三.銃後の戦い
挿話:メラニエ・ダリシア・バリンタ
彼と初めて会ったのは、南方でのタバージ・クンドラ紛争の最中だった。その時はただの国民軍中尉と騎士軍少尉だった。ちなみに私が中尉だ。
危機を救われたとか、背中を預け合って戦ったとか、そんなロマンチックな話は何もない。前線に向かう竜騎士の彼から、補給敞の手持自動砲の弾倉を渡すように言われて、大喧嘩しただけだ。
なにしろ騎士軍ときたら、弾薬燃料食料の備蓄より騎士の軍装の手入れに金をかけるような所なのだから、外征ではすぐに補給が底をつく。そうなるとすぐ国民軍に物資をたかりに来る騎士軍の横暴に、私のうっ憤は爆発寸前だった。
だがそれは一騎士である彼の責任ではないし、10テル自動砲は国民軍の装備としては二線級になっていたので、結局はそれを渡した。
紛争終結後、彼が私を訪ねて来た時、開口一番でお詫びをしたのには驚いた。それまでの間に、彼は苦戦の挽回に寄与した英雄としてマスコミで喧伝されていたから、私は勝ち誇った英雄から文句を言われるのかと思っていた。
だが彼は、非礼を詫び、感謝を述べた。それまでもその後も、騎士軍と揉めて不愉快な思いをしたことは数あるが、こんなことをしたのは彼だけだった。
彼の事情も、裏話として、私の耳にも届いていた。
大貴族トマーデン公の家臣の一騎士だった彼が、竜骨騎士の適性を見出されるや否や、苦戦する遠隔の紛争地にたちまち投入されたこと。その戦場でも補給に苦しんだこと。そんな中でも、騎士軍と国民軍の対立が作戦の足を引っ張ったことなどだ。
その場は短く言葉を交わしただけだったが、私は彼の人柄に惹かれた。そして次に彼が会いに来た時には、自分も彼に恋していると認めざるを得なかった。
そして3度目に会った時に、彼はプロポーズしてきた。だがその求婚には、難題がセットになっていた。
彼の活躍は、女帝陛下にも嘉され、彼は帝国騎士に抜擢された。だが彼がもらう事となった領地は、大貴族トマーデン公が統治を委任されていた皇室領だった。それは火中の栗を拾わせるがごときものだったが、勅命を拒む道などない。
彼は私に、その困難な道を共に歩んでほしいと告げたのだった。
それから紆余曲折あって、結婚までは2年かかった。軍人同士といっても貴族と平民の結婚には、控えめに言っても大変な手間が掛かるのだ。
そしてその後は、領地の運営、国境の防衛、そしてトマーデン公との軋轢とを相手に、二人で奮闘し続けてきた。
そう、戦争が終わり、一応は平和な時代になって初めて、私と彼は背中を預けあって戦う仲となったのだ。
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「トルムホイグ全領民へ。こちらは領主代理、メラニエ・ダリシアです。 緊急避難命令発令! 敵対勢力がグローズ村に侵入! 全ての者は移動可能な車輌と共に各村の広場に集合! 村長が指揮し、必ず全員を乗せて領主館の演習場に移動! 現時点より、直ちに行動開始!」
ガレージの中で放送を聞いたクルノ達が、顔を見合わせる。
「おい……」
サニエスが口を開いたが、言葉が続かない。
(やっぱりみんな、緊張してるな)
クルノは思った。今までこんな事態に備えた訓練を繰り返してきたが、本当の緊急事態に接するのは皆初めてなのだ。
それでも、互いの顔を見ている内に、皆やるべき事をやる決意がみなぎってくるのが分かった。自分達が、自分達だけが、従士の子供であり、見習いとは言え従士の端くれなのだから。
誰ともなしに、右手を上げて、拳を合わせた。
「郷土のために!」
