第2話 レイニーデイズ【3】

 俺と天地はコーヒーと食べ物のセットを持って、灰色の空の元、外に設置されてあるテラススペースへと赴く。


 おそらく蒼天の日であれば、あのごった返している店内の人間の半分がこちらにシフトチェンジするのだろうが、今日に至ってはその傾向は全くと言っていい程見当たらない。


 俺達を含めない、ただ一人を除いては。


 先程まで店内から見ていた、唯一好んでテラス席に陣取り、パソコンを見ながらコーヒーを啜っている奇妙な漆黒の女性。


 近くに寄るのも不気味なので、俺達はその女性の座っている席から少し離れた場所に腰を掛けた。


「あの人、OLかしら?」


「どうだろうな……でもあんな真っ黒なOL、生まれてこの沙汰見た事無いぜ?」


「そもそも岡崎君は学生でしょ?OLとそんなに接触した事が無いはずなのに、OLの何を知ってそんな事を言ってるのよ」


「…………」


 確かに知っていると言えるほど、俺はオフィスレディの何たるかなど知らなかったし、知りようも無かった。そもそも周りにOLなんて居ないしな。


 根拠の無い言い分だった。


「浮いてるわよね、周りの雰囲気から」


 天地はフラペチーノを付いているストローで混ぜながら、吸い上げながら、言う。


「まあ、そうだな」


「わたしとは大違いね」


「………………」


 俺はエスプレッソを飲みながら、黙り込む。今日の天地は突っ込むべき所もあれば、敢えて突っ込んじゃいけないような所もあり、俺自身が試されているような、そんな気さえした。


「わたしの渾身のボケをスルーするなんて、岡崎君、わたしはどうやらあなたを過大評価していたみたいね」


「えっ……あれ突っ込んで良かったのか!?」


「当たり前よ、あそこは『ラピュタじゃねーかっ!』って突っ込むところでしょ?」


「それ、浮いてる違いなだけだからなっ!」


 親方、空から天地のボケが。俺には全部、受け止めきれません。


 閑話休題。


「そうよ岡崎君と漫才をしている場合じゃなかった。雨が降る前に食べ物だけでも食べちゃわないといけなかったのよ」


「さっきの漫才だったのか……」


「一方的漫才」


「それは漫才じゃない、漫談だ」


「一方的殴られ役」


「もはや暴力だ」


「イコール、サンドバッグ」


「お前は俺を殴りたいんだなっ!そうなんだなっ!?」


「被害妄想が激しわね、食事に集中しなさい!」


「…………はーい」


 最後の言葉は意外とすんなり受け止めてしまった。まるで母親に『喋るか食べるかのどっちかにしなさいっ!』と叱られた子供のように。


 しかし天地の言う通り、雨は俺達の食事が終わるのを大人しく待ってたりなんてしてくれない。先程まで喋っていた口を、今度はサンドウィッチを咀嚼する事に集中させる。


 なんだろう……こんなに飯を駆けこんで食べさせられたのは中学時代、部活の時以来だろうか。午後の練習に間に合わせる為に、よく弁当を早食いしていたのは昔の事で、今は早く食べているとはいえ、サンドウィッチ一つにかなりの時間をかけてしまうまでに退化していた。


 一方の天地はスコーン一つだけだったのと、空腹だったのも合わさってか、容易くぺろりと、すぐに平らげてしまった。


「遅いわね岡崎君は」


「物量の差だ」


「食べる物を選ぶ時点で、勝負は始まってたのよ」


 早食いってのは原則として、同じ物を食べてその早さを競うものなんじゃないのだろうか?


