第2話 レイニーデイズ【5】
その後の事を、少しだけ話そうか。
結局というか、まあそうなるよなとは思っていたのだが、ケーキを買ってデパートを出る頃には雨が降り出していた。
通り雨ではなく、これから明日も明後日も降り続くだろう長い雨。天気予報で言っていたような気がしたから、きっとそうなのだろう。
しかし俺は、これが通り雨でないという情報を持っていた不肖この俺は、この日傘を持って来るのを忘れていたのだ。それに気づいたのは、電車に乗って繁華街に着いた時だった。
「間の見えてない間抜けなのね、岡崎君は」
ここでの間というのは、空間の事だろうか。詰まるところの空。空が見えてない、空間が見えていない、だから間抜けだと。
その通りだな、この場合は。
「でもそうね……天気予報だと小雨がしとしと降る程度みたいな事言ってたけど、ここまで本降りになるなんて。やっぱりこの時期の天気予報はアテにならないわね」
「そ……そうだっ!小雨程度だって言ってただろ天気予報は!?だから俺は傘を持って来なかったんだ!」
「それでも『小雨が降る』という情報を持ちながらも、それを『雨が降らない』と勘違いしていた岡崎君は間違いなく、相当な阿呆者よ」
間抜けから阿呆者にされてしまった。死にたい。
「良かったわねわたしが居て、感謝しなさい」
「感謝って、お前も傘持ってないじゃないか」
天地の手持ちにはベージュのショルダーバッグ以外には物は見当たらない。傘なんてものは、少なからず俺の目では確認出来なかった。
「岡崎君、わたしは自分に非がある時は決して自分までも愚弄してしまうような罵倒はしないわよ。わたしが罵倒する時は、岡崎君に非がある時だけ」
自分を傷つけず、他人を傷つける。まあ、ある種当たり前の事ではあったが。
「だったらそもそも、罵倒なんてしなきゃいいだろ?そしたらそんなややこしい事考えずに済むじゃないか!世の中が少しだけ平和になるじゃないか!!」
「それはわたしに、絶命しろと言ってるものよ」
「ええええええっ!重いっ!重過ぎっ!!」
一人が犠牲になれば、世界は救われる。しかし、その一人は救われないとか、そんな話ではない。
「それにわたしの岡崎君への愛情表現が、それでは無くなってしまうわ」
「…………重過ぎ」
思いだけに、重すぎだ。
「って言うか、じゃあ傘は何処にあるんだよ?まさか本当に持ってませんでした~とかだったら、猫撫で声を出しても許さねえからな」
「あるわよ、ほら」
天地はベージュのショルダーバッグを開き、取り出す。オレンジ色をした、チェック柄の折り畳み傘を。
そ……その手があったかっ!おのれ、謀られたかっ!!
「謀ってなんかない。あなたが自ら進んで沼に嵌っていっただけの愚か者なだけよ」
阿呆者からついに、愚か者にまでされた。それはもう既に、死んでるようなもんだ。
「仕方ない……でも不幸中の幸い、ここがデパートの中で良かった」
そう、デパートの中であるならば、傘の一本くらいはその場で調達出来る。デパートとはつまり百貨店、百もの貨物が集まる店なのだからな。
取り敢えずの事の解決を、自腹を切る事で解決出来ると思っていたまさにその時だった。
「待ちなさい岡崎君」
それを止めてきたのは言うまでも無かろう、天地だった。
「なんだよ」
「そんな物必要無いわ。新しい傘なんて」
「じゃあなんだ?お前は俺に、自分の愚かさを再確認させる為に、雨水で頭を冷やせとでも言うのか?」
「大丈夫、雨水程度では岡崎君の愚かさは洗い流せない程に業が深いから」
「傘を忘れる事ってそんなに罪深い事なのかっ!?」
だったら今頃、人類の大半は罪人だ。いや……でもある意味罪を背負ってない人間なんていないような……いやいや、そういう話でも無かったか。
「まったく……岡崎君は被害妄想が激しくて仕方ないわ。新しい傘はいらないってわたしは言ってるだけなのに、すぐにその意味を履き違えて、取り違えて自分を悪い方向に持っていくものね」
「ぐっ……」
「わたしが言いたいのは複数傘はいらないでしょって事よ。一本あれば、雨はしのげるでしょってこと」
「一本?一本てそれ……つまり」
「相合傘よ」
間髪入れずに、天地は答えた。
だからそういう事はもうちょっと恥ずかしみながら、惜しみながら言ってくれと、
「でも天地、折り畳み傘って普通の傘より小さいだろ?そりゃあ大人と子供くらいなら二人でいけるかもしれないが、大人……いや厳密に言えば、高校生二人が入れる程の収容能力があるものなのか?」
「さあどうでしょう?」
「疑問を疑問で返すなよ」
「だってやった事の無い事に答えを返すなんて、そんなの偽証行為じゃない」
「偽証って……それは言い過ぎだろ。誤魔化したとか、嘘を吐いたくらいだろうよ」
「どちらでもいいわそんな偽物についての話。ようは岡崎君、わたしはあなたがわたしと相合傘がしたいか否かを訊いているの。イエスかノーか、その二択しか求めてないのよ」
偽物、曖昧はいらない。本物の本当の気持ちだけを示せと天地。
ここまで女性に言わせた時点で、もうどうしようもないくらいに俺は男として廃れてるのかもしれないけど、でも、そんな男とでも一緒でコイツが良いって言うんだったら。
「イエス」
こう答えるしかあるまい。
「そう、なら行きましょう」
俺と天地は安全地帯であるデパートから、雨の世界へと自動ドアを潜り抜ける。
外は土砂降りとは言わないものの、本降りと言えるほどに雨が降っており、空の色も灰色よりかは、黒く墨が零れたような色に近くなっていた。
天地はオレンジ色のチェック柄の折り畳み傘を開く。やっぱり予想通り、その傘は普通の雨傘に比べ大きさは小さく、高校生二人を雨から防護してくれるほどの大きさに達していなかった。
それでも、俺達は二人小さな傘の中に入り、そして雨の世界へと足を踏み入れていく。
「そうだ……ケーキは濡れないように真ん中にしてないとな」
「そうね、大