイザ?」
「そう。ディヴァ皇国において、二番目に深い反省を求め説教するためにさせられる座り方なんだよ」
スタッフの中から出た声に、嬉しそうに答える。
「二番目に?」
「そう。一番重いのはドゲザと言って……なんてのはいいや」
トルオは頭を振って、所長に詰め寄った。
「所長! これは、経験のない人には辛いです! 特に子供の場合、膝を損傷する恐れがあります!」
ホイデンスはその勢いに押されたようにのけぞり、
「……では、クッションを敷いてやれ」
「はい!」
たちまちトルオを含めて三人がクッションを持ってきて、ルゥリアは三段重ねのクッションの上で、ふらふらとバランスを取りながら座る事になった。
ホイデンスはその前に自らも正座。トルオが勧めたクッションを手を上げて断る。
「ルゥリア。なぜ俺が怒っているか、分かっているか」
「はい……」
ルゥリアはうなだれた。
初の実機を相手にした演習は五連敗に終り、時間切れで格納庫に戻った直後の事である。
それを語ったルゥリアに、ホイデンスは眉間の皴をより深くした。
「違う」
「え?」
「勝敗は実力の反映だ。それは問題ではない」
背筋を改めて伸ばし、
「演習中、落ち着けと言ったのは聞こえていたな」
「……はい」
「時間を取って深呼吸しろと言ったのは?」
「……聞こえていました」
「プリモディウスは今回高い出力を安定して維持し、暴走の気配も見せなかった。さすが神ともなれば、学習も早い。暴走したのは、お前だけだ」
「……すみません」
言われるたびに、ルゥリアの頭は下がっていく。
「もしお前が、仇討ちの本番で我を失って敗北すれば、二つのプロジェクトにつぎ込まれた一億と2750万ギルスの資金、九十七人延べ約11万時間の労力、ここを去っていった被験者18人の願い、そして」
身を乗り出す。
「お前の命がないのだぞ」
「はい……」
ルゥリアは打ちのめされた。自分の気持ちだけで行動すれば、どれほどの害を自分も含めた皆にもたらすか改めて突き付けられた。
「子供だから自制できないという事であれば、そう言え。このプロジェクトからお前を外す」
「いえ。今後、絶対に自制します。申し訳ありませんでした」
「よし、報告書は明日にして、今日中に反省文を提出しろ。自筆で、紙でだ」
ホイデンスは言い終えると、立ち上がり、そして顔を歪めてよろめいた。
「はああ……」
ルゥリアは、休憩室の机の隅で、反省文の用紙を前にして落ち込んでいた。
「ルゥリアちゃん!」
トルオが満面の笑みで、紙コップを持ってくる。
「ホットチョコレート! インスタントだけど。研究所のベンダー業者に売ってもらって持ってきてたんだ!」
そのニコニコ顔を見ていると、ルゥリアは何か少々腹立たしくなってきた。
「トルオさん」
「な、なに?」
「いくら私が子供でも、とにかくホットチョコレートさえあれば機嫌が良くなるだろうみたいなのはやめてください」
「あ、ああ……ごめん」
トルオの笑顔が凍り付き、差し出したコップを引っ込める。ルゥリアはそれを横目で見て、唇を尖らせる。
「まあ、無いよりは有った方が、気分のマイナス度が減るのは確かですけど」
「そう……じゃ」
「……ありがとうございます」
むっつりとしたまま受け取る。トルオは背中を丸めて休憩室を出ていった。
背後から、あからさまな溜息が聞こえた。また背中合わせで座っていたアルベリンだった。そして。
「臭い」
ぼそっと呟かれ、ルゥリアは思わず振り向いた。
「え? 何か臭いますか?」
アルベリンは、タブレットで何かを読みながら漏らす。
「うん。魂が腐っていく臭いがする」
「それはひどいです」
思わず抗議するが、アルベリンは真顔で見返してきた。
「冗談だと思う?」
「え?」
彼女の琥珀色の瞳が、静かな怒りを称えている事に気付く。
「エルフは、敏感なんでね。そういう感覚に」
「それは……」
目を逸らし、伏せ、閉じ、そして開く。
「ちょっと、行ってきます」
ルゥリアは立ち上がった。
「あの、トルオさん!」
格納庫でタブレットに何やら書き込んでいるトルオを見つけ、ルゥリアは声を掛けた。
「なに?」
「ごめんなさい!」
振り向いた彼に頭を下げる。
「さっきは、ひどい態度でした。気を遣って戴いたのに」
「え? いやいやいや!」
トルオはパタパタと手を振った