子供たちの高揚した心も、十数分後には混乱に押し流されていた。
集まり始めた人々が、従士の子供達に質問の嵐を浴びせてきたのだ。
「敵はどこの国の奴? 東の魔術師ども?!」
「うちのおばあちゃん、足が悪くて家に残ってるの! 車出してちょうだい!」
「俺、どこ中隊になるんだっけ?」
押し寄せる人々の質問に、クルノ達はパニックに陥っていた。
「敵は……良く分かりません!」
「ええと、ちょっと待って……名簿どこだっけ?」
「私だって知らない!」
その時、クルノの肩に手が置かれた。振り向くと、サニエスの祖父ゲンデルだった。その後ろにも、引退した先代の従士達が揃っている。
「じいちゃん……」
ゲンデル老人は、サニエスやクルノ達に微笑みかけると、一転厳しい顔で周りを睨んだ。
「落ち着かんか!」
低いが、よく通る声が響き渡ると、喧騒が一瞬で静まった。
「年に四たびの訓練は、ただの遊びじゃったか?」
老人達は視線を合わせて頷くと、人々の中に散っていく。
「民兵登録されている者は、こっちに集まれ! サニエス、来い! 名簿を出す!」
「うん」
「うん?」
ゲンデルのひと睨みで、サニエスはぴんと背筋を伸ばした。
「は、はい!」
「家に誰か残っている者はこっちだ! バスで拾って廻る!」
「手の空いた者からガレージに来い! 領主様の為に武装を準備する!」
老従士達が声を上げると、人々がそれに従って流れ、混乱は急速に落ち着いていく。
一息ついたクルノの視界に、館から出てきたルゥリアが映った。緊張した面持ちの彼女は、紙を持って辺りを見回している。
「なんですか? ルゥリア様」
「うん……お母様から、みんなに伝えるようにって……」
「わかりました。じゃあ……」
辺りを見回し、空の弾薬箱に目を止める。
「あの上にどうぞ」
「う、うん……」
ルゥリアは箱の上に乗り、
「あの……」
声を上げた途端、一斉に皆の視線が集まる。
「お嬢様!」「ルゥリア様!」「戦況はどうなってるんですか?」
次々と飛んだ声に、彼女は立ちすくんで固まった。
(まずい……また同じことの繰り返しになる)
クルノは大きく息を吸った。
「み……皆さん!」
思い切って出した声に、人々の会話が止まる。
(よし!)
「ルゥリア様が、奥方様からの指示をお伝えします! まずは聞いて下さい! ……さあ」
顔を向けると、ルゥリアはうなずいて、深呼吸した。
「戦況は不明です。念のためにお年寄りと子供は、サイデルガルス市に避難します。学校に行く前の子供は、お母さんも一緒に避難です。他のお母さん達は、館で母を手伝って下さい。以上です」
クルノはその話を聞きながら、こういう事態の時にどうするべきか、訓練で父が言ったことを思い出していた。ルゥリアが箱から降りると、横で声を上げた。
「運転の出来るご老人と母親は手分けして運転席に! 道の分かる人は助手席に! それ以外のご老人と母親と小さな子は荷台の一番奥へ! 次が女子! 男子は荷台の後ろ側で皆を守って! 今すぐに動いてください!」
言い終えると同時に、人々が一斉に動き始めた。
やがて最初に一杯になったトラックの荷台から、声が飛ぶ。
「お嬢様もこちらに!」
ルゥリアと同級の友人達だった。だが彼女はかぶりを横に振った。
「私は、最後の子供たちと避難します」
「クルノは?」
「もちろん、俺も最後だ」
クルノも同級生の声に答えた。
「おいクルノ!」
声に振り向くと、サニエス達が揃って立っていた。
「従士の息子は最後だ、だろ?」
「従士の子供、ね」
トレンタがサニエスの脇腹をつついた。
「ぼくも残る!」
サニエスの弟、まだ8歳のクリートが横に立つが、
「お前は避難だ!」
