二十二.出航

 その日から、両研究所の所員は大規模遠征準備に追われた。ルゥリアたち被験者も、通常の訓練は殆ど受けられなくなり、準備の手伝いに駆り出されていった。

 ルゥリアとしては、自分がその原因の一つであるだけに心苦しくもあったが、手伝おうにも子供の自分に出来る事は少なく、また周りも気を遣って遠慮するので、プリモディウスを動かす以外の事はほとんど出来なかった。

 そして出航が二日後に迫った日、ルゥリアはホイデンスに呼び出された。

 ノヴォルジ帝国政府を通して要請していた、バーニク家の三人を従者としたいので出国させてほしいという要請。それへの、代官リグル・スワルダの返答が届いたのだった。

「平民ゲオトリー・バーニク、戦傷の予後悪く、サイデルガルス市中央病院にて集中治療中。家族も付き添いのため出国は不可、とのことだ」

 ホイデンスは低い声で読み上げ、ルゥリアの全身から血が引いた。その拒否回答は、まるで母の自害を取り繕った発表文をなぞっていたからだ。

 やはりクルノはあの電話の後で捕まっていたのだ。父ゲオトリーや姉ティクレナと共に。全身が締め付けられるような感覚がルゥリアを襲い、思わず自分の二の腕を掴む。

「これは、脅しだ。お前が知ったであろう母親の死の真相を漏らすなという、な」

 ホイデンスはうなった。ルゥリアは黙ってうなずく。本当は、声に出したかったが、自分の中で暴れまわる怯えと不安を抑え込むのが精一杯だった。

「だが同時に、三人が生存している可能性が高いことをも示している。生存の証明を求められた時に提示できなければ、皇帝からの統治代行を取り消されかねないからだ」

 ホイデンスの言葉は、ルゥリアの胸に一筋の光を差し入れた。

「ここから先は、針の穴を通すように最適ルートを選んで行かなければならない。

 お前は鍛錬して仇討に勝利し、トルムホイグの領主として戻り、三人の身柄も戻させる。これが最短コースだ。

 もしお前が焦って近道を行こうとすれば、かえって回り道になると思え」

 ホイデンスはそこで言葉を切り、正面からルゥリアを見据えた。

「いいか、ルゥリア。俺を、信じろ」

 その言葉は強く、重かった。彼女を闇の迷路から導き出してくれたあの日と同じように。

 ルゥリアはうなずいた。そして縮こまっていた喉も緊張が解け、意思を言葉として発することができた。

「はい」



 ガントリークレーンに吊るされた、人の身長の十倍はある物体、灰色のシートに包まれた一号機プリモディウスが、貨物船の船倉に収まった。船員がクレーンを外すと、整備士達がワイヤーでプリモディウスを固定にかかる。

 そこまで甲板から見守っていたルゥリアは、安堵と共に詰めていた息を吐いた。そこではじめて、照り付ける南国の陽光が髪をじりじりと焼いていたのに気づき、指でかき上げて熱気を追い出した。

「無事終了だね。そんなに心配だった?」

 横に立ったホベルドが、顔をのぞき込んできた。

「え? ああ、いえ。別に、皆さんを信じていない訳ではないのですけど」

「分かってるよ。それにしても、プリモディウスにずっと付き添うとは、大したもんだ」

 大方のスタッフや被験者は、船の到着を見計らって飛行機で移動することになっているが、ルゥリアはプリモディウスを運ぶ船で共に行く事を選び、ホベルドとアルベリンもそれに同行することにしたのだった。

