八.恋と、戦い
起動試験から八日でノランは退院。その翌日にはもう寮の部屋を出る事となっていた。
彼女は荷物をあまり整理せず、片っ端からコンテナに詰め込んでいく。
「さて、こんなもんかな。ジェリムちゃん!」
「はい」
彼女が廊下に声をかけると、開け放しにしていたドアからサポートアンドロイドのジェリムが入ってきた。
「これ、新しい私の部屋まで送って」
「分かりました」
ジェリムは女性的な姿からは想像もつかない力でコンテナを軽々と持ち上げ、廊下のロボット台車に乗せた。
「じゃあよろしく。えーと、十分くらいしたら行くから」
「はい」
ジェリムはロボット台車を従えて、エレベーターの方に向かった。
それを見送ったノランは、ルゥリアに向き直った。
「多分、セリアちゃんはアルビーと同じ部屋になると思う。今、あっちも一人だしね」
「はい」
静かにうなずくルゥリアの顔を、腰に手を当てて覗き込む。
「不安?」
「……いえ、大丈夫です」
ノランはうなずいた。
「うん。私もそう思う。アルビーはつんけんしてるけど、絶対に悪い子じゃない。きっとセリアちゃんも、あの子とのいい付き合い方を見つけられるよ」
「はい」
「大体ここには、悪い奴はいないよ。いるとしたら、ホッブくらいだ」
そう言って、あははと明るく笑うノランに、ルゥリアはずっと気になっていた事を切り出した。
「あの、ノランさんは、どうしてそんなにホッブさんの事がお嫌いなのでしょう?」
「ん? ああ」
ノランは息をゆっくり吐いた。
「セリアちゃんとしては、ちょっと悲しかったよね。お姉ちゃんと師匠が仲悪いんじゃ」
「いえ、あの……はい」
うつむくルゥリアに、ノランは優しいまなざしを向けた。
「あいつの正体、セリアちゃんは知ってるんだよね。あ、言わなくていいよ。それでも、あたしにだって分かるんだよ。あいつは、ただの騎士の息子なんかじゃない。貴族とか、もっと上とか、そんな世界の住人なんだって。私が騎士になったとしても、平民の、それも下層民の娘が結婚とかできる相手じゃないって」
ルゥリアははっとして顔を上げた。ノランの言葉に、今まで聞いたことの無い感情、悲しみ、そしてそれと相反する暖かい気持ちが感じられたからだった。
「あたしなんて、町工場のおやじにも息子との結婚を断られるようなあばずれだからね。それなのに、気楽に声かけてきて、デートに誘ったりするんだよ。天然スケコマシが。腹立つよね。ほんと、悪い奴だ」
窓の外、どこか遠くをを見ながら柔らかな笑みを浮かべるノラン。その横顔に、ああ、とルゥリアは思った。ノランは、ずっと自分の恋する心と、戦っていたのだと。
「さてと、それじゃ、行くかな」
ノランが腰を上げかけた時、外が急に暗くなり、土砂降りの雨が降り出した。
「あちゃー、スコール来ちゃったよ。人の悪口言ったからかな?」
ノランが頭を掻くと同時に、二人の携帯端末にスコール警報が届く。
「遅いっての」
ノランは唇を尖らせながら電話を掛ける。
「あ、ジェリムちゃん、雨、大丈夫?……ああ、そう。さっすが! うん。止んだら行くから。それじゃ」
通話を切ると、
「ジェリムちゃん、今は途中のビルに雨宿りしてるって。スコールの確率が高いのを知ってたから、コンテナに防水シート掛けてくれてた」
「本当にさすがですね」
「うん。じゃあ、雨が止むまでもうちょっといるわ」
「はい」
答えながら、ルゥリアは今まで切り出せなかった話をするべき時が来たと思った。きっと神様達の思し召しなのだと。
「あ、あの!」
ノランがベッドに腰を下ろすと、ルゥリアは身を乗り出した。
「なに?」
「私の本当の名前と私の事、聞いていただけますか?」
ノランは真顔になって聞き返した。
「いいの?」
「はい、ノランさんには聞いてほしいのです」
「うん分かった。聞くよ」
ノランがうなずく。
そしてルゥリアは、自分の名、本当の生まれと育ち、そしてここに来るに至った理由を説明した。それを聞くうち、ノランの目と口は大きく開かれていった。
「ネットニュースで見た事あったよ。あれがセリア……いや、ルゥリアちゃんの親父さんだったのか……」
「はい」
「苦労したんだね」
ノランは抱きしめるようにその両腕を広げたが、動きを止め、そして腕を下してルゥリアの手を握った。
「違うな」
「え?」
「ルゥリアちゃんは、けなげな小さな子供、私の新しい妹、そう思ってた。でも違った。ルゥリアちゃんは、一人でちゃんと歩いてきたんだね」
「そんな……ノヴォルジから飛び出しはしましたが、本当は一人では何もできていません。所長やノランさん、ここの皆さんのおかげで、何とかここまで来れているだけです」
「いいじゃない、そんけんしなくても」
「謙遜です」
無粋とは知りながらも、ルゥリアは訂正する。
「そうだっけ? まあいいや。……あ、そうそう。スキッフェルリンチ」
「え?」
ノランの唐突な話題転換に、ルゥリアは思わず聞き返した。
「あ、ごめん。うちの名字。前に話したじゃない。ノヴェスターナに来る前の、元の名字。昨日おふくろに電話して聞いたんだ。スキッフェルリンチ、だってさ。まあ、意味ないけどね」
「そうとは限りません」
「へ?」
ルゥリアが身を乗り出すと、ノランは目をしばたかせた。
「所長のお話の後、調べました。ノヴェスターナで国家資格を取ると、一代準騎士の身分を得られるそうですね。そうなれば騎士としての名を名乗ることができます。それは戸籍の登録名である必要はないそうです」
「そうなの? よくそこまで調べたね」
「はい! あ、いえ、あの、いいえ。それでお名前ですけど、これも前にお話しした時にノルトリンデが良いっておっしゃってましたね」
ノランは視線を宙にさまよわせ、記憶を呼び覚ました。
「ああ、そういやそうだった」
「だから、ノルトリンデ・スキッフェルリンチですね」
「うん。あ、そうだ。ノヴェスターナの騎士は生まれた町の名前を後に着けるから、あたしの場合は、ビン・レイントンで」
「はい」
「じゃ、これに書いてもらえる?」
ノランはノートとペンを差し出した。
「はい」
ルゥリアはうなずいて受け取り、白いページの真ん中に、
『ノルトリンデ・スキッフェルリンチ・ビン・レイントン』
と書いた。
「どうぞ」
「うん、ありがと。絶対合格して、この名前を名乗るよ」
ノランが返されたノートに感慨深げに目を落とすと、窓からきらめく陽光が差し込んできた。二人は揃って窓の外に目を向ける。
「スコール、上がったね」
「そうですね」
二人の間に、寂しくも暖かい空気が流れた。
「貴方も竜骨騎騎士になれる、なんて胡散臭いサイトに応募した事から始まって、ここまで全部繋がってるんだね」
「はい」
ルゥリアは短く答えた。それ以上言葉を繋ごうとすると、泣き出してしまいそうだった。
「さて、それじゃ、今度こそ行きますか」
ノランはノートをバッグにしまい、立ち上がった。
「頑張り過ぎないように。それがおねえちゃんのお言葉です。じゃ、またね」
ノランは背を向けて、手を振りながら出ていった。
「はい」
ルゥリアは深く頭を下げた。そして心の中で、言葉をつづけた。
本当に、ありがとうございました
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