二十.白銀の騎士

「所長」

 一号機を見上げるホイデンスの袖を、トルオが青い顔で引っ張った。

「早く彼女の手の治療を」

「ああ」

 ホイデンスは我に返った。

 彼もあの時、ルゥリアの右手から煙が上がるのを見た。その手が無事な筈はない。彼女が騒がないのは、おそらく興奮状態にあって痛みが麻痺しているのだろう。

「ルゥリア! 今、そこに医療班が入る!」

『あ、はい。ではハッチを』

「いや、手を動かすな! 外から開ける」

『はい』

「竜骨アームから手を離すな。だが力を入れるな」

『はい……?』

 度重なる指示に、怪訝そうな声が返ってくるが、彼はそれ以上説明せず、頭上の管制室にうなずく。

 遠隔操作でハッチが開き、タラップ最上階に上がってきたメドーン医師と医療スタッフが、そのままなだれ込む。すぐに中から、メドーンとルゥリアの会話が聞こえてきた。

 横ではトルオが、小刻みに爪先をばたつかせながら心配している。

 ホイデンスはうつむき気味に、ルゥリアに語り掛け続ける。

「ルゥリア、安心しろ。再生医療も使ってやる。予算は十分ある。伝手もある。元通り、傷一つない手に戻す」

 厳しい表情で言葉を切る。唇が引き締められ、その顎の筋肉が固く盛り上がる。

「……すま」「傷一つありませんが」

「え?」

 思わず、間の抜けた声を発していた。操者殻から、メドーン医師が怪訝そうな顔を見せている。

「はい。彼女の右手ですが、傷一つありません。左手も、他の箇所もざっと見ましたが、火傷は見受けられません。むしろ、シートベルトで出来た肩の擦過傷の方が目立ちますが、いずれにしても大した怪我ではありません。

 先ほど私達はハンガーの入り口で出動待機していたのでモニタを見ていなかったのですが、本当に火傷を?」

『そんな馬鹿な!』

 インカムと壁面のスピーカーから、ケリエステラの声が響く。

『確かに煙が……ちゃんと見たのか?』

「失礼な!」

 メドーン医師はむきになった。

「私は貴方より2年3か月若いし、視力も上です!」

『歳の事はいいだろう……』

 途端にケリエステラの腰が引けてくる。

「どういう……事だ」

 よろめいて後ずさるホイデンスを、後ろからホベルドの力強い手が支えた。

「生まれたてと言えど神なれば、奇跡の一つくらい起こすでしょう」

 押さえた声で言い、笑みを浮かべる。

「所長は好きじゃなさそうだけど、ここは神々がしばしば顕れる世界だからね」

 やはり茫然としたまま、ホイデンスはかぶりを振った。

「分かってはいた。だが、見たのは初めてだった」

 その目に、新たな光が宿った。

「俺たちは、本当に神を作ってしまったのか……」


『両所長、お願いがあります!』

 操者殻の中からと壁面のスピーカーから、同時にルゥリアの声が聞こえてきた。

『射撃試験から再開させてください!」

 せき込むような彼女の声。

『は? 何を言ってる! お前はとっとと降りて検査を』

『プリモディウスの初陣が、私のせいで負け戦で終わるのは嫌です!』

 ケリエステラの怒声に、ルゥリアは力強い声で言い返した。


「ふ。ふふふ」

 ホイデンの口から、笑いが漏れた。

「ははははははは!」

 哄笑する彼を、皆が驚きで見守る。

「所長の大笑いなんて、初めて見た」

 トルオが目を丸くする。

 ホイデンスはひとしきり笑うと、目を輝かせてうなずいた。

「良かろう」

『おいグラン、勝手に決めるな!』

 ホイデンスの答えにケリエステラが叫ぶ。ホイデンスは息をつき、管制室の窓を横目で見上げた。

「良かろう?」

『そ・れ・だ・け・かあっ?!』

『ケリエステラ所長! お願いします!』

 ルゥリアが訴え、タラップの頂にある人々の視線が管制室に集まる。管制室の中でも、フェネイン主任を始め、両研究所のスタッフが、皆ケリエステラを見ていた。

「……はあ」

 ケリエステラは大きくため息を付き、マイクを再び掴んだ。

「ホイデンス、まずメドーン先生に健診させろよ。簡易でもいい」

『無論だ』

「ルゥリア、ちょっとでも様子が変なら、即時中止、強制脱出させるぞ!」

『はい!』

 その答えを聞き、視線を宙にやって数秒考える。

「整備班! 一号機の簡易検査! 制御班は自己チェックを7番から19番まで掛けろ!

 チェック後に問題なければ、整備班は模擬手榴弾と薬莢を回収。予備弾倉を引き出せ。制御班は検査プログラムを射撃試験0番までリセット。データ保存先が別名になっている事を確認、忘れるな。それから……」

 息を吸い、

「野次馬は一分以内にハンガーに引っ込め!」

 タラップの頂から、トルオやホベルドがあたふたと引き揚げるのを見守る。しかしホイデンスがなお残っているのを見て、管制室内のモニタに視線を向ける。

 そこに映る、医療スタッフの隙間から覗くルゥリアの顔と、窓の下から見る、操者殻に向いて立つホイデンス。二人は、間違いなく見つめ合っていた。

(この似た者親子め。なんだお前ら。映画の登場人物か何かか)

