十.ゴーレムと黒魔術
エルフは、かつて北大陸西方の森林に広く住んでいた狩猟の民である。外見はヒトに近いが、細身の体つきと先端の尖った耳が特徴的だ。
しかしヒトがその数を増やし、森を切り開いていくと、エルフとヒトの対立が激化する。
精霊と会話し、その力を魔法として使うエルフは、魔力こそ弱いものの数と技術で上回るヒト族と衝突を繰り返す。
しかしヒトの技術は、異世界人のもたらした科学によってさらに発展。エルフの居住地は狭まっていった。
先の第二次世界大戦では、ヒト中心主義『ユマニズム』を掲げるグレニア帝国によって、エルフは他の亜人と同様に弾圧と虐殺の憂き目に遭い、逃れた者は海洋連合諸国に亡命した。
戦後、エルフはマレディオン帝国本島と新生グレニア王国、その隣国ベランキ王国の森林地帯にそれぞれ公国を樹立。初めてヒトと対等の立場で国際社会に参加する亜人となった。
ただしその領域は比較的温暖な西方世界西部に限られ、北東に広がるノヴォロジ帝国には今は居住していない。そのためルゥリアにとって、実際に初めてエルフを見るのは初めてだった。
「ええ、わたし。……うん、特に問題はないから」
アルビーが電話で話す声を聞きながら、ルゥリアは動揺していた。
ノヴォルジの人間にとってエルフとは、半ば幽界の住人であり、生まれながらにして強大な魔法の使い手であった。
昔話の中で、ゴブリンやオークが野蛮な襲撃者であるのに対して、エルフは謎々の出題者であり、ヒトの些細な過ちに怒って理不尽な罰を与える森の支配者でもあった。
「……遅いけれど、進展はしている。そうお父様に伝えて。それだけ」
通話を終えたアルビーが、一度シャワールームに戻り、片付けしてからまた出てきた。ふと足を止めて、ルゥリアの方を見ている。ルゥリアはペンを握ったまま凍り付いた。
「さっきから進んでないね」
「え?」
「宿題」
「あ、はい」
アルビーの観察力に、ルゥリアは慌てた。
「気付いたんでしょ? わたしがエルフだって」
「はい」
アルビーは、肩をすくめる。
「わたしは別に、隠してないから」
そうだろうか、とルゥリアは思った。少なくとも髪で耳の先を隠してきたのではないだろうか。そう思ったのを読んだかのように、アルビーは顔を少し傾け、
「いや、隠してはいたか」
とつぶやいた。それから視線を戻し、
「ねえ。エルフを、妖怪か何かだと思ってる?」
「いえ、そんな」
ルゥリアは弾かれたように立ち上がった。アルビーにまっすぐ向き直って、見上げる。
「ただ、ヒトより精霊に近い、と聞いているので」
「どうなんだかね」
アルビーは顔を少し横に向けて、髪を指に巻き付けた。
「少なくともわたしは、そんな事ないけどね」
「そう……ですか」
「まあ、生活はヒトと同じだから、気にしないで」
それだけ言って、カーテンの向こうに戻っていく。
ノランもすらりとした体形の持ち主だったが、アルビーはさらにほっそりしている。歩くだけでも鍛えられた筋肉の躍動するさまが肌の上からでも分かるのだが、それを支える骨格はヒトのそれよりかなり細いようだ。
そういえば、ビルの屋上で行われた剣技大会で、ノランと戦った剣の腕は互角、あるいはそれ以上だったが、風を味方に奇策で逆転したノランに抑え込まれると、跳ね返すことができなかった。
「あの、アルベリンさん」
ルゥリアは思わず、カーテン越しに声をかけていた。
「面倒。アルビーでいい」
「は、はい」
そっけない返事。一瞬怯みかけた自分を叱咤して、
「それではアルビーさん。少しお話しする時間を戴けますか?」
「別にいいけど」
寝衣を着る気配と共に、返事が返ってきた。
「エルフの皆さんは、竜骨ゴーレムを嫌っていると聞いたことがあります。なぜなのでしょうか」
「そこか」
少し間が開いて、
「死霊術師って知ってる?」
「はい」
