二.見えない天井
海洋帝国マレディオン領ヴルカヌス島は、火山が崩壊した二重のカルデラ島である。
元々は漁業と農業を営む約一千人が住んでいたが、18年前に演習場に指定されて全てが退去させられた。
以後、マレディオン帝国と、利用契約を結んだノヴェスターナ帝国の軍と政府の関係者、及びアバンティーノの企業人だけが、この島に入る事を許されている。
プリモディウスと関係者を乗せた貨物船は、外輪山の切れ目から内海に入った。岸壁に着き、荷揚げを行う。そこからトレーラーとトラックで、内輪山を18等分したブロックの割り当てられた一つに向かい、山をくり抜いた空間に入る。
その山の内側のカルデラが演習場になっており、使用時間以外は演習場への扉を管制局側からロックされ、窓もシャッターで封じられている。回部からうかがい知ることの難しいその地形故に、様々な機密を抱えた新兵器の演習に使われるのだ。
ルゥリア達が入った時も、演習場は他の借用者が使っており、荷解きの最中にも爆発の振動が伝わってきた。
ルゥリア達被験者も荷解きは手伝ったが、それを終えて立ち上げが始まると、手伝えることは無くなって気儘に過ごす事となった。
ルゥリアは折り畳み椅子に腰を掛け、持ってきた紙の小説を読み始めた。タブレットで読む電子書籍より、紙の本の方が落ち着く感じがして、ルゥリアは好きだった。
アルベリンは背中合わせに座り、片膝を抱えて携帯端末とイヤホンで音楽を聴きながら、物想いにふけっている。
昨夜、龍の声を聞いたことを消化しきれないでいるのだろうと、ルゥリアは思った。そういう時、何か役に立つ事を言える自分ではないので、ただ静かに傍にいる事だけが彼女の為になると、ルゥリアは見切っていた。
だが、こういう時にそのままにしては置かない人間がここにも一人や二人はいる。そのうちの一人がやはりやってきた。
「二人とも、いい感じに無視し合ってるね」
顔を上げるとホベルドが、ジュースのパックを両手に持って立っていた。
「ありがとうございます」
ルゥリアは差し出されたそれを、お辞儀をしながら受け取ったが、アルベリンは横目で睨み、
「邪魔したいだけなら殴るよ」
「これは失礼」
ホベルドは気にした様子もなく、椅子を引っ張ってきて、背もたれを前にしてまたがって座る。
「ちょっと昔話をしたくてね」
「同い年だと思ってたけど、年寄だったの」
「いやいや」
彼は笑いながら手を振った。
「いくら長生きでも、二千年は生きられないよ」
「二千年?」
「そう。西方世界で、ドラゴンとエルフが境を接して暮らしていた時代の話」
初めてアルベリンは顔を彼に向けた。
「その時代には、精霊とではなく、竜と意思を疎通できる者がいたそうだね。龍の巫女、そう言われたとか」
ルゥリアもその話に気を引かれ、本を閉じてホベルドの方へ向き直った。
「龍とエルフは、時に争い、時に力を合わせて外敵や災害に立ち向かいもした。その時間の殆どは、無視し合っていたようだけどね。ちょうど今の君たちのように」
ホベルドは一息ついて続ける。
「やがてヒト族……ユマヌスが増え、エルフの住む森は狭められ、ドラゴンの山とは遠く隔てられた。巫女の血を持つものも、その力を生かされる事は無くなった」
遠くを見ていた視線が、アルベリンを見据える。
「君は、微かなその血が発現したのだろう。恐らくその髪の色も。ゴーレム操者適正は、その血の能力の一部なんじゃないかな。もはやエルフの間でも、ほとんど知られていないそうだけど」
戸惑うアルベリン。
「なんでそんなにエルフに詳しいの」
「多少の興味を持って調べたからね、色々と。君はどうかな?」
そう言われ、アルベリンは見るからに不機嫌になる。
ルゥリアにも察しがついた。自分を嫌い、差別する同族について、その歴史を詳しく知る気にはなれなかったのだろう。
「今は、距離の遠隔が問題にはならない時代だ。エルフが、マレディオンに居を移したドラゴン達との交わりを復活させる日も近いかもしれないね。少なくとも神龍ウォゼルには、声を聞ける者の存在は一目瞭然だったようだしね」
「だから何」
「いや、別に」
ホベルドは、もう一度紙パックのジュースを差し出した。
「ただ、昔話の後に、未来の夢のお話をしてもいいんじゃないかなってね」
アルベリンは彼を睨み、そして受け取る。
その時、トルオが駆け寄ってきた。
「起動準備終了! ルゥリアちゃん、試運転いける?」
「はい!」
ルゥリアは飛び上がってプリモディウスに向かう。
ちらっと振り向いた時のアルベリンは変わらず無表情だったが、頬に微かな赤みが差していたようにも見えた。
プリモディウスの操者殻で、ルゥリアは立ち上げと動作確認を行う。
危惧はあったが、彼はアバンティーノにあった時と変わらず、ルゥリアに応えてくれた。
彼と意識を一つにして腕や脚と翼、補助システムを確認しながら、自らの胸に暖かいものが灯っている事に気付いていた。
アルベリンの、龍の巫女としての血が必要とされる状況がこの先あるかもしれない。彼女が、自分を差別し蔑んだ故郷に、偉大な能力の持ち主として帰れるかもしれないのだ。
