十六.嘘
独白:クルネイス・バーニク
嘘を見抜かれた僕は、父さんと姉さんに打ち明けた。もちろん全部じゃない。ただ、ある事をある人に話さなければならない。でもきっと、その後で僕は捕まるだろう。一緒に居れば二人もひどい目に合う。先に逃げてほしいと。
だが父は、そんな懸念を一蹴した。僕が残ろうと、自分達がトルムホイグから出る事をリグルは許さない。元より一家は一蓮托生なのだと。
ティクレナ姉さんも、二人を置いていかないと言った。自分は母の代わり。軍人の家族である以上、どんな目に遭うことも覚悟していると。
父さんも、姉さんも、頑固そのものだ。そして、とても強い。
僕も、そうでありたいと思う。同じ血が流れているんだから。
***********************
ルゥリアが帝都でトマーデン公の監視から逃れたあの日。
クルノは憲兵隊分隊長ラマルギオによって、館に連れ戻された。
トルムスの街まで同行した行政官のカニングムは、既に仕事場の役所に戻っている。
サイデルガルス市から同行した憲兵二人に腕を取られて館に入ると、居間で代官である騎士リグル・スワルダが待っていた。
ラマルギオから説明を受けたリグルは、暗い目でクルノを睨みつけると、ラマルギオに
「任せる」
とだけ言って、館を出ていった。
「は」
低い声で頭を下げたラマルギオは、クルノ達を従えてメラニエの寝室へ、ノックもせずに踏み込んだ。
ガウン姿のメラニエが立ち上がるその足元に、クルノは、手荒く突き飛ばされて転がる。
「クルノ!」
メラニエが屈みこんだ。
「大丈夫?」
「はい。でも、お嬢様が……」
涙をこらえて頭を下げるクルノに、メラニエは静かに言葉を掛けた。
「ごめんなさいね、クルノ」
「え?」
「あの子を逃がすために、貴方の正直さを利用してしまった。許して、とはとても言えないけれど……」
クルノははっとした。ルゥリアの脱走は、メラニエも承知の上だった事。そして自分が同行すれば、ルゥリアが逃げ出さないだろうと油断させることができる、そういう計算のもとに、自分は選ばれたのだと分かった。
「いえ」
クルノは首を振った。
「良いんです。こんな事でお役に立てたなら」
「で、令嬢はどちらに向かわれたのです?」
ラマルギオの低い声が、二人の間に割って入った。メラニエは顔を半ば向け、冷たく笑った。
「この館を、隅から隅まで探せばいいでしょう。何かデータの痕跡でも残っているかもしれませんからね」
「言われずともそうするとも」
ラマルギオは、表向きの丁重さもかなぐり捨てた。
「だが、直接聞いた方が早い。相手が前領主未亡人だからといって、我々が遠慮すると思うなよ」
「ええ、思ってないわ」
メラニエは、クルノの肩に手を触れて立ち上がった。
「貴方たちはどんな手でも使うでしょうし、自分がそれに耐えられるなんて過信もしていないわ。だから……クルノ、あれは?」
メラニエが驚いた顔でクルノの背後を指さす。彼が振り向いた時。
破裂音。
クルノが知っている音。
かつてクルノも、演習場でその手の中から何度も発してきた音。
頭のすぐ後ろで響いたそれは、拳銃の発射音。
クルノが頭を戻すと、床にゆっくりと倒れ込むメラニエの姿。頭の横から離れる右手には、拳銃が握られていた。そしてその間に零れる赤い液体。
「メラニエ様!」
クルノが叫び、彼女に手を伸ばそうとすると、
「くそっ!」
ラマルギオが罵りながらも素早く動き、クルノの腹を思い切り蹴った。
「うっ!」
重い蹴りはクルノを部屋の隅まで転がした。息ができず、腹を押さえて苦しむクルノ。それに追い打ちを掛けるように、
「黙らせろ。邪魔をさせるな」
「はっ」
ラマルギオの命令で、憲兵たちはクルノに後ろ手錠を掛け、口に布を押し込んだ。
「むぐうっ!」
呻くクルノを乱暴に引きずり、クローゼットに放り込んで戸を閉めた。クルノは懸命に起き上がり、戸に体当たりするが、重いソファでも置かれたらしく、全く動かなかった。
「近寄るものは追い払え。入ろうとすれば撃ち殺せ!」
ラマルギオの低い怒声が戸の向こうから聞こえる。
(メラニエ様!)
