五.所長の仕事
「臨界突破です!」
読み上げる声と共に、
「よっし!」「やったあっ!」
スタッフと被験者達が腰を上げ、歓声と拍手が巻き起こった。ただルゥリアだけは、胸の前で手を握り合わせ、全てが早く無事に終わってほしいと念じていた。
一号機は、両腕を開き、背の翼を広げた。そして口を開く。
グォオオオオオオオ!
龍の咆哮が、地下空間を揺るがした。皆は盛り上がっていたが、ルゥリアにはそれが悲鳴に聞こえ、目をつぶって耳を塞いだ。
その時、
『がっ!』
苦悶の声が、スピーカーから響いた。スタッフの動きが止まる。
画面の中のノランが、右手で左胸を掴むように抑えていた。
「…血圧、上150突破!」
「心拍数、110以上! いや、乱れています! 心室細動確認!」
ルゥリアの顔から血の気が引いた。
「同調率、60パ…いや、95…急変動してます!」
『あ! はがっ!』
ノランのうめき声。開き切った口から、大量の唾液が流れ出た。
ガラスの向こうで、一号機の体がふらつく。
「フレーム出力、低下! 体制崩れます。バランサーで補正しきれません!」
「試験中止!」
ホイデンスが叫ぶ。ケリエステラがそれにかぶせ、
「ワイヤー射出! 自動制御優位に切り替え、立位姿勢維持! タラップ、一号機の前面に移動! 乗員救助最優先だ!」
一号機の頭上に追従していたガントリークレーンからワイヤーが射出され、先端の可動フックが一号機のフレームや外装に噛みつく。
一号機は、ワイヤーに支えられながらモーターの動作で起立姿勢になって停止した。
ホイデンスは立ち上がるが、上着の裾が椅子のクッションに挟まって引き戻される。
「くそっ!」
彼は上着を脱ぎ棄て、
「フェネイン、後は頼む!」
「はい!」
部屋を飛び出し、医療スタッフの後を追って階段を駆け降りた。ルゥリアも被験者たちも一斉に続く。
皆がフロアに出ると、整備スタッフが、一号機から運び出したノランを担架に横たえる所だった。彼女は小刻みに震え、弱々しく頭を左右に振っている。
医療スタッフは彼らと入れ替わり、携帯ボンベで酸素を吸入させながらパイロットスーツの前をはだけ、除細動器の準備をする。
「ノランさん! ノランさん!!」
「離れて!」
傍らで泣き叫ぶルゥリアを押しのけた専属医のメドーン。看護師は除細動器を握り、ノランの胸に当てる。
「行きます」
確認の後スイッチを入れると、甲高い電子音が鳴り、ノランの体がビクンと震える。
「駄目だ! もう一度!」
タブレットで心電図を見たメドーンが指示を出す。
「はい!」
再びのけぞるノラン。ルゥリアは拳を口に当てるが、涙が止まらない。
「細動止まった! 強心剤!」
「はい!」
「心臓マッサージ!」
「はい!」
矢継ぎ早に処置が行われ、
「脈拍確認! 毎秒105回…87回…落ち着きつつあります!」
心臓マッサージをしていたスタッフが離れると、ノランがうっすらと目を開いた。その上にホイデンスが覆いかぶさり、ゴーグルを剥ぎ取る。
「誰?」
顔を近づけるホイデンスに、ノランは混乱した表情で問い返した。ルゥリアには分かった。人の顔が見分けられない今のノランには、上着を着ていないというだけで、朝に見た所長だと識別できないのだ。ホイデンスの顔が一層強ばる。
「瞳孔散大、識別障害。ノランお前、アストラレンを過剰摂取したな!」
「あ? ああ……所長か」
「馬鹿野郎!」
その細身の体からは想像もつかないような、雷鳴のような怒声が響いた。
ホイデンスはルゥリアの方を振り向いた。今まで見た事の無い怒りの表情に、ルゥリアはすくみ上がった。
「一緒に暮らしていて気付いていた筈だ! なぜ言わなかった!」
「……すみません!」
うなだれるルゥリア。
「違う、所長! セリアは悪くない!」
ノランが担架から身を乗り出してホイデンスの腕を掴んだ。
「あたしが脅したんだ! 黙っていろってさ!」
「ノラン!」
