七.処分通告

 ホイデンスは、起動実験のトラブル収拾を終えると、リーフレンス医療技術研に向かった。

 カーテンの向こうから夕陽が橙色の光で満たす病室では、ノランが人工透析を受けながら横たわり、傍らの椅子ではルゥリアが泣きじゃくっている。

「所長ぉー」

 ノランが青白い顔に困惑の笑みを浮かべてホイデンスに訴えた。

「セリアったらずっと泣きっぱなしなんだよ。これじゃ干からびちゃうよぉ」

「すいません……」

 謝りながらも涙が止まらないルゥリア。ホイデンスはちらっと眼をやり、

「人が流す涙の量は、四時間泣き続けたとしても、命に別状はないレベルだ。脱水症状に陥る事はないから安心……」

「そういう事を言ってるんじゃないでしょ、この天才馬鹿所長」

 ノランは眉根を寄せて睨んだ。

「……不愉快な発言だ」

 所長はむっとした。だがルゥリアが心配そうな顔で二人を見比べるのを片目で見て、咳払いをする。

「概ね事実なので許すが」

「……馬鹿も認めるんだ」

「馬鹿単体なら処分ものだ。天才馬鹿でセットだ」

「ほんとに面倒なんだから」

 二人の相変わらずの会話に、ルゥリアは、涙を流しながら笑ってしまった。

 安心したからというのもある。だが、二人の一見馬鹿々々しくも穏やかな会話が、終わりを――少なくともノランにとっての全ての終わりを告げるものだと分かっていたからだ。

「あ、セリアちゃん笑った」

「泣いているが」

「泣き笑いでしょって、そんな事をいちいち病人に言わせないでよ」

「すみません。所長、どうぞ」

 ルゥリアは涙を拭きながら立ち上がり、所長に椅子を譲った。彼は腰を下ろすと、一呼吸おいて話し始めた。

「診断を聞いた」

「うん」

 ノランが静かに答える。

「細かい事はお前も聞いた筈だから省略する。要はお前の体への負荷が、被験者を続けるレベルを超えたという事だ」

「うん」

 その診断は、ルゥリアも聞いていた。薬剤の負荷によって、ノランの体は多臓器不全になりかかっていたし、脳には微小な脳梗塞の痕跡があった。もちろん脳への薬剤の負荷も、危険なレベルに達していたという事だった。

「ノラン、お前を竜骨騎騎士育成プロジェクトの被験者から外し、正常生活復帰プログラムに移す」

「うん」


 部屋にしばしの沈黙が訪れた。

 ルゥリアは、ホイデンスが口を開け、しかし声を出せないでいるのを見た。その唇が、細かく震えている。

 ノランは毛布の下から出した手で、所長の手を握った。

「大丈夫。あたしはこうして生きてるよ」

 ホイデンスは渋い顔になった。

「お前がそれを言うな」

「うん、ごめん」

 ノランはふふっと笑い、天井を見上げた。

「さて、やる事無くなっちゃったし、これからどうしよう。本でも書こうかな。初めて人工竜骨騎を動かした女、とかそんなタイトルで」

「いささか不正確なタイトルだな。動かすだけならトルカネイが最初だった」

「初めて人工竜骨騎で臨界を突破した女? 長いって」

 笑うノランに、所長が相変わらずの仏頂面で告げた。

「だが、当面お前にそんな時間があるとは思えんが」

「え?」

 ノランが聞き返すと、所長は椅子に深く座り直した。

「ノラン・スキッチ、お前の規約違反へのペナルティを決めた」

「うん」

「はい、だろう」

「……はい」

「ノヴェスターナ帝国一級国家資格の取得を、退所条件とする」

「はい?」

 ノランが目をしばたかせると、所長がブリーフケースから書類の束を取り出した。

「ここに資格の資料がある。どの資格とするかはこれから決めるとしよう」

「あの……」

「ランジャン学習研究所の所長に、頭は良いが勉強の機会が足りなかった成人の被験者を提供すると言ったら、涎を垂らさんばかりに喜んでいたぞ。だから」

「ちょっと待ってよ」

 ノランが話を遮る。

「国家資格の試験って、勉強込みで結構お金かかるんでしょ?」

「その問題は解決した」

「は?」

 驚くノランに所長は、投資家ダク・ホジャイからの見舞の件を説明した。話を聞くにつれて、ノランは神妙な面持ちになっていった。

「人生は、悪い事ばかりじゃない……」

 呟くノラン。


 ルゥリアは、自分が間違っていたことを喜んで認めた。所長が告げに来たのは、ノランの全ての終わりではなかった。一つの終わりと、一つの始まりを告げるものだったのだ。

「覚悟しろ。勉強はきついぞ。サボリも脱落も許さん。お前が金バッジを襟に着けるまで、絶対解放などせんからな。俺は、目的の為には手段を選ばない人間だ。知っているだろうが」

「やだ、所長、泣かせないでよ…」

 ノランが顔を背け、ルゥリアはティッシュでその目尻を拭った。

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