それを想像するだけで、ルゥリアは全身に力がみなぎる気がした。
「動作確認終了! 出られます!」
彼女はマイクに叫んだ。
ルゥリアを横目で見送ったアルベリンにホベルドが声を掛けた。
「どうしたの?」
「いや、楽しそうだなって」
釣られて答えてしまい、気まずい顔でパックの飲み口を開ける。
「理由、分かってるんだろう?」
ホベルドはプリモディウスの方を見ながら言い、アルベリンは目を伏せた。
「赤の他人の、それも先の分からない可能性だけの話で、よくもまあ……」
「でも、そういう子だ」
アルベリンは、無言で紙パックのジュースを口に含んだ。
サイレンと共に、外輪山内側へのシャッターが開く。ルゥリア=プリモディウスは、陽の光が差す演習場に歩み出た。
「うわあ……」
ルゥリアは広がる光景に思わず感嘆の声を漏らした。
内輪山に囲まれた窪地は、予想以上に丘や谷のように地形が多彩。その中に森、砂丘、池など様々な環境が作られている。地表近くにはうっすらと霧が流れていて、幻想的にすら見えた。
『それじゃ、まず一通り歩いてみて』
「はい」
フェネイン主任の声を受け、ルゥリアは補助システムが投影した経路に従って歩みを進める。
丘の向こうには、恐らく演習用であろう数階建てのビルや道路が作られていた。
歩いていくと、道路の脇にクレーターが見え、路上には散乱した土がかぶっていた。そしてセンサからの情報がルゥリアの鼻に匂いを届ける。
「うっ」
思わず、顔をしかめる。
先ほどから流れていたのは、霧ではなかった。硝煙と土煙の入り混じった、刺激臭のする靄だったのだ。
さらに警告音と共に、視界上に赤く塗られたエリアが出現した。
『前の使用者の不発弾が一発残っている。使用時間中に発見・回収できなかったそうだ。近づくな。飛んだ時もルート上にこの場所を置くな』
「……はい」
ケリエステラ所長の言葉に、ごくりと唾をのむ。
ここは既に、戦場の入り口なのだと再確認させられた。
そうだ。そうだよね。
私は、遊びに来たんじゃない。戦うために、勝つために来たんだ。
ごめん、クルノ。
歯を食いしばる。
でも。
でもね。
プリモディウスに本当の空を飛ばせてあげたい。
それだけは、許して。
『よし、飛翔試験、開始』
「はい」
プリモディウスの翼を広げ、意識を流し込む。
皮膜翼が光を帯び始めると、ルゥリアはその頭部を上向かせ、体を浮かび上がらせた。
高度10ヤグル……50ヤグル……100ヤグル。
丘もビルも、視界の下に沈んでいく。
180ヤグルを越えたところで、システムに警告が入る。200ヤグル以上は内輪山の頂を越えて海上から見えてしまうためだ。
高度を150ヤグルに下げ、飛翔力を前に向ける。プリモディウスは前に進み、ビルや丘を飛び越えつつ進む。
内輪山が近づき、大きくカーブを切る。世界が傾き、プリモディウスの周りを回転した。プリモディウスは、内輪山の内側に沿い、風を切りながら砂丘や池の上を飛んでいく。
前に、父が録画した映像を見た事があった。トルムホイグの森が視界の下へと流れていくその映像は、ルゥリアを夢中にさせた。
その映像と同じ体験を、今は自分の身体で感じている。
(見えてるよね、プリモディウス。これが、本当の空だよ)
ルゥリアは心の中で呼びかけた。
ここではまだ、見えない天井に遮られているけれど。
貴方を自由な空にきっと飛ばせてあげる。
私が動かせる、その間に。
海洋帝国マレディオンの都市ガラポルトにある軍港。
この国の中では最大級の軍港ではないが、世界に散らばるマレディオン領を支える補給の拠点として、多くの船が出入りしている。
その軍港で、一人の老人が軍用輸送艦のタラップ下にやってきた。
警備兵が、提示された書類を確認し、畏まった顔になって返す。
「確認いたしました。どうぞ」
「うむ」
老人は書類を上着の内ポケットにしまうと、細長い剣用コンテナと小さなバッグを持ち上げてタラップに足を掛けた。
「あの!」
警備員が思わず声を掛ける。
「なにか」
振り向いた老人の鋭い目に、彼の背筋を戦慄が貫いた。
「い、いえ。ただ、これは貨物用の輸送艦で、あまり快適ではないかと思い……任務外の事で、失礼かとは思いましたが」
「大丈夫だ」
老人の視線が柔らかくなり、警備兵は安堵の息をついた。
「だが、気遣いには感謝しよう」
前に向き直り、タラップを上がっていく。
「はい! 良い船旅を!」
警備兵は艦の舳先近くを警備していた同僚の元に歩いて行った。
「誰だ? あの爺さん。艦長……ではないよな」
「ああ。乗員じゃない。便乗者だ。名前は聞いたことなかった。だけど書類が全部揃ってた。海軍卿のサインまであったぜ」
「本当か」
「ああ。珍しいよな。あんな爺さんが、しかも一代貴族だそうだが、そんな人が一人で何の用なんだか」
警備兵は、老人が上っていったタラップの方を振り向いた。
「ヴルカヌス島なんかに、さ」
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