十四.選択

 十分以上はそうしていただろうか。

 いつしか涙は引き、体の震えも自然に収まっていた。ルゥリアはベッドの上で身を起こす。

「少し……落ち着きました」

「そう」

 ホベルドは穏やかに微笑んだ。

「ありがとうございました」

「さっきも言った通り、俺はただ、一緒に泣きに来ただけだよ」

 ルゥリアは先ほどからの疑問をぶつけた。

「殿下は、どなたから母の事を聞いたのですか?」

「うーん」

 ホベルドは天井に目をやっていたが、

「今なら話しても良いかな。お父上からだ」

「え?」

 ルゥリアは予想もしない言葉に目を見開いた。

「父とお会いした事があるのですか? いったいどちらで?」

「とある戦場で、とだけしか言えないんだ。すまない。もちろん、敵としてではないよ」

 あ、と思い至る。父は幾度か、海外の戦場に派遣されたことがある。彼女にとって恐怖となったあの言葉、『もし俺が死んだら――』も、そんな出征の時に残した言葉だった。

 だが。

「なぜ今までそれを話して下さらなかったのですか?」

「最初にそれを言っても、信じてもらえないかもしれない。そう思った」

 ホベルドは首を振る。

「だって、あまりに出来過ぎた話じゃないか。君に近付くための嘘、そう思われてもおかしくないだろう?」

「そう……ですね」

 ルゥリアは納得した。

 考えてみれば、父とホベルド、共に竜骨騎騎士であったが故の縁ではあるが、それでも必然、とはとても言えない出会いには違いない。

「あの戦場で、俺はヴィラージ殿にいくつもアドバイスをいただいた。もしそれが無ければ、今頃俺はここではなく、ベルアーグの戦士墓地の土の下に居ただろう」

 静かに話すホベルド。

「こういうと冷たく聞こえるかもしれないが、父上も俺も騎士である以上、戦いでの死はいつでも有り得るし、それを承知で選んだ道だ。父上が亡くなられたことは悲しいが、俺にはどうすることも出来なかったし、父上もそれを望んでもおられなかっただろう」

 ホベルドは顔を上げ、ルゥリアを正面から見据えた。

「だけどその娘御が――君の事だよ?――目の前に現れた。もし君に何の手も差し伸べなかったら、俺は二度と自分で騎士だと名乗れない、そう思ったんだ」

「そうだったのですか……」

 ルゥリアは胸の中が暖かいものに満たされるのを感じた。父の存在が、思いもよらぬところで自分を助けてくれていた。母の存在も、今自分が壊れるのを防いでくれた。どんなにつらくとも、一人ぼっちで無力だと絶望する事はないのだ。


「入るぞ」

 戸が開き、ホイデンス所長が入ってきた。ホベルドと目が合うと、

「いたのか」

「ええ、ちょっと」

「セリアと話がある」

「ええ。俺はもう失礼しますよ」

 腰を上げようとしたホベルドの手を、思わず掴んでいた。

「ここに居てください」

「いいの?」

「はい」

 うなずいて、ホイデンスに視線を戻す。

「所長。ホッブさんは……『殿下』は私の事情をご存知です」

「そうか」

 所長は二人を見比べた。

「お前たちは、秘密同盟を結んでいたのだな」

「はい」

「良かろう。被験者同士がネットワークを構築して協力し合うのも歓迎だ」

 所長は表情を変えずに言うと、もう一つ丸椅子を引き寄せた。

「今後の事だ。もしお前が望むなら、墓参のための帰国も認めよう。だがその場合、再び出国どころか、トルムホイグを出ることも難しいだろう」

 ルゥリアは首を振った。

「分かっています。戻りません」

「そうだな。もしマレディオンのルベンス伯を通じて問い合わせがあっても、修行に専念するために帰国は行わない旨返答しよう」

 ルゥリアは歯をかみしめつつうなずいた。


 その時、戸の向こうから声がした。

「アルベリンだけど」

 最小限の事しか言わない、いかにも彼女らしい言葉。ホイデンスに目で確かめられ、ルゥリアはうなずく。

「入れ」

 所長の返事で入ってきたアルビー。その表情はいつもと変わりない。

「ナイードから聞いたな?」

「はい」

「では、寮まで頼む」

 腰を上げかけた所長の肩越しにアルビーが直接言葉を投げてきた。

「一つ聞いていい?」

「はい」

「今まで、お母様の病状について知らせは無かったの? それ、おかしくない?」

 ルゥリアははっとした。

 たしかに、母が倒れたのなら、トマーデン公にとってそれは、自分をトルムホイグに連れ戻す為に使えた筈だ。

 所長が目で尋ねてくるのに、ルゥリアはうなずき返した。

「大丈夫です。事情は察しておいでです」

「そうか。やはり髪の色を変えただけでは、近くに居る者には見破られ易いのだな」

 所長は顎に手を当てて考える。

「整形するか」

「嫌です!」

 ルゥリアは髪を逆立てた。


「まあそれは保留としてだ」

「保留ではなくて却下です」

「……まあいい。確かに、後見人のルベンス伯を通しても、母親の入院などという連絡は来ていなかったな」

「所長」

 ルゥリアは身を乗り出した。

「私の携帯端末、返していただけないでしょうか」

「ふむ。故郷に連絡するつもりなのだな?」

 うなずき返すルゥリア。

 帝都での脱出の際、携帯端末は位置の特定を避けるために電源を切っていた。そしてそのまま研究所に預け、電波の届かない環境で充電しながら保管されている。

「分かった。だが所在地を知られないために対策を講じる。少し待て」

「はい」

「誰に連絡するかも問題だ。口の堅い、信頼できる人間の名前を上げて行け。覚えている電話番号やメールアドレスもだ。携帯内部の情報も、消されたものでも復元していくから、パスワードを教えろ」

