十五.悪意

「クルノちゃん、クルノちゃん」

 今度は出会い頭だった。

 タルーディ副隊長の母、ロベリアが路地から出てきたのだった。

「あ、ロベリアさん。こんにちは。お元気ですか?」

「はいお元気ですよ。クルノちゃんは……少し痩せちゃったかしら?」

「え?」

 クルノは戸惑った。この前同じ事を言われたばかりだが。まあお年寄りだし、物忘れしても仕方がないか。

「い、いえ、力仕事で脂肪が落ちただけですよ。ほら」

 また腕をまくって力こぶを見せる。

「あら、ほんと。そうね。今はクルノちゃんが家の大黒柱ですものね」

「いえ、僕なんてまだ子供です」

 同じ会話を繰り返すのに、クルノは辛抱強く付き合う。彼の家には祖父母がいなかったため、人の話には聞いていたこんな体験も新鮮だった。

「そうそう、うちも引っ越すことになって」

「そうなんですか! どちらへ」

「レブゴロス……だったかしら。息子も国民軍の教官のお仕事がね」

「おめでとうございます!」

 クルノは安堵した。レブゴロスなら帝国政府の直轄都市だ。トマーデン公の力も及ばないだろう。

「ありがとね。これからゲオちゃんに挨拶に行こうと思ってたんですけど。なんか用事で呼び出されてしまってね」

 バッグから携帯端末を取り出した。

「あ、始められたんですね。それ」

「そうなのよ。分からない事ばかりで大変」

「そうですか」

「それで、ごめんなさいね。今日はこのお菓子だけ、クルノちゃんにお願いしてもいいかしら?」

 包装された箱を差し出された。

「もちろんです。ありがとうございます」

 クルノは袋を受け取った。

「またゲオちゃんにご挨拶しにくるわね。ほんとは息子が行くのが筋だけど、あの子はあんなでしょう? 合わせる顔がないって嫌がるのよ」

「いえ、お気になさらないでください。うちに来たせいで何か不都合があってもいけませんし。お気持ちだけ戴いて、父には代わって伝えておきますので」

「あら、こんな年寄ですもの、どうってことないと思うんだけど……でもまあ、今日の所は宜しく伝えておいてね」

「はい」

「じゃあ、またね。クルノちゃん」

「はい。また」

 その背中を見送る。

 先ほどは呆けたのではないかと思ったが、後ろから見るその歩く姿は、前回よりもかえって背筋が伸びて揺れが小さく、しっかりした足取りに見えて、クルノは少し安心した。



「そうか」

 クルノの話に対する父の答えは、それだけだった。だが変わらぬ仏頂面にも、どこか寂しさと安堵の入り混じった心情が滲み出ているようにクルノには見えた。

 夕食を終えて片づけを終えると、姉のティクレナが久しぶりにお茶の用意をした。

「それじゃ、有難くいただきましょう」

 彼女が包装を開け、蓋を開けた。

「あら?」

 その手が止まる。

 9分割されたトレイの上に、薄い紙で包まれた菓子が並んでいる。箱にも書かれていたように、それは全てホワイトチョコでコーティングされた菓子の筈だった。だがその中央に、ブラックチョコレートの菓子が一つ鎮座している。

 父が無言でそれを取り、紙を開くと、中身を自分の皿に置き、紙をクルノの方に差し出してきた。

「な…」

 何? と言いかけた途端、父の視線が制してきた。紙に目を落とし、裏返す。

 そこには、ホログラムの三次元コードが印刷されていた。皆無言で、他の菓子を裏返すが、それには何も印刷されていない。

 父がティクレナの方を見て、小型テレビの方に目を向ける。姉は無言でうなずくと、テレビを点け、チャンネルを多人数が賑やかに話す番組に変えてボリュームを上げた。

 クルノは、携帯端末を取り出す。今の苦しい生活の中でも、絶対に手放さないように、父に厳命されていたものだ。そのカメラで三次元コードを撮影すると、アプリのインストール画面が表示された。

 通常のアプリストアではなく、聞いたことの無いサイト。そしてアプリの説明には、暗号化と特殊なゲートウェイを使用する事で追跡不能の通話アプリ、とある。


(来た!)