魔術師の中でも、死霊を召喚し、あるいは死体や骸骨を操って使役する、いわゆる黒い魔術師だ。
「好き?」
「まさか!」
ルゥリアは激しく首を振った。自分が接したことはないが、いにしえから死霊術師は多くの国で邪悪なものとされてきたことは知っている。
ただ、科学技術と工業の発展に抵抗する狩猟民や遊牧民の間では、文明諸国の圧迫に対抗できる偉大な力として尊敬されている場合もあるそうだが。
「そうだよね。で、なぜ龍の骨を使うのは平気な訳?」
「あ……」
虚を突かれて考え込む。
「ヒトじゃなければいいの?」
「ええと……。やはり、自分と同じヒトの、いえ、エルフの皆さんやゴブリンさんたちでも、自分と似た姿には抵抗があるのだと思います」
「ゴブリンさん、か。いや、いいけど」
素っ気なさは変わらないが、その言葉には少し温かみがあるようで、ルゥリアは心を強くした。
「エルフにとって、ドラゴンは世界の持つ荒ぶる生命力の象徴で代表だから。しかも、その竜の骨を人の形に似せて整えて、人のように鎧を着せるんだから」
「そう、ですね。認められるはずがない、ですよね」
納得したルゥリアは、次に浮かんだ当然の疑問をぶつけた。
「でも、ならアルビーさんはなぜこの実験に」
「私の事、話す必要がある?」
会話を断ち切る、冷たい声だった。思いのほかに会話が進んで少し心が浮き立っていたルゥリアの背筋に水を浴びせられた。
「いえ……ありません」
「そう」
それを最後に、アルビーの声は途絶えた。
翌日は土曜日。ホベルドとの剣技特訓の日だった。練習場で顔を合わせた時、ホベルトは開口一番で尋ねてきた。
「どう? アルビーとの生活は」
「なかなか難しいです」
ルゥリアはうつむいた。
「一般的な事なら、思ったよりお話ができます。でも、個人的なお話は、させていただけません」
「まあ、彼女相手にそれなら、上出来だよ。焦る事はない」
「ありがとうございます」
ルゥリアは安堵の息をついた。
「それであの、アルビーさんですが……」
ルゥリアは迷う。アルビーについて、どこまで話したものか。彼女の正体は、周知の事実なのだろうか。
「彼女がエルフだってことは、知ってるよ」
「そうなんですか!」
ルゥリアは驚いた。
「あの、殿下はアルビーさんとの関係はいかがでしょうか」
「ルゥリアちゃんとそんなに違う訳じゃない。彼女は、プライベートな事に立ち入られたくない気持ちが強いが、このプロジェクトへの期待も同じくらい強い。だから、そのために役立つ話なら、いくらでもしてくれる。ただ、それ以上となると」
ホベルドの表情が曇る。
「難しいものがあるよね。グレニアの王族としては」
「そうですね……」
ルゥリアも自然とうつむき気味となった。
80年前の第二次世界大戦で、エルフを弾圧、虐殺したグレニア帝国の後身がホベルドの祖国であるグレニア王国だ。無論、その首謀者たる皇帝ロジェンダール二世は廃位、皇室も廃止となり、今の王家は元地方貴族で血縁はない。
ホベルドにとってもアルビーにとっても、その悲劇は生まれる前、祖父母、曽祖父母の代の事だ。それでも、過去が消えることはなく、グレニア人とエルフの間には、緊張感が漂うのが普通だ。
もっとも先の大戦では、ルゥリアの祖国ノヴォルジ帝国もグレニアと戦っているのだが、ルゥリアにはそのわだかまりがなく、アルビーの、エルフのこだわりが実感としては分からない。それは、抑圧者と被支配者ではなく、国と国との戦いであった故だろうか。
「さすがに殿下も、アルビーさんをデートに誘ったりは出来ないですよね」
「いや、誘った」
「え?」
ルゥリアは驚愕してホベルドを見上げた。
「まあ断られたけどね。何度も」
「殿下は本んっ当に悪いお方です!」
「そう?」
ホベルドは爽やかな笑顔を浮かべた。
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