「気にしないでよ。ルゥリアちゃんがへこむのも無理ないし。ただ、所長もルゥリアちゃんに万が一の事があってはいけないと気にしてるんだ。分かってると思うけど」
「はい」
トルオは口を引き締めた。
「もしルゥリアちゃんの命が掛かったら、所長はお金も、皆の労働時間も、躊躇わずに投げ打つよ。間違いない。そしてそんな所長を、俺たちは皆支持してるから」
「トルオさんほどじゃないけどねー」
整備士から茶々が入り、トルオも皆も笑った。
ルゥリアは、胸に熱いものがこみ上げるのを感じながらつぶやいた。
「はい」
席に戻ってきたルゥリア。
「……ありがとうございました」
そう言って、紙コップを両手で持つ。
「すみません、面倒な子供で」
小声で言うと、アルベリンは微かに表情を緩めて溜息をついた。
「全くだ」
甘い香りを放つ暖かいそれを口に含むと、自然に笑みが浮かんだ。
「や、ただいま」
夜になって、簡素な夕食を皆が終えた頃になって、ホベルドが休憩室に入ってきた。
「一体何をしていたんだ」
ルギウスが唸ると、ホベルドは視線を上に向けた。
「アルバイトの報告書が結構かかっちゃってね」
「アルバイト? 何のだ」
「国王用の機械ゴーレムを操縦しての模擬戦」
「お前かあっ!」
ルギウスは怒りをあらわにホベルドに詰め寄り、ルゥリアも口あんぐりと開けた。
「あの、殿下、一体……」
「お師匠として、弟子の前に立ち塞がるのも義務の内さ」
ホベルドはルゥリアに笑いかけた。
「そういう事だったのですか……」
ルゥリアは胸をなでおろした。
「あんた、ナンパ王子にチョロすぎるだろ」
アルベリンの嫌味は聞き流す。
「殿下、いったいなぜ、普通の機械騎であれほど強かったのですか? いえ、あの、私があまりにも力不足なだけ、だとは思うのですが……」
気分が急降下したルゥリアに、ホベルドは頭をポンポンと叩く。
「それはバイト先の企業秘密だからね。俺からネタばらしは出来ないよ」
「はい、そうですよね……」
「だけど、勝つための方法を探っていくのには、もちろん協力するよ」
片目をつぶるホベルド。
「ありがとうございます!」
元気を取り戻したルゥリアは指を顎に当てて考え、はっとある考えに至った。
「あの、殿下? ちょっとお耳を」
背伸びをして口に手の平を当てる。ホベルドは体を傾けながら、
「なに、キス?」「しません!」
「即答か。まあいいや。で、なんだい?」
「もしや殿下は、反射神経が強化された超人サイボーグなのでは?」
しばらくホベルドの動きが止まった後、のけぞって高笑いし始めた。
「ははははははは!」
「え?」
戸惑うルゥリアに、ホベルドは苦笑で語りかけた。
「王族が公費で声明違反のサイボーグなんて作ったら、えらい事だよ」
世界最高位の神官や魔術師からなる賢者会議は、様々な技術についてその是非を判断して声明を出している。サイボーグ技術についても、生身の肉体の能力上限を超えない事、という制約が発表され、各国ともそのガイドラインに従っている。少なくとも表向きは。
「やっぱり、そうですよね。馬鹿な事を言いまして、申し訳ありません……」
萎れたルゥリアに、ホベルドは手を振った。
「いや、そんな事を気にしないで。それより今は、報告書をまとめなければならないようだね」
「いえ、あの、報告書は明日で、今日は……反省文を」
ルゥリアはますますうつむいて小さくなった。
「反省文?」
アルベリンがタブレットから顔を上げた。
「そ。どこぞの誰かさんが、その子の頭に血を上らせたせいでね。色々と」
「ああ、そうか。……ごめん」
ホベルドは初めて神妙な顔になって頬をかいた。
翌日の朝。ホイデンス所長が一同の前に老人を立たせた。
その老人は痩せて小柄でありながら、その一挙手一投足から威厳が立ち昇っているように思えた。そして手には、西方式の両刃剣が。
「引退騎士のゼーヴェ・メルギエル殿だ。今まで多くの騎士を育て上げてこられた。そしてルゥリア」
ホイデンスが言葉を切ると、彼の視線を追うように老人の目がルゥリアを見据えた。
「今日からお前の剣術を指導してもらう」
ホイデンスの声が、ルゥリアの心で反響した。
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