 心で悪態をつきながら、ケリエステラの頬は僅かに緩んでいた。


『ところで、簡易検診の前に、シートと彼女のスーツをざっと清掃、消毒したいのですがな』

 メドーン医師から通信が入った。

「消毒?」

『吐瀉物の、ですが』

「あ」

『すみません、としゃぶつとは……』

 ルゥリアの声が戸惑う。ケリエステラは目を細めた。

「お前、さっきゲロ吐いただろ」

『え? あっ! ほんとだ!』

 ルゥリアの慌てぶりが、マイクを通して伝わってきた。

『夢の中だと思ってました! すいませんすいません! 雑巾下さい、自分で拭きます!』

「整備班ー。雑巾とバケツ持って行ってやれー」

 ケリエステラは投げやりな口調で言い終えると、マイクから手を離し、紙コップを口に運ぶ。しかし珈琲はとうに飲み干され、残っているのは氷水のみ。

 彼女はそれを一気に煽り、ガリガリと氷をかみ砕いて飲み下し、眉間にしわを寄せてこめかみを押さえた。

(映画にしちゃあ、グダグダだな。やっぱり)



『射撃試験、開始』

 オペレーターの声で、ルゥリア=プリモディウスは、目標に自動砲を向けた。

 再び迫ってくる、仮想目標。神経を逆撫でする感覚は無くなりはしない。それでも、もう負けないという確信が、心の中にあった。

 引き金を引く。発砲音と閃光、反動が来て、仮想目標が砕ける。さっきのような恐慌は起こらなかった。世界が揺らめく事もなかった。

『第一目標、破壊。第二目標、出現』

 指示に従って右を向く。


 心が、軽い。

 父は、私を恨んでいなかった。母も、私に義務はないと言ってくれた。

 だからといって、苦しみも、悲しみも、重荷も無くなりはしないけれど、私の心の奥底に染みついていた暗い黒い重い何かは、もう無い。

 私は、もう大丈夫だ。


 発砲。第二目標、破壊。

 百八十度回頭、二体が並んで向かってくる。


 お父様は、闘志はあっても憎しみは無い戦いだったと言った。

 仇討ちをするとき、私も、そうでありたい!

 

 続けざまに引き金を引き、仮想目標二体を粉砕した。

『第三目標破壊、第四目標破壊。射撃試験終了です』


 一号機を停止させてタラップに降り立つと、メドーン医師と医療スタッフが、寝台車と共に待っていた。有無を言わさず医務室に運ばれると分かったルゥリアは、最後に一号機のフレームに触れた。目を閉じ、心でつぶやく。

 

 ありがとう、プリモディウス。私の、白銀の騎士。



「ところでさ」

 ハンガーの隅。アルビーが腰に手を当てて、整備スタッフの取り付き始めた一号機を見上げる。

「あの子に名前まで付けられて本覚醒して、この後、あの子以外に動かせるの? 一号機……プリモディウス様は、さ」

 その言葉に、横にいたホイデンスの動きが止まった。しばらく考えて、無表情で頭上を指さす。

「まあ、あいつが何とか調整するだろう」


 その頃、二人の頭上にある管制室では、ケリエステラがこめかみを押さえていた。

「またさっきの氷ですか?」

 フェネイン主任が覗き込む。

「どうだろう? そんなに弱い方ではないんだがな」

 ケリエステラは顔をしかめた。



 夜も更けた頃、ホイデンス研究所のフロアに皆が戻ってきた。その間留守居を兼ねて業務をこなしていたナイードは、ホイデンスの自室に呼ばれた。

「何でしょうか」

 ホイデンスは顔を上げた。

「ケリエステラとも話を付けた。ヴルカヌス島を1ブロック予約しろ。2週間後から3か月。演習試験は毎日一時間だ」

「了解いたしました」

 ナイードは優雅に一礼した。その声が低くなる。

「では、並行して餌も蒔き始められるのですね」

 ホイデンスの目に、暗い光が宿った。

「ああ」



 ルゥリアと話した日の翌日早朝。

 クルノ達一家の眠りは、乱暴に扉を叩く音で破られた。もっとも、クルノは昨夜からその予感でほとんど眠ることができなかったのだが。

「開けろ!」

 ラマルギオ分隊長の声。

 覚悟はしていたが、予想していた中で一番早いタイミングだった。

「はい」

 クルノが父や姉と視線を交わし、肚を据えて鍵を開ける。

 扉を跳ね飛ばすようにして踏み込んできた憲兵隊が、クルノ達三人の腕を両側から掴んで拘束した。

 そして最後に、ラマルギオがゆっくりと入ってきた。

「何の御用ですか」

「分かっているだろうが」

 ラマルギオは前かがみになり、クルノに顔を近づけた。

「流言飛語罪だ」

 館での脅しが蘇り、クルノの足が震えた。だが、勇気を振り絞って睨み返す。

「覚えがありません」

 ラマルギオは口の端を釣り上げ、醜悪な笑みを浮かべる。

「昨夜は、ご令嬢との間で実に甘い会話をしたものだ。しっかり聞かせて貰った」

 彼に嘲られ、クルノは頬を紅潮させた。

 一応は家族を巻き込まぬよう、家を出て城壁近くの空き地で通話したのだが、そこにも盗聴器があったのだろう。

「否認します。でも、そちらの好きなように事を進められるんでしょう?」

 クルノは胸を張って答えた。どのみち話すべきことはルゥリア様には話したのだ。あとは処刑するなりなんなりすればいい。

「開き直るか。いい度胸だ。だが」

 ラマルギオの目が灰色に光る。

「俺は、貴様が語った事よりも、語らなかったことに興味がある。それについて、じっくり聞かせてもらうつもりだ。分かるか?」

 その声は低くかすれ、魔族のささやきのように響いた。

「貴様が知らないのであれば、あの通話の時に真っ先に聞いた筈の事……ルーンリリア嬢が今どこにいるか、だ」

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