十三.機械のぬくもり

え?

何を言ってるんだろう?

お母様が……亡くなられた?

だって、そんな、まさか。

「サイデルガルス市の中央病院に脳出血による長期入院の後、肺炎により死亡、とある。葬儀は既に身内だけで済ませたとの事だ」

 タブレットの画面を読み上げるホイデンスの言葉が、頭を中を通り過ぎる。

 身内? 確かにお母様にも親戚は居るけれど。娘のいない所での身内だけの葬儀って、あり得ないことじゃないだろうか。

「母上に、持病などはあったか?」

 いえ、特には。

 首を振り、そう答えようとしたが、喉が縮こまって声にならない。

「信頼できるのか? この発表は」

 所長はナイードに視線を向けた。ルゥリアの胸がとくん、と脈打つ。もしそれが事実ではないなら、という微かな希望に、すがりついてしまう。

「軍務局はノヴォルジ帝国政府の管轄に属します。そこが受け付けたからには、正規の診断書が発行されているはずです。となると」

「亡くなられたこと自体は、おそらく事実か」

 その微かな希望を打ち砕く非情な宣告は、所長が強引に引き取って行なった。

「ルゥリア、もしお前が望むなら」

「所長」

 話を急ごうとするホイデンスを、ナイードが手を上げて制した。

「今はまだ、先の話は無理でしょう」

「あ? ああ、そうだな」

 我に返ったホイデンス。

「今日と明日の授業や試験はすべてキャンセルした。アルビーが試験を終えたら二人で帰れ。無人タクシーを呼んでおく。それまで休憩室か医務室で休んでおけ」

 所長はいつものように、言い終えた後そっぽを向いてタブレットに見入った。だがその指は、細かく震えながら画面の上を無意味にさまよっていた。



 医務室のベッドで白いカーテンに囲まれ、ルゥリアは母の事を思っていた。

 竜骨騎騎士の能力を人工的に覚醒させるプロジェクトの被験者応募。そのことを母に打ち明けた時、絶対に反対すると思っていた母が直ちに賛成してくれたことに驚いた。

 それからは母と共に手筈を整えてきた。いや、実際はほとんど母が準備をしてきたようなものだった。

 旅立ちの日、母は寝室で自分を送り出した。

「いってらっしゃい。元気でね」

 シンプルな言葉。だがその声と微笑みに、最後の別れを覚悟した思いが込められてはいなかっただろうか。


(いってらっしゃい。元気でね)


「う……」

 ルゥリアの中で、行き所を見失って迷っていた感情が一つの方向に向かっていく。


 そうだ。きっとお母様は死んだんだ。あの時すでに覚悟を決めていたんだ。

 私は、お母様と故郷のみんなを助けるために行くつもりだったけれど、本当はただ自分が安全なところに逃れただけだった!


 お母様


 お母様!


 お母様!!


「うう……」

 こぶしを握り締めて、瞼に力を込めて、顔を枕に押し付ける。熱い滴が流れ出ないように。


 きっと私のせいだ。

 私が出ていった事と、お母様が死んだことは、きっと、いや、絶対関わりがある。


 泣きたい。叫びたい。でも駄目だ。

 泣いたら、もう壊れてしまう。声を出したら、走り回って、暴れまわって、力尽きるまで、止まれない。自分の素性も、隠しておけなくなるだろう。それは駄目なのだ。

 でも、もう耐えられない。

 どんなに遠く離れても、お母様が待っていると思うから頑張れた。なのに!


 嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!!


 その時、引き戸の開く音がした。そして専属医のメドーンと会話する声。だがそれは、予想した所長やナイードではなかった。

「セリアちゃん、いいかな?」

 ホベルドの声に、ルゥリアはなぜか救われる気がした。

「は……はい」

 ルゥリアがやっとの事で声を絞り出すと、カーテンが引き開けられ、ホベルドが顔をのぞかせた。

 その後ろで、メドーンが戸口に向かう。

「ありがとうございます」

 ホベルドの掛けた声に、彼は片手だけ挙げて部屋を出ていった。

 そしてホベルドは、小さな丸椅子を引き寄せて腰を下ろす。その顔に、今まで見たことのない影が落ちているのを、ルゥリアは見た。

「母上の事、聞いた……というか、まだ皆には公表されていないけど、俺が色々と張っていたアンテナに入ってきた」

 ああ。ルゥリアは納得した。ホベルドはその立場故に、様々な情報が入ってくるのだろう。

 ホベルドは静かに言葉をつなぐ。

「俺には、今の君を励ます言葉なんて思いつかない。そしてすまない。そのために来たんじゃない。ただ今は、一緒にここで泣く事を許してくれ」

 ホベルドはうなだれ、彼の手が、ルゥリアの目の前にふわりと置かれる。

「お母様を、ご存知なのですか?」

「お会いしたことはない。だけど、君や他の人を通して、人となりは多少とも伺っていた」

 その口元が引き締められ、震えるのが見えた。

「俺が、先に泣いては駄目だよな」

「いえ……いいえ」

 ルゥリアは、ホベルドの手を両手で掴んだ。

「ありがとう……ございます」

 視界がぼやける。

 そっと目を閉じると、感情がその隙間から静かに流れ出る。手も足も、体も震えているけれど、不思議と心は落ち着いて、悲しみを受け止め、そして送り出せている。

 一緒に泣いてくれる人がいる。それがどれほど支えてくれるものか。

 故郷の森の中、父が命を落とした場所で、クルノの胸に飛び込んで共に泣いた日の事を、胸の痛みと共に思い出す。

 それでもホベルドの、機械で出来ている筈の右手は、とても暖かい。


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