四.暗転

 結局その後、ルゥリアは一睡もできなかった。


 そして翌日の朝。

 二人を含む被験者達は、起動実験の為に地下空間の管制室に集まっていた。

 ノランは朝からサングラスを掛けている。ひどい目の隈を隠すため。そして瞳孔が開いてまぶしく感じるためだ。

 ルゥリアは、誰かに相談したいのだが、ノランが傍から離れない。

 特に一番話したいホベルドが、少しでも近づいて声をかける気配を見せると、ノランが噛みつくような表情で威嚇する。ホベルドは頭を掻きながら、苦笑いで離れてしまうのだった。

 やがて、トルオが皆の体調を確認しながら、ノランの所にやってきた。

「お、グラサン、かっこいいね」

「でしょ?」

 無邪気にほめ、ノランもおどける。

「でも試験の時は外せよー」

「分かってるって」

 手を振って流すノラン。

「ところで、ごめん。今ちょっと気分が悪くて。順番を最後にしてもらえない?」

「え? 全然平気そうに見えたけど……それなら休むか?」

「いや、やるつもり。まあ最後になっても駄目だったら休むよ」

「分かった。所長に伝えるよ」

 トルオは次に、ルゥリアの顔を覗き込む。

「セリアちゃん、どうしたの? 目が真っ赤だよ」

「え? はい、あの……」

 言い淀むと、ノランが強く手を握ってきた。余計な事を言うな、というノランの意思が手に伝わってきて、心拍数が跳ね上がる。

「ちょ、ちょっと緊張して、寝不足で……」

 察してほしい、そう思った。だが、

「そっか。まあ、順番くるまでは仮眠してていいからね」

 トルオはにっこり笑って行ってしまい、ルゥリアは落胆した。


 投資家が来たと連絡があり、二人の所長は出迎えに出ていった。十分ほどして貴賓室から二人が戻ってくると、起動試験が始まった。

 ノランはずっとルゥリアの横で、何事かを呟き続けている。それが心底恐ろしい。自分の番が来てノランの横を離れても、ずっと見られている気がして、誰にも話すことができなかった。

 当然のごとく、試験の成績は散々なものだった。脳波制御でのまともな歩行もできないまま、試験は終了となった。

 他のメンバーも臨界を越えられないまま、ノランの番が来た。


「どうよ、行ける?」

「うん、すっかり好調」

 ノランは答え、フロアへ降りて行った。

 すぐにホベルドが近づいてきた。膝をついて低い声でささやく。

「何があった」

「え?」

「見れば分かる。朝から様子がおかしかった」

「ええと、あの……」 

 ルゥリアは迷った。ノランが怖いのもあるが、彼女がそこまで賭ける試験を、話すことによって中止させたくないとも思ったからだ。

「い、いえ……なんでもありません」

 視線を合わせないようにして首を振るが、ホベルドは動かない。

「本当に?」

「……はい。本当です」

「そうじゃなくて、本当にそれが、ノランにとっての最良の選択か?」

 ルゥリアははっとしてホベルドの顔を見た。

「ノランの様子がおかしいのも分かっている。彼女の試験、何事もなく終えられそうか?」

「それは……」

 ルゥリアは迷った。そして思い出す。昨夜のノランの、あの開き切った瞳孔を。

「……あの!」

 意を決して、口を開いた。


***************************


『ノラン、眼鏡外したら今度はゴーグルかよ』

 管制室から、トルオの声がした。あたしはゴーグルを指でつまむ。

「パイロットみたいで、かっこよくない?」

『はあ……度は入ってないか? 色は? ガラスじゃないよな? 万が一割れたりしたら……』

「オールグリーンって奴だよ。大丈夫」

『そっか。じゃあ、まあ、いいよ』

「ありがと、愛してるよー」

『棒読みで言うな』

 くすっと笑ってしまった。まあ嫌いじゃないよ。いい奴だし。太いけどさ。

 後は指示通り、チェックを進めていった。

『第二十三回搭乗試験、被験者ナンバー0055、ノラン・スキッチ、試験開始』

「了解」

『第一から第四ステップ省略。歩行から開始』

「了解。歩行から開始」

 そう答え、頭を垂れて精神を集中する。


 いつだって、楽しんで生きたかった。

 でも、しょっちゅうクソみたいなことが起きて、あたしは泣いてきた。

 妹が死んだときも。学校をあきらめた時も。リットの親から結婚を反対された時も。住んでいた家を追い出された時も。


『フレーム魔力伝導抵抗率24.8デル』


 そんなあたしは、今日で終わる。あたしは生まれ変わるんだ。

 ちっぽけで役に立たないノラン・スキッチは今日死んで、騎士になる。いや、ドラゴンになる。

 お袋には使用人付きの家をプレゼントするよ。痛い腰をこらえて洗濯しなくてもいいようにさ。

 クソおやじ。あんたにゃ殴られた事も一杯あるけどさ、アル中のための施設に入れるぐらいの面倒は見てやるよ。


『ゴーレム出力88~92%』


 ティル、メア、レノ。学校に毎日行かせてあげる。キッシ兄さんとレイ姉さんにはお店だ。いや、騎士の兄さんがピザ屋の店長ってのは変かな? まあいいや。


『同調率93%』


 何でも、そう、みんなが穏やかに、幸せに、楽しく生きてく為に必要なものは何でもあげる。

 あたしが、みんなを幸せにするんだ!


 あたしの体が、薄れていく。感覚が体から溶け出して、一号機の中に流れ込み、広がっていく。体に。手に。足に。翼に。尾に。

 一緒に流れ出る力を補うために、深く、早く呼吸する。心臓の鼓動が、早く、強くなってくる。

 足を踏み出す。一号機は、ゆっくりと歩行を始めた。着地の衝撃も、あたしの体じゃなく、一号機のフレームから直接あたしに伝わってくる。


『ゴーレム出力94%。なお上昇中』


 そうだろ? 今日のあたしは特別なんだ。まだまだいける。あたしがやってみせる。

 ほら、心臓も、こんなに強く、早く、脈を打ってる。


『同調率98%』


 あたしがやる。

 あたしがやる。

 あたしがやる。


『ゴーレム出力99%』


 体が熱い。顎から汗が滴り落ちた。

 そうだ。この子がどんなに冷たくても、あたしの炎がそれを超えるんだ。

 あたしがやる。

 あたしがやる。

 あたしがやる。

 あたしが! やるんだ!


『ゴーレム出力、100%……101%。臨界突破です!』

『よっし!』『やったあっ!』

 スピーカーから、歓声と拍手が聞こえてきた。

 今、あたしと一号機は、完全に一つになっている。嬉しさが、制御できないくらいの流れになって、心から溢れた。

 出来た! あたしに出来た! あたしだけが出来た! あたしだから出来た!


 あたしと一号機は、両腕を開き、背の翼を広げた。そして口を開いた。


「あたしを見なよ! あたしは、ここだあああっ!」


 あたしの叫びが、地下空間を揺るがした。

 その時。

 見えない杭が、あたしの胸に打ち込まれた。

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