クルノの叫びは口の中に封じ込まれる。
(ああ……あああ!)
涙が溢れ、クルノは自分を責めた。
奥様は、ルゥリア様だけでなく、自分も救おうとしてくれた。あの言葉と行動で、ラマルギオでさえ自分がルゥリア様の行き先を知っているとは疑っていない。
でも、本来なら僕が奥方様を助けなければいけなかったのに!
戸の向こうでは、人の出入りの気配、声を押し殺した会話、車のエンジン音などが入れ代わり立ち代わりしている。
そして一時間は経ったか。戸の前で何かが引きずられる音がして、戸が開いた。顔を見せたのはやはりラマルギオ分隊長だった。無表情のまま、クルノの胸倉を掴んで引きずり出した。
すでにメラニエの姿はない。彼女が倒れた場所だけ、絨毯が違う色のものになっている。
「いいか、良く聞け」
ラマルギオは顔を近づけた。
「奥方は急病でお倒れになられ、サイデルガルス市の病院に運ばれた。ルーンリリア嬢も付き添いで行かれた。当分ここには戻られない。これが正しい事実だ」
(嘘だ!)
クルノは目を見開き、睨みつけた。だがラマルギオの表情は変わらない。
「この事実に反する情報を言いふらす者は、流言飛語罪で厳罰に処せられる。無論、家族も同罪だ」
冷酷な言葉が胸に突き刺さった。
「父や姉を、自分と共に絞首台に送りたくはないだろう?」
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『申し訳ありません……ルゥリア様! 奥方様は、僕をかばって……』
端末の向こうから、震えるクルノの声がする。かつて、森の中で私の肩を掴んで叱ってくれた時のような声だ。泣いているんだ。
「そんな事ない! 話してくれて……ありがとう!」
そして私も泣いている。胸の中で、いろいろな感情が魔獣のように暴れまわっているのだ。でも、今は感情に任せてはいけない。
「長く話すと危ない。逃げて、クルノ。早く、どこかに!」
『はい、分かりました』
涙声なのに、不自然なほど明るい口調で、答えが返ってきた。
『すぐに三人で脱出するので、安心してください』
「う、うん……。それじゃあ、切るね」
「はい」
少し間が開き、
『ルゥリア様』「クルノ」
二人の声が重なった。
『あ……』
「な、なに?」
『いいえ。なんでも。ただ……』
言い淀みの後、
『お元気で』
「ええ。……クルノも……無事でね」
『はい』
通話を切ると、ルゥリアはそのまま机に突っ伏した。
今、心の中から一つの言葉が浮かび出た。今までは向き合う事を避けてきた感情。でも、それはもう逃げようもないほど強く、心の真ん中に姿を現した。巨岩のようにそびえ立ち、もう見ないで済ます事などできない。
それなのに、その感情を表す言葉が、どうしても言えなかった。言えば、それは二度と会えない人に贈る最後の言葉になりそうで。口にする事で、クルノを死の淵に追いやる事になりそうで。
でも、言わなかったからと言って何が違うのだろう。すぐに脱出するから心配するな、という彼の言葉を思い出すと、胸がかきむしられるように苦しい。
(クルノ……どうしてあなたは、そんなに嘘が下手なの?!)
『ルゥリア。端末の電源を切れ』
壁のスピーカーから所長の声がする。ルゥリアは懸命に体を起こし、その指示に従った。
すぐに扉が開いて、ホベルドが入ってきた。ルゥリアの横に膝をつき、黙って背中に手を置こうとする。
「触らないでください」
さっきまで思いもよらなかった言葉が、口を突いて出た。ホベルドの手は、背中の僅か手前で止まった。
ルゥリアは頬を手の甲で拭い、ホベルドに頭を下げた。
「申し訳ありません、殿下。でも今は、殿下の優しさに甘えてはいけない、そういう時なのです。今なら……できる気がします」
「そうか。いや、分かった。すまなかった」
ホベルドは手を引っ込めて立ち上がった。
「所長」
ルゥリアはガラス越しの所長に声を掛けた。
『なんだ』
「これから、一号機の起動実験をやらせてください」
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