十八.赤熱の魔神

 揺らめいた視界。

(え?)

 ルゥリアが目をしばたかせると、一瞬で正常に戻っていた。

『どうした?』

「い、いえ、何でもありません」

 ホイデンスに答え、意識を集中し直す。



「あれ?」

 管制室で、ケリエステラ研究所の所員が声を上げた。所長が首を曲げて問い返す。

「どうした」

「今、ゴーレム出力の数値が上限値から飛び出したんですが、もう元に戻りました」

「そうか。パラメーター全体によく注意しておけ」

 窓の向こうでは、一号機が剣と盾を機体のラックポイントに固定した。

 次は戦術システムの確認。手持ち自動砲を手に取る。

 モニターには、戦術システムが砲の照準系と正しく接続したことが示された。メインカメラの視界映像には、照準環と補正指示が浮かぶ。ルゥリアが、接近する仮想目標に砲を向け照準を合わせるのが分かる。

 だが。

「またスパイク発生。パルス幅が前回の3倍以上になっています」

「操者のパラメーターは?」

 竜骨機側からの報告に、ホイデンスが自分の所員たちを見回す。フェネイン主任は手元に集まるデータを見ながら、

「特に異常は……いえ、心拍数が時々上がっていますね」

 その時、一号機が発砲した。無論、実弾ではなく、ガスの反動で衝撃を与えるだけの練習用空砲弾だ。

 その発砲音が地下空間を振るわせる中、再び緊迫した声が上がった。

「フレーム出力、パルス頻発! いや、平均値も上昇!」

 ついでホイデンス研究所の所員から、

「被験者、体温上昇!38度越えました!」

「心拍数、乱高下しています」

「主機回転数、不安定!」

 二つの研究所、その所員の報告が管制室に錯綜する。

「セリア! 状況を報告しろ!」

 ホイデンスの問いに、返事がない。

「おい、あいつ、何やってるんだ」

 ケリエステラの声に顔を上げると、ガラスの向こうの一号機が、砲を目標とは全く違う方に向けている。

 スピーカーからルゥリアの声。しかしその低い呟きは聞き取れない。

「なんだ! もう一度、明瞭に話せ!」

 ホイデンスが怒鳴る。それを圧して、スピーカーからルゥリアの叫び声が響く。

『…なれろおおおおおおおおおお!』

 自動砲の砲口から炎と白煙が立て続けに噴き出し、衝撃が管制室のガラスを乱打した。



 ルゥリアは仮想目標に照準を合わせた。目標はこちらに向かって剣を振り上げ、攻撃態勢に入る。明らかに実在しない、シンプルな人の形でしかないが、攻撃の意思がこちらに向けられていることは分かり、神経がざわつく。

 引き金を引くと、砲口から炎と煙が噴出し、轟音が耳を打つ。一号機の腕に反動が伝わる。それと同時に、再び視界が揺らめく。今度はまぶしい光が明滅。世界がグルグルと回り始めた。

(な、なに?)

 ルゥリアが目を閉じ、また開くと、周りの光景が一変していた。

(え?)

 頭上に広がるのは、陰鬱な曇り空。そして周りには、かつて革命騎士襲来の時に避難した公領サイデルガルス市の広場。しかしそこにも、周りの市街地にも、人の姿も、動く者の気配すらない。

 突然の事態に、ルゥリアの思考が止まる。

 一号機の巨体から見下ろす市街地、その向こうには、中心地サイデリス城がそびえ立っている。一段と暗い気配に包まれ、いまにも何かが出てきそうな……そう考えて、ルゥリアは思わず震えた。

 これは、夢だろうか。悪夢だろうか。

 そうであってほしくはなかった。なぜなら、夢の中ではいつも、恐れた事が起きるのだから。

 もし何かが出てくるとしたら……そう考えた時、まさにサイデリス城から黒い影が湧き出てきた。

「ひっ!」

 ルゥリアは怯えた。

 影はやがて人の姿になる。

(来ないで!)

 その思いを読んだように、影は両手をこちらに突き出して迫ってきた。

 目を赤く光らせ、口の片端を釣り上げて笑う。その顔は。


 トマーデン公!


 その名を思い浮かべただけで、全身の毛が逆立ち、憎悪の波動が心に広がっていく。記憶がフラッシュバックする。


 母上!

 あの日!