「すみません。私のわがままで、ホッブさんやアルビーさんにまでお付き合いさせてしまって……」

「まあ、生まれたての神様は寂しがり屋かも知れないからね。わがままじゃなくて、ちゃんとした判断だと思うよ」

 当初はプリモディウスも分解して航空貨物で送る事が検討されたのだが、ルゥリアがそれに反対した。『プリモディウスが怖がると思う』と。

 それを聞き、ケリエステラ所長も、分解が思わぬ弊害、例えば本覚醒の喪失や自意識の消滅をもたらすことを懸念。時間がかかっても船で一体のまま運ぶこととしたのだった。

 その時、ホベルドは携帯端末を取り出し、何かを確認した。

「ぎりぎり間に合ったな」

「え?」

「ちょっとタラップを降りて、出入国ゲートまで行っておいでよ」

 意味ありげに片目をつぶる。

「は、はい」

 何かあるようだが、こういう時は聞いても教えてくれないと分かっているので、言われるままにタラップを降りる。


 銀色の金属板屋根に覆われた、いかにもアバンティーノらしい無機質な平屋に入る。冷房の涼しさにほっと息をつくと、

「セリアちゃん!」

 懐かしい声が飛んできた。ゲートの向こうで千切れそうな勢いで手を振る姿。一瞬誰だろうかと思ったが、

「ノランさん!」

 気付いたルゥリアもゲートに駆け寄った。

「お久しぶりです!」

「相変わらず真面目だね、セリアちゃんは」

 笑う彼女。

「あ、ちょっとこっち寄ろうか」

「はい」

 二人で、ゲートの脇の柵に移動する。

「ノランさん、どうしてここへ?」

「そりゃ来るでしょ! きど……お祝いも出来なかったんだしさ」

 起動成功と言いかけて、ノランは踏みとどまったようだった。誰が聞いているか分からない状況で、研究に関わる事は話すべきではないと思い出したようだ。

 一応実験に関しては部外者となったノランだったが、大まかな状況と、島をしばらく離れる事はメールしていたのだった。

「ま、ほんと言うと、ぎりぎり勉強から抜けられて間に合う時間を、あのスケコマシが設定してくれやがったんだけどね」

 ノランは困った顔で鼻の頭を掻いた。

「ま、それはいいでしょ。とにかくおめでとう、セリアちゃん。よく頑張ったね」

「ありがとうございます」

 ルゥリアも素直に喜んだ。

 そして近くで改めてノランの顔を見て気付いた。さっき一瞬迷ったのは、ノランの唇にやや血色が戻り、肌も髪も、生気を取り戻しつつあったからだ。

「ノランさん、綺麗に……これが本当の姿なんですね」

「ふふ。ありがと」

 ノランは照れ笑いした。

「ノランさんの方は、今いかがですか?」

「勉強、大変だよお。十年ぶりくらいだしさ。でも、面白いよ。自分が知らなかったことを知るっていうのは」

 少し引きつり気味な笑いを浮かべたノランは、だが充実した日々を送っているのは確かだった。

 結局ノランは、法学のコースを選んだのだった。休日にはナイードが勉強の面倒を見てくれている。

「将来なんかあったら、帝国法学士ノルトリンデ・スキッフェルリンチにご用命を」

「はい」

 ノランはおどけ、ルゥリアは笑った。

「セリアちゃんはどう? ルームメイトとは」

「大丈夫です。最初いろいろありましたけど、今はほどほどにお話して、ほどほどに無視し合ってます」

「あはははは!」

 ノランは口を開けて大笑いした。

「あの子らしい。でも、頼りになるでしょ」

「はい」

 ルゥリアはうなずいた。

 ノランは、一息をついて、

「セリアちゃんも、きっと戻れるよ、髪も、お肌も。全てを終えて薬をやめたらね。まだ十二だっけ?」

「この間十三になりました」

「そっか。おめでとう! まだ若いっていうか、子供だからね。あたしよりもっと早く戻るよ。そしたら故郷に帰る前に、二人でまた買い物したり、お茶したりしようよ」

「はい」

 ノランは、ルゥリアの頭を抱き寄せ、顎を乗せて小声でささやく。

「だから、生きなよ。ルゥリアちゃん」

「……はい」

 目を閉じたまま答える。


 生きたい。


 あらためて、そう思った。

 起動実験の時、一度は死にたい、消えたいと思った。だが父や母、皆の言葉で、生きていいのだと思い、自分はやはり生きたいのだと分かった。

 これから自分は、命を賭けた仇討ちに挑むのだけれど、それは自分の人生を終わらせるためではない。失ったものは戻らないけれど、新しい人生を自分で掴むんだ。そのために、戦うんだ。

 一日でも早くトルムホイグに戻り、クルノ達を解放してもらうために。


 ほどなくして背後から、貨物船の汽笛が聞こえてきた。

「あ、出航だね。早く行かないと」

「はい! それでは、また!」

「うん、またね!」

 ルゥリアは慌ただしく会釈し、ノランの声を背中に聞きつつ建物を出て、タラップを掛け上がった。


 甲板では、ホベルドとアルベリンが待っていた。実際の所アルベリンの方は、ブリッジの壁に寄りかかって腕を組み、こちらを見もしなかったのだが。ここはルゥリアへの用も無いのに居るような場所ではない。そんな態度もアルベリンらしいと、ルゥリアは思った。

「会えた?」

「はい、ありがとうございました!」

 ホベルドに頭を下げる。

 間もなく、船が動き始めた。

「ノランだ」

 アルベリンが呟く。振り向くと、建屋の向こうに広がる駐車場で、小さな人影が手を振っている。

「おお、良く気付いたな。さすがエルフの視力」

「うるさいな」

 からかうホベルドに、アルベリンはそっぽを向く。

 ルゥリアは手摺から身を乗り出し、駐車場が建物の影に入って見えなくなるまでノランに手を振り続けた。

 やがてアバンティーノは小さくなり、水平線の上、船の航跡の先に輝く宝石の小山となった。

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