 クルノの胸に、衝撃が走った。

 奥方様の逝去が発表された日から、来るとは思っていた。これはきっと、いや絶対に、ルゥリア様からだ。奥方様の事を確かめるために連絡してきたのだ。そして来た時は、お話しようと心に決めていた。伝えなければ。絶対に。

 だがその前に、しなければならないことがある。

「なーんだ」

 笑顔を作って、紙をポケットに入れる。

「ただの特典アプリだったよ。ところでさ、父さん明日、帝都に手続きに行ってもらえないかな。姉さんにも付き添いお願い。僕じゃまだ代理が……」

「クルノ」

 その言葉を、父が首を振りながら遮った。

「お前は、本当に嘘が下手だな」



「これが、ここまで得られた証言のリストです」

 ナイードがタブレットを操作して、会議室のホワイトボードスクリーンに一覧を表示する。

「重複を廃して前後関係を整理すると、こうなります」

 彼の指が動き、一覧の多くが重なって整理された。

「ここまで分かったのは、メラニエさんが倒れられたのは、鷹の月の二十二日、すなわちルゥリア嬢が帝都でトマーデン公の監視から逃れた日だということです」

 椅子の上で前かがみになっていたルゥリアの体が、びくんと震える。

「そこで起きたことについて、一番はっきりした推測を話してくれたのは、トレニエッタ・クリエラ嬢です。彼女はその情報源について明言してくれませんでしたが、他の証言から、彼女がその日の夜に通話した相手は、クルネイス・バーニク少年と推測できます」

 一息を入れて、室内を見回す。

「現時点で、メラニエさんが倒れた時に現場に居合わせた人の証言はなく、その可能性があるのは、トマーデン公の関係者を除けば、クルネイス君だけだと考えられます」

 ルゥリアの顔色が、紙のように白くなるのを横目で見ながら、ナイードは机の上で両手の指を組んだ。

「彼は、こちらが指定した通話アプリを9時間前にインストールしたことが確認できています」

 ホイデンス所長は、ナイードにうなずき返して、ルゥリアに顔を向けた。

「真相を知るには、その少年にお前が電話するしかない。お前になら、話すだろう」

 その言葉に、ルゥリアは顔を上げ、口を開きかけたが、言葉が出てこない。


 もう迷わない。そう決めたはずだった。だが、いざその時が迫ったとなると、体の震えが止まらない。真相を知る事、クルノを危険に晒しかねない事、自分が置き去りにしたクルノがどう思っているか。それを思うと、電話する事が恐ろしい。

 ついアルビーの方を見てしまうと、腕を組んでむすっとしていた彼女と目があった。

「あんたは、もう決めているんだろ」

 アルビーは、首を振りながら腕を解いた。

「わたしはね、そんなにあからさまに辛そうな顔をするくらいなら、電話するのをやめちまえって思ってるよ。でも私が止めたって、あんたは結局電話するんだろう? 賭けてもいい。要するに、みんなに寄ってたかって言われて、流されて電話したんじゃない、自分で決めたんだって確かめたいだけだ」

「辛辣だな」

 ホベルドが苦笑した。

「他にそう言う事を言う人間がここに居ないからだよ。まあわたしは、あんたらの言う人間じゃなくて亜人だけどさ」

「その件は、そこまでにしてくれ」

 肩をすくめたホベルドは、ルゥリアの方に向き直った。

「とはいえ、俺も止めるつもりはないのは同じだ。俺はクルネイス君の事はほとんど知らない。だが彼が君とご両親への忠誠心に篤い少年なら、自分の見た事を君に伝えたいと思っているだろう。アプリを入れたのは、そのサインだと思う」

「……はい」


 二人の言葉は、それぞれルゥリアの心に鋭く刺さってきた。

 そうだ。結局、自分はそれを知りたいと決めたのだ。知らなければ、前に進めないと思ったのだ。クルノが話したいと思っているなら、それを聞きたい。もし自分の事を恨んでいるなら、その恨み言を聞こう。いやむしろ、そうであってくれた方が良いのかもしれない。

 あの時、クルノを置き去りにしたように、またクルノにひどい事をするのだ。自分のために。自分の意思で。それを残酷と、悪意と呼ばれても仕方がない。

 ルゥリアは目を閉じ、深呼吸してから再び開けた。

「彼に電話します」

 頭を一つ下げて、立ち上がった。



 同じビルの中にある別の研究所に皆は移動。ルゥリアはその中の電波遮断室に入り、椅子に座った。

 机に置かれた自分の携帯端末を、半年ぶりに手に取る。

 ケーブルで充電されている端末の画面には、手放した時には無かったアイコンが一つ増えている。

 机の上には目覚まし時計ほどの大きさの模擬基地局が置かれている。それを通すことで、他のアクセスを拒否してこちらから望んだ情報だけ通せるのだ。

 ルゥリアは、教わった通りに通話アプリを起動。登録されたクルノの番号に呼び出しを掛けた。そして端末を耳に当てる。

 呼び出し音が鳴る。1回、2回、3回…10回鳴らしても出ないなら、一旦切ろうと思っていた。それを心の底で期待もしていた。だが9回目の途中で、呼び出し音は途切れた。

『はい』

 かつては毎日聞いていた声。だが今となっては、半年ぶりの懐かしい声。

 感情が胸からあふれ出しそうになるのを堪え、確かめる。

「クルノ?」

『はい。そうです』

 心なしか、固く上ずっている声が返ってくる。

「あの……私……」

『すみません。急がないと』

 ルゥリアのさ迷う言葉を、クルノの声が遮った。

『お話しますから、しっかり聞いてください』

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