第2話 レイニーデイズ【4】

 結論を言うと、まだ雨は降らなかった。


 俺の罰金刑は未遂に終わり、父の日の軍資金をどうにか守る事が出来た……のだが、急いで物を食べたせいで、まるで食事をしていた感覚が無く、すごく損をしたような気分になっていた。


 一方天地はというと、先程の不機嫌モードも直り、いつもの素っ気ない顔で俺の隣を歩いていた。


「結局何を買うかの会議が出来なかったわけだが、何がいいんだろうなぁ……」


 言葉を投げかけても、天地は反応せずそっぽを向いている。まるで心ここに在らずと言った感じに。


 やっぱりまだ不機嫌だったか?


「天地」


「んっ……どうしたの岡崎君」


 呼びかけてやっと振り向いた。本当に気づいてなかったのか。


「お前、さっきからぼーっとしてるぞ?まだあの人の事、気に障ってるのか?」


 すると天地は首を横に振った。明確な意思表示。


「いいえ、気に障ってるというか、気にしてるって感じね。何故わたしの目元がお父さんに似ているって言っていたのか、何故わたしに声をかけたのかってね。まるで以前、何処かで会った事があるみたいな口振りだったじゃないあの人」


「お前は会った憶えが無いのか?」


「ええ、あんな不気味な人、以前何処かで遭遇してたらすぐに思い出すわよ。でもそんな憶えも無いし、直感的に感じるものも無かった。一方的に馴れ馴れしくされるのがこんなにも不愉快な事だったなんて、勉強になったわ」


 不愉快って……結局詰まるところ気に障ってるって事なんじゃないか。


 しかし確かに、見ず知らずの人間に突如、馴れ馴れしく話しかけられるっていうのは俺も嫌だな。同調しにくいというか、何で知らないアンタと話さなきゃならないんだっていう、嫌悪感を感じてしまうからな。


「岡崎君、ごめんなさい」


「何でイキナリ謝るんだよ」


「だってわたし、岡崎君に最初出会った時、馴れ馴れしくもあんな事言っちゃったじゃない。だから自分を悔いて、今ここで謝罪させてもらうわ」


『あなた、他人に本気で怒りを覚えた事って無い?』多分、この言葉の事を天地は言っているのだろう。今でもしっかり、一言一句俺は憶えているし、多分天地も憶えている。でないと、こうやって謝ったりなんかしてこないだろうからな。


「う~ん……と言われてもなぁ……あの時の俺は確かに面食らってたってのは認めるが、今となっては良い思い出だし。別に気にもして無いしな」


「そう、じゃあわたしは晴れて無罪放免って事でいいのね」


「まあ、それでいいんじゃないか?」


 結局過去のいさかいなんて、ずっと気にしてても良い事なんて一つも無いしな。それにあのキッカケが無かったら、こうして天地と一緒に歩いてるなんて事は無かっただろうし、その点じゃ俺は今、むしろあの出来事に感謝してるくらいなんだぜ?……とは本人には言えないけどな。


「さて、わたしの罪も綺麗サッパリ晴れたし、岡崎君の父の日のプレゼント探しに戻りましょ」


「ああ、そうだな」


 話はあの漆黒の女性のせいで紆余曲折したが、やっと本流、戻るべきところへ戻る事が出来た。というより、俺にとってはこちらの方が重大であり、贈り物を買わなければ家に帰れないので、すぐにでも選び出したいようなそんな気分だった。


「そういえばあなたのお父さん、何か好きな物はないのかしら?」


「好きな物……か、そうだな……酒とか甘い物とかはよく飲んだり食べたりしてるな」


「お酒はわたし達では買えないわよ。未成年だから」


「あっそうか……だったら必然的に甘い物になるな」


「では決定ね。甘い物なら心当たりがあるから着いてきなさい」


 午前中の時間を丸ごと使って悩んでいたのが、まるで嘘のように速決だった。もしかしてコイツ、決める術を最初から知っていたのに、敢えてそれを提示しなかったのか?


 しかし何故?


「何故って、そんなの決まってるじゃない」


 すると天地は、それがあたかも当然のように、必然であるかのように、言い捨てた。


「好きな人とデートがしたかったからよ」


 ああ、つまりというか、やっぱりそういう事だったのか。しかしこんな初歩的な事にも気づけないなんて、俺もどうかしてるぜ。


 やれやれ……やっぱり俺は、ラブコメは苦手なようだ。


 それから天地に連れられてやって来たのは、あるデパートの中にある洋菓子店だった。


 ショートケーキ、モンブラン、チョコケーキ、フルーツケーキ、ミルフィーユにチーズケーキと、店の前には芳しい甘い香りが漂い、陳列されている芸術的な洋菓子を見るだけで腹が減ってくる。


「ここのチーズケーキが美味しいのよ」


 天地が指し示したのは、ごくごくシンプルだが、美しい綺麗なキツネ色をし、その他には何も着飾らず、堂々と陳列棚の真ん中に座している、二等辺三角形に切り分けられたチーズケーキだった。


「ほう……ここの常連なのか?」


「常連と言う程には来ないけど、昔からここのケーキは食べているわ。それこそ、わたしの家族がまだ全員揃っていた時から」


「そうか……所謂思い出の味ってやつなんだな」


 今の俺には理解できない感覚なのだろう。多分、家を出て、一人暮らしを始めて数年と経てば、そういう味を懐かしむという感覚を覚えるのかもしれない。


 しかし天地は今も、そしてこの先も、そういう味への懐かしみの感覚を、このケーキを食べる度に思い出すのだろう。そう考えるだけでも、切なく、遣る瀬無い。


「……わたしの思い出の味、あなたにも味わって欲しいから」


 そう言った時の天地は、儚く、優しい笑みを浮かべていた。薄く、薄く、今にも消えてしまいそうなほどに。


 ここが店の前でなければ、抱擁していたかもしれない。包み込んであげなければ、本当にその場から居なくなってしまいそうな、そんな気さえしてしまったから。

 

「……分かった!すいません、このチーズケーキ五つください」


 だから俺は頼んだ。チーズケーキを五つ。


「あれ?確か岡崎君の家って四人暮らしのはずじゃ……」


「お前の分もある。俺の家で食べていけ」


「えっ!でも……」


「でももなももない、それに一人で食うより、皆で食った方が美味いだろ?こういうものは」


 友達に囲まれて食べる飯の美味さを、俺は以前天地に教えてあげた。だったら今度は、家族で食べるケーキの美味さでも教えてあげよう、そう思っただけさ俺は。


「……なもなんて、そんな言葉聞いた事無いわよ岡崎君」


「一応名古屋弁であるらしいぞ。意味は知らないけど」


「そう……」


 目の前で店員がチーズケーキを五つ箱詰めしているその間、しばらく間を空けてから天地は満を持して、言った。


「ありがとう、岡崎君」


 満面の笑みだった。さっきの儚い笑みとは異なり、存在感が引き立ち、縁どられ、生きとし生ける事を証明してるかのような輝きを持つ笑み。


 その笑みを見て、やっぱりというか、つくづく俺が思っていた事は、その瞬間、俺の中で確かなるものとなったのだ。


 天地魔白、やはりコイツは紛うことなきツンデレである。

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