サニエスに荷台に載せられてしまう。
「待って! やだ! お兄ちゃんのバカー!」
「バカとは何だよ!」
「出して下さい」
兄弟喧嘩になりそうな所を、トレンタが手を挙げて断ち切って、車を送り出した。
「気をつけてね!」
クリートが泣きそうな顔で手を振るのに、サニエスも手を上げて答えた。
「おう」
それからしばらく、街は西へ避難する車と、他の村からたどり着く車でごった返す。
その最中、上空を戦闘機の三機編隊が東へ向けて通過した。皆がしばし作業を止め、彼らに手を振った。
やがて、軍用車両だけに許された大きなクラクションが響いた。グローズ村から戻ってきた従士隊のトラックだ。
「来た!」
「通して! 領主様にお渡しする武器です!」
「道を空けて!」
従士の家の子供と老人達がトラックを導き入れ、その荷台に竜骨騎用武装を積み込む。長槍、手持ち自動砲、手榴弾……。
「戦況は?」
「こちらが出た時はまだ始まってませんでした!」
「そうか。よし、行け!」
ゲンデル老人が従士の背中を叩いて送り出す。
「間に合ってくれ!」
走り去るトラックを見送りながら、ゲンデル老人が低い声で呟いた。
「これで、避難は最後だな」
「よし、お前たちも、お嬢様と共に行け!」
ゲンデル達老人衆に言い渡された子供達は顔を見合わせるが、
「俺、残る!」
クルノが迷っている間に、サニエスが一歩前に出て口を開いた。。
「お袋たちもじいちゃん達も避難しないんだろ? じゃあ従士の子供だって…」
「俺も……」
クルノも慌てて言い掛けたが、
「お嬢様も残れと言うつもりか?」
厳しい声で問い返されて口ごもる。
「え? い、いや…」
「わ、わ、私なら、残っても……」
ルゥリアが、おずおずと声を出すが、
「行くのです」
皆が振り向くと、メラニエが軍服姿で立っていた。
「ルゥリアも、あなたたちも」
歩み寄り、ルゥリアとサニエスの肩に手を置く。
「子供は、生きるのが一番大事な仕事です」
クルノ達は皆うつむいた。彼女の言葉の後では、異論を唱える余地などなかった。
メラニエは、軍用通信機をクルノに渡し、
「さあ、早く」
と促す。
「はい」
クルノは、皆の顔を見回した。躊躇いではなく、気持ちが一つだと確かめるために。そしてうなずき、メラニエに敬礼した。
「お嬢様と、避難した皆をお守りして参ります」
「あなた達自身もね」
「はい!」
メラニエは、ルゥリア達を乗せた最後のトラックを見送ると、演習場に整列した民兵たちの前に立った。
「参陣、ご苦労様です。領主が戦闘中と思われ、通信が妨害されている状況のため、私が騎士軍法第七条第三項に基づき、少佐に臨時任官し、本領騎士軍部隊の指揮を代行します」
宣言すると、皆が不揃いながら敬意のこもった敬礼をした。メラニエはそれに答礼し、作戦命令を出す。
狩人と樵からなる偵察小隊は東の森に分散し、敵の動向を探る。
民兵二個中隊は南北の森に展開し、敵が侵攻してきた時は反撃、あるいは遅滞を試みる。
残る一個中隊はトルムスの街を防衛する。
「作戦は以上。皆、命を無駄にはしないように。行動開始!」
一斉に動き出す民兵達。彼らを見送りながら、メラニエは複雑な思いを抱えていた。
彼らに『死なないで』とは言えなかった。死なせるばかりが戦いではないが、戦わせる以上、死なせないと約束はできない。
メラニエは知っていた。どんな祈りも、どんな信念も、戦場で生き残る保証にはならない事を。
そしてそれが一番当てはまるのが、今まさに戦っている夫だという事も。
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