所長の怒声にも、彼女は引き下がらなかった。
「セリアを責めたら、いくら所長でも絶対に許さないから! それは、正しくない事だから!」
ホイデンスは小刻みに震えながら、次の言葉を探す。そこにホベルドがタブレットを差し出し、低い声で告げた。
「リーフレンス医療技術研のスタッフがゲートの前まで来てる。入門許可を」
「……何だと?」
興奮しているホイデンスは、急に冷静な口調で事務的な話を切り出されて、すぐには飲み込めないようだった。
「薬物洗浄の準備もしている。早い方が良いんだろう?」
「どういう事だ」
タブレットを操作しながら、茫然と尋ねる。水を差された怒りが、急速に収まっていく。
「俺が念のためにって準備してもらっていたんだ。二人の様子がおかしかったんで、セリアから無理やり聞き出した。ノラン、セリアを怒ったりしないよな?」
「……当たり前じゃん」
ノランがうつむく。
「くそっ!」
トルオが、自分の頭を殴りつけた。
「見てたんだ。ノランのサングラスも、セリアちゃんの赤い目も。なのに大したことじゃないって、流しちまった! すまない、俺の責任だ」
「違うって。あたしは最初から誤魔化すつもりで……」
「皆黙れ!」
ホイデンスの怒声が、場を止めた。辺りを見回し、深く息を吐く。
「お前たちは、ホイデンス研究所のメンバーだ。したがって、全て俺のものだ。俺以外の誰にも、責任などという言葉は使わせん」
視線を下し、ノランの体を担架に戻す。
「お前は大人しく治療されてろ。今はそれが仕事だ」
ノランは小さくうなずいた。
その時、白衣の医療スタッフが数人、大きなトランクを抱え、寝台車を押しながら入ってきた。ホイデンスは立ち上がり、相手の責任者に状況を説明。彼らは手早く担架を持ち上げ、ノランの体を寝台車に移す。
「ねえ所長」
ノランが声を絞り出した。
「あたしの事は、お医者先生に任せてさ……早くあそこに行ってよ」
ノランの視線は、貴賓室の窓に向けられていた。
「行って、大金持ちから、あたしたちの研究費をふんだくってきてよ。それが、所長にしか出来ない仕事でしょ」
ホイデンスの口が厳しく引き締められ、首筋の筋肉が強張った。
「……言われるまでもない」
立ち上がると、
「メドーン先生。医療班ごと一緒に行って協力してくれ。ノランの生体・薬事データは全て開示して構わない」
「分かりました」
「トルオ、被験者チームを上に戻し簡易健康診断の後で寮に返せ。必要な者にはフェネインのカウンセリングを受けさせろ」
「はい!」
ルゥリアに顔を向け、
「お前はノランに付き添ってやれ」
「はい!」
「それから」
その両拳に力が入る。
「お前を怒鳴ったのは間違っていた。すまなかった」
「いえ……いいえ」
ルゥリアはうつむいたまま、幾度も首を振った。涙の滴が床に滴り落ちる。
出口に向けて歩き出す直前、所長はホベルドと目を合わせ、
「よくやってくれた」
その後の王子、という言葉は唇の形だけ。それでも相手は、小さく肩をすくめて、微かな笑みを返してきた。
ホイデンスが階段を上ると、管制室のフロアでフェネイン主任が、椅子に挟まっていた彼の上着を持っていた。
「どうぞ」
「ありがとう。データの取りまとめと、被験者の心理サポートを頼む」
「はい。ケリエステラ所長は五分で一号機をハンガーに戻して、上に向かうとのことです」
「分かった」
彼は上着を纏い直す。深呼吸し、両掌で顔を強く叩いた。
さらに一階上がり、貴賓室に入る。窓際に立つ投資家が不安そうな顔で振り向いた。
「お待たせしました」
ホイデンスは彼を安心させるようにうなずき、椅子を手で示した。
相手が椅子に戻ると、自らも深く腰かけ、足を組み、乗せた足の膝に両手を掛ける。
「御覧の通り」
一呼吸を置く。微かな笑みを浮かべ、
「起動実験は成功しました」
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