 ……まあ、そんなに早食いに関して俺も熟知しているわけじゃないから、詳しい事は言えないのだが。


「あっ、あの人どこかに行くみたいね」


 サンドウィッチに必死にかぶりついていた俺だったが、天地がそう言ったのと同時に先程の正体不明の女性の方へと視線を向ける。


 女性はノートパソコンを閉じ、それを、これまた漆黒のショルダーバッグの中に入れ、座席を立つ。その立ち姿はすらっとしており、足が長く、まさに巷で言うモデル体型とかいうやつだった。


「……君達」


 聞いた事の無い声が人の居ないテラスに響き、俺は驚きの余り背筋がピンと伸びた。天地も目を丸くしている。


 俺の声でも、天地の声でもない、女性の声。しかしその声は確実に、着実に俺達に向けて放たれていた。


 言うまでもない……漆黒の女性、その人の声だった。


 彼女は黒いショウダーバッグを肩に下げると、お盆の上にコーヒーの飲み殻と軽食が置かれていたのだろう空の皿を置き、それを両手に持って俺達の方へと近づいて来た。


 マズイ……冗談交じりの支離滅裂な事ばかり喋ってたのが聞こえて、気に障ったのだろうか。


「気圧が下がり湿度が増してきた、もうすぐ雨が降る。仲良くお喋りも良いが、早く引き上げた方が身の為だよ」


 それは、ただの忠告だった。善良なる、仁徳のある注意喚起。先程まで、好き勝手に誹謗中傷していた自分達が恥ずかしくなるほどの厚意だった。


 しかしこれは俺が捻くれているからなのか、それとも俺のモラルが欠如しているからなのかは分からないが、俺は思い、考えてしまった。さっきまでそこで食べていたあなたがそれを言うのか、と。


「ご……ご忠告ありがとうございます」


「うむ……ん?」


 俺が答えると、女性は俺には振り向かず、天地の方に視線を合わせていた。


「君……その目元はお父さん似かな?」


 何の前触れもない、突発的もとい支離滅裂な発言だった。これにはさすがにあの天地魔白も困惑し、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「え……ええ、よく言われます」


「そうか、女の子はよく父親に似るとも言うからね」


 それだけ言って、漆黒の女性は左手に着用している時計を見て、僅かだが目を見開いた。


「おっとこんな時間、では君達、良い雨の日を」


 女性は一度店内へと入って行き、おそらくお盆とお皿なんかを片付けてから、再び店外へと出て、そのまま俺達の方には振り向かず街の雑踏の中に消えて行った。


 なんというか、形容ではなく、本当の意味で奇妙奇天烈、摩訶不思議、正体不明といった人物だった。


 多分、俺が今まで出会った変人ランキングのトップに躍り出るくらいには。


「本当に見た目通り、変な人だったわね。いきなり見ず知らずの人にあんな事訊いてくるんだから。デリカシーの欠片も無いわ」


 そしてその変人ランキングに勿論、というか必然的にランキング入りしている天地は、何故かどこか不機嫌であった。父親というワードが出てきたせいなのか。


「……お前、怒ってるのか?」


「怒ってない」


「そうか……」


 何かにつけて罵倒してくるはずの天地が、こうやって直接的な物言いをして否定してきた時は大抵、その逆の事を言っている。つまりコイツは今、怒っている。


 へそ曲がり、俗語で言うならツンデレと言ったところか。いや……むしろ普通のツンデレであって欲しかった。


「それより岡崎君、早く口を動かしなさい。もし雨が降る前に食べ終わらなかったら、罰金一万円だからそのつもりで」


「いち……っ!」


「はい、よーいスタート」


 天地が両手をパンッと合わせると同時に、何かがスタートした。俺に対してだけ理不尽な何かが。


 もうこれは完全に、憂さ晴らしだった。八つ当たりと言ってもいいだろう。


 しかも今回に限り罰金は千円ではなく、一万円。学生にとっての一万円とはつまり、年に一回、正月のお年玉くらいでしか手にする事の出来ないような額。それを天地は要求しているのだ。


 悪魔だ……。


 とりあえず一万円を取られるのだけは、なんとしても死守せねばならない。父の日の軍資金が全てボッシュート、消えて無くなってしまうからな。


 この時の俺は口をただサンドウィッチを咀嚼する事だけに集中した。あの漆黒の女性への恨みつらみは後回し。


 今は、財布の金を守るのが先決だ。灰色の空よ、まだ泣かないでくれよ!

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