第一章.騎士領トルムホイグ
一.巨人狩り(前)
ルゥリアことルーンリリア・バリンタは父ヴィラージを愛していたが、それ故に父の一つの癖だけは愛せなかったし、恐れてもいた。
彼が戦場に立つ時には必ず、ルゥリアの顔を両手で挟み、真顔で言うのだ。
「俺が生きて帰れなかったら、母さんを頼むぞ」
その言葉を聞くたびに、ルゥリアは父が消え、母が嘆く未来を思い浮かべ、恐怖に震えた。
今までは、それでも父は無事に帰ってきた。そしてその度に、二度と父が戦いに出ることがないようにとルゥリアは祈った。
しかし父は騎士であり、騎士は戦うものだ。
********************
早朝の厨房は、いつもなら母が一人で静かに朝食を作っている場所だ。だが今日は、従士の妻達も入り、慌ただしく準備を進めていた。大人数が避難する事になるかもしれないので、彼らのための食事を用意するのだ。
そしてその前に、まずは最初のサンドイッチを、夫たちに渡さなければならない。
「できた。ルゥリア、皆に持っていってあげて」
母に言われ、ルゥリアは無言でうなずく。
不安を心の下に押し込めて、盆を両手で持ち上げ、館を出てガレージに向かう。
「弾倉装填、終わりました!」
従士隊長の大きな声が響き、ルゥリアはびくっとして足を止めた。
「よし、演習場に出して試射をしてくれ」
父の声が答える。
「は!」
「おい、捕縛チェーン積むの手伝ってくれ」
「了解っす」
「隊長、麻酔弾の薬剤カートリッジ、入りました!」
進む会話に、ルゥリアは立ちすくむ。そこへ、
「あ、お嬢様!」
顔を上げた赤毛の少年が彼女の姿を認め、車の脇で立ち上がった。従士隊長の息子クルノだ。まだ従士見習いだが、出動の時はいつも父の準備を手伝いに来ている。
「あ、サンド、ありがとうございます。俺が配りますから…」
「おいクルノ、余計なことするな! せっかくルゥリア様から手渡ししてもらえるのによ!」
「え? あ、ああ、ごめんなさい」
先輩従士の言葉に手を引っ込めると、笑い声が上がった。
ガレージの奥にたたずむ巨大な鎧の中から、父の声が聞こえてきた。
「ははははは! クルノ、すまんな。ルゥリア、みんなに配ってやってくれ」
彼女はうなずき、サンドイッチを手ずから配り始めた。下の者から先に、領主である父は最後。それが昔からの決まりだった。
最初にもらうのは、目の前にいるまだ見習いのクルノ。サンドイッチを恐縮しつつ受け取り、しかし即座に口に運ぶ。
「美味しいです!」
食べながらのくぐもった声に、ルゥリアは小さな笑みを浮かべた。
秋も深まり、大麦の穂が黄金色を帯びる頃となった。
ノヴォルジ帝国の東方国境に面するトルムホイグ騎士領では、警戒出動の準備を整えていた。前日、国境付近で巨人鬼オーガトロルの出没が目撃されたのだ。
オーガトロルも近年は居留区にまとめて保護され、諸人族が襲われる被害も極めて稀にはなっていた。
しかし時に森林の奥で目撃される野生の巨人鬼はやはり危険な存在であり、発見次第対応する必要があった。
領主である父ヴィラージは、従士たちを招集。愛騎である竜骨ゴーレム『ゴドラーグ』と二両の軽装甲者、大型トラックを整備し、巨人鬼捕縛の準備を進めていた。
従士達が軽装甲車に乗り込もうとした時、クルノが声をかける。
「父さん!」
「何だ? 手短に言え!」
従士隊長ゲオトリーは半身で振り向く。
「うん。僕……俺も、連れて行って!……下さい!」
ゲオトリーの動きが一瞬止まったが、
「学校を卒業したら考えるって言っただろう」
首を振る。
「でも!」
「後にしろ!」
「……はい」
クルノは一歩後ろに下がると、軽装甲車は動き出した。
ルゥリアはコーヒーの入ったブリキのカップを盆にのせてガレージに戻って来た。演習場までの道は、昨夜の雨でぬかるんだ上に装甲車に踏み荒らされており、持っていくのは諦めて盆を作業机に置いた。
悄然としていたクルノは、気を取り直してガレージの裏に回って行った所だった。
竜骨騎ゴドラーグの胸のハッチから、父の頭が見え隠れする。彼女はカップを一つ持ち、竜骨騎に近づいた。装甲の隙間から見える龍骨に片手を伸ばし、念じる。
(ゴドラーグ、お願い、お父様を守って)
竜骨騎は、文字通り龍の骨を用いたゴーレムである。
数度にわたる異世界人の到来で武器にも革新が起きた結果、石ゴーレムが近代兵器の前に無力化し、鋼鉄ゴーレムも鈍重で実用性を失ったのに対し、飛龍の骨を用いたゴーレムは低速ながら飛行能力を有し、空挺騎士の装備として一定の地位を保っていた。
その本体である竜の骨は、魔力を帯びた半生物であり、ある程度の自己修復性がある。だが近代戦に対応するためのサブシステムは、出動前に厳格なチェックを必要とする。
ヴィラージはサンドイッチを頬張りながら、巨大な鎧、竜骨ゴーレムの点検を続ける。
「配電盤……よし。バッテリー……よし。発電エンジン……よし。敵味方識別機……よし。通信機……よし。記録用ビデオカメラ……よし。スピーカー……よし。マイク……」
「お、お父様」
小さな声を、外部集音マイクが拾った。
「……よし」
カメラを下に向けるとそのモニターに、胸部ハッチカバーの向こうから覗く栗毛色の髪が映った。
「おう」
ヴィラージは、胸部のコクピットから身を乗り出してカップを受け取る。
「ありがとう。ルゥリアも手伝ったんだろう? ご苦労様」
「…」
ルゥリアは無言でうなずく。
「そうだ、いつもの事だが…」
ヴィラージが言いかけると、ルゥリアは表情を固くし、小走りでガレージを出て行った。ちょうど戻ってきたクルノがそこに出くわして後ずさり、ルゥリアとヴィラージを交互に見ている。
「…あれ?」
首を傾げると、すれ違いで入ったメラニエがたしなめる。
「その言葉を聞きたくなくて逃げたんですよ」
「そうか?」
「そうです。あなた、少しルゥリアを脅かし過ぎです」
ヴィラージは頭をかいた。
「しかしなあ」
「まだ早すぎますでしょう。ルゥリア様に騎士の心構えを期待するのは」
髪に白いものの混じった壮年男性が入ってきた。領地唯一の魔術・科学の両学医師トロンカイル。戦時・非常時には軍医・軍魔術師としてヴィラージに仕える立場だ。
「おお、ご足労、恐れ入る。……やはりそうですかな?」
「まだ十二の娘子ですぞ。酷というものでしょう」
「ふうむ」
ヴィラージは顔をしかめる。
その時、小さな警告音が鳴り響く。ヴィラージは、騎士軍軍用ジャケットの内ポケットから情報端末を取り出して見た。その表情が厳しくなる。
「出たぞ、オーガトロルが」
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