 あの部屋で!

 あいつが!

 あいつの手が!


「うっ!」

 胃が痙攣し、口から苦い液が噴き出してパイロットスーツの前面を濡らした。

「ぐふっ!ごほっ!」

 涙を流し、むせながら叫ぶ。

「お母様から……離れろおおおお!」

 引き金を引く。砲弾がトマーデン公の影を貫き、胸に穴を開ける。もう一撃。次は右腕、次は左腕。頭が吹き飛ぶ。残った体をも粉々に打ち砕く。

「ざまを見ろ! ざまを見ろ! ざまを見ろ!」

 ルゥリアは笑い、叫んだ。



『ざまを見ろ!』

 スピーカーから響くルゥリアの声は、明らかに精神の均衡を失っている。

「どうなってるんだ、あいつ!」

「分からん! 鎮静剤注射!」

 ケリエステラとホイデンスが叫ぶ。

「ゴーレム出力、理論上限値突破しました。ピーク値210%!」

「フレーム発熱量、上昇中! もうすぐ安全上限を越えます!」

「通常冷却システムの能力を超過します! 緊急冷却システム発動!」

 各部に仕込まれたボンベから、冷却ガスが噴出する。

「鎮静剤、効果が確認できません!」

 フェネインが引きつった顔を向ける。ケリエステラも、

「このままでは操者が熱でやられる。強制脱出させるぞ!」

「待て!」

 ホイデンスが制止する。

「あと何秒、操者は熱に耐えられる?」

 ホイデンスの問いに、生命維持システムの担当者は即答する。

「今300秒を切りました!」

「よし。10秒を切ったら強制脱出だ! それまでは試験を続行する!」

「な……」

 ケリエステラは、ホイデンスを睨みつけ、そして怒鳴った。

「分かったっ!」

 ホイデンスはマイクを掴み、

「セリア!」

 と呼ぶが、返事はない。ホイデンスは歯を食いしばり、叫ぶ。

「ルゥリア! 答えろ! ルゥリア!」

 双方の所員たちが驚いた顔でホイデンスを見る。

「ルゥリア?……もしかして、トルムホイグの?」

 トルオ・セムノが呟く。

 だが機体からの反応はない。カメラに映るルゥリアも、うつむいて何かを呟いていて、聞こえている様子はない。

「くそっ!」

 ホイデンスは操作盤を殴った。



 こんな世界、大嫌いだ。

 お父様を奪った。お母様も奪った。クルノだってきっと今は……。

「あは……」

 私は、無力だった。何もできなかった。

「あはは」

 でも、今は違う。

「あはははは!」

 この力でなら、世界を壊せる。

 わたしに優しくない、こんなひどい世界を。

「あははははははははは!」

 ルゥリアが笑うと同時に、プリモディウスの口からも咆哮が漏れた。そのまま浮上し、市街を見下ろす。

「燃えろ!」

 宮殿に弾を打ち込む。破片がはじけ飛び、炎が噴き出す。

 向きを変え、市街地にも弾をばらまく。次々と火の手が上がり、燃え広がる。


 燃えろ! 燃えろ! 燃えろ!!


 みんな燃えて、消えてしまえ!