「ちょっと待った」

 タブレットを取り出したホイデンスに、アルビーがあきれて口をはさむ。

「今ここでやるとか、正気?」

「いかにも俺は、狂気の魔」「そういうのいいから」

 アルビーに切り捨てられ、所長はむっとして口をつぐむ。

「いえ、大丈夫です。やらせて下さい」

 アルビーは腕を組んで二人を見比べ、息を吐いた。

「ま、あんたがいいなら、それで良いけど」


 それからルゥリアは、連絡先を思いつく限り上げていった。ゲオトリー従士隊長やタルーディ副隊長、トレンタやサニエスなど従士の子供たち。引退した先代従士達。

「失礼します」

 ナイードも入ってきた。部屋を見回して、ホベルドとアルビーを見る。そして少し会話を聞いただけで、状況を察したようだった。何も言わずただ微笑を浮かべただけで、所長が書き留めた連絡先に目を落とす。

「よし。それでは」

「ちょっと待ってください」

 ナイードが、腰を上げかけた所長を止めた。

「ルゥリアちゃん。こんなことを言うと恨まれると思うけど」

「……はい」

「君に付き添って帝都まで来た、従士隊長の息子さんの連絡先が入ってないね? 彼のは、覚えてるんでしょう?」

 ルゥリアはびくっとして視線をそらす。

「それは……ゲオトリーさんを挙げたから」

「他の従士の子供達はそれぞれ挙げているのに?」

 黙り込むルゥリアに、ナイードは畳みかける。

「彼に害が及ぶことを案じているんだよね。その心配が無用だなんて、とても言えない。でも少しでも真相に迫るために、一つでも多くの連絡先が必要なんだ。多分、安全な接触の機会は一度しかない。分かってくれ」


 どうしよう。

 ルゥリアは迷う。

 見抜かれてまった。知られてしまった。クルノの番号とメールアドレスだけ言わなかった、その事に。

 私は彼を裏切った。捨ててきてしまった。それだけでもひどい事をしているのに、もしこの連絡のせいで、もっと危険な目に合わせてしまったら。そう思うだけで、胸が苦しい。

 それでも、結局は……。


「営業部長」

 アルベリンが、硬く鋭い声で割って入る。

「その言い方、責任をこの子に押し付けてるって分かってる?」

「分かってるよ。一応これで(自分の口を指さす)食べてる身なんでね」

 ナイードは動じない。

「もちろん、こちらは大人で、組織だ。殆どの責任はこちらにある。それでも、全てに関して彼女に命令して、従わせる訳にもいかない。今やろうとしている事は、研究施設と被験者の約束事から大きく踏み出す可能性が高いんだからね」

「分かっています」

 ルゥリアは顔を上げ、声を絞り出した。

「アルビーさん、ありがとうございました。でも、これはもともと、私が望んだことです。だから、お伝えします」

 アルビーは肩をすくめて目を閉じた。



 所長室で、ホイデンスはナイードにペンを向けた。

「ノヴォルジ帝国要人の人間関係、力関係を全て洗い出せ。予算は200万デレク。期日は一か月だ」

「承知いたしました。で、何をされるおつもりですか?」

「未だ『おつもり』など何も無い。だが、可能性の地図は見えてきた。準備も無しに山に踏み込む愚行を犯しはしない」

「なるほど。で、その地図、どのくらいとんでもない行き先まで見えているんですかね?」

「大したことではない」

 ホイデンスはそっけなく返した。

「せいぜい国一つがひっくり返るくらいだ」



 トルムホイグの中心、トルムスの郊外の墓地。

 クルノは姉と共に父の車椅子を押しながら、夕暮れの墓地を進んでいた。

 たどり着いたのはヴィラージの墓所。そこには、新しい花が幾束も供えられていた。


 メラニエの死に関して、トルムホイグでは何の告知もなかったが、目立たないながら公表された事実は、住民の間に広がっていた。

 葬儀の予定も無く、彼女の墓所も発表されていないが、自然と彼女を悼む人々が、ヴィラージの墓を訪ねているのだと、クルノには分かった。

 三人もまた花を置き、胸に手を当てて頭を垂れる。


 メラニエ様。


 クルノは心の中でつぶやく。


 僕は必ずご恩をお返しいたします。

 ルゥリア様と共に行かなかった事で裏切った罪も、ルゥリア様のお役に立って償います。

 全てが始まったあの日、ヴィラージ様にお誓いした事を、必ずお守りします。



 命に代えましても。

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