 そして私も


 消えてしまえ



『あははははははははは!』

 管制室に響いたルゥリアの哄笑は、そこにいたすべてのものを戦慄させた。そこに込められた狂気の響きの為だけではない。

「動いて……ない」

 誰かが震える声でつぶやく。


 なぜなら。


 画面に映るルゥリアは、うつ向いたまま目も口も半ば閉じ、ほとんど動いていない。だがスピーカーからは、彼女の甲高い笑い声が響いてくるのだ。

「悪霊が……」「……様、お守りください……」「なる七匹の番犬よ……」

 所員達が各々の守護神を呼び、祈る声があちこちから響く。

「うろたえるな!」

 ホイデンスの大音声が、場を圧した。皆が祈るのを止め、注目したのを見計らい、

「操者の意識が、肉体の制御を放棄するほど、一号機に深く入っただけだ。声は一号機のサブシステムが通信機にアクセスして出している。見れば分かる事だ!」

 その言葉に、皆がモニタへと視線を戻し、ホイデンスの言葉を確かめはじめた。

「科学者、技術者、魔学者なら、怯えてないで今為すべき事をなしたらどうだ!」

「はい!」

 数人が言葉を返し、他の者も一斉に、自らの担当に意識を戻した。


 その時、一号機が翼を広げて浮上し、天井近くにまで達した。

『燃えろ!』

 ルゥリアの声。そして発砲。向きを変えながら次々と薬莢をばらまいていく。

「緊急冷却材、枯渇します!」

「フレーム温度、腰椎で200度に達します!」

 報告が錯綜し、スタッフが浮足立つ。

 その時、一号機の発する熱で火災報知器が動作し、スプリンクラーから水が噴出した。天井のまぶしい白色照明も、赤い非常灯に切り替わる。

「管理会社から問い合わせが来ています、火災かと!」

「火災じゃない、後で説明すると答えろ。邪魔をするなら、創設者権限でそちらの社長の首を飛ばすとな!」

 ホイデンスの指示に、内線を受けていた研究員が目を見開いて固まる。もう背を向けているホイデンスに替わり、ケリエステラが口の形で(言い方を丸めろ!)と命じた。

 ホイデンスは、水を浴びた一号機の機体から蒸気が立ち昇るのを見て、その研究員に怒鳴る。

「おい! 消火用放水銃の操作権限をこっちに渡させろ!」

「ええ!」

「拒めば大災害発生の責任はそちらにあると言え!」

「あの……」

 ホイデンスがまた背を向けると、ケリエステラが口の形で(そのまま言え!)と命じる。それが効いたのか。

「操作権限、来ました!」

「一号機に向けて放水!」

 研究員が操作すると、空間の内部壁面に格納されていた三機の放水銃が首をもたげ、水を放ち始めた。

 三本の水流は、二度、三度と一号機を掠めた後、しっかりと捉える。斜め下からの水流は、装甲の内側に入り込み、フレームに当たって激しく水蒸気を噴出させた。

「フレーム温度、低下しました! 放水が続く限り、操者の生命維持に危険は無くなりました!」

「よし!」

 ケリエステラが左手に右こぶしを叩きつける。だが、

「あ!」

 声が上がる。

 一号機が、腰につけていた模擬手榴弾をばらまき始めたのだ。こちらも爆発はしないが、ドラム缶より大きな手榴弾が次々と床や壁にぶつかり、重い金属音を上げながら跳ねまわる。

 スタッフが引っ込んだハンガーはシャッターを下ろしており無事。残された移動式タラップも直撃を免れたが、

「やられました! 放水銃2番、破損!」

 一号機の右前方に当たっていた水流がぐるっと弧を描いてはずれ、地に倒れた。手榴弾が放水銃にぶつかったのだ。

「くそっ! 2番放水停止!」

 命じるケリエステラに、ホイデンスが叫ぶ。

「直せないか!」

「馬鹿言うな!」

 ケリエステラは怒りをあらわにした。

「あいつはまだまだ投げられる物を持ってるんだぞ。うちのスタッフを殺す気か!」

「まずいです! 右肋骨の温度上昇! 操者殻の内部竜骨アームも」「ルゥリア! 機体の向きを変えろ! アームから手を離せ!」

 スタッフの言葉を皆まで聞かずに察したホイデンスが顔色を変えて叫ぶが、一号機から答えはなく、モニタの中のルゥリアも動かない。

「操者が重篤な火傷を追う温度まで、約300秒です!」

「くそっ!」

 ホイデンスはマイクのスイッチを切り替えた。

「ホッブ、アルビー、管制室に来い!」

 返事も聞かずにマイクを切ってから、五秒で二人が飛び込んできた。

「どうすればいい」

 それだけを尋ねるホベルド。

「ルゥリアと一号機で、怒りの感情が正フィードバックループを形成、増幅率が高すぎて発振しているから、話しかけてアブソーバを入れろ」

「分かった」「……やれやれ」

「あれで分かるのか」

 すぐ飲み込んだ様子の二人に、ケリエステラが呟く。

「ホッブ、一分やるから考えておけ。アルビーは二分だ」

 話しながらホイデンスは、ポケットから取り出したメモリカードを操作盤にセットし、ファイルを選択する。

「何か言って、あいつに聞こえるのか!」

 ケリエステラの怒ったような声に、ホイデンスは強張った顔を向けた。

「これなら聞くさ!」

 顔を前に向け、一号機を睨みながら、祈るように繰り返した。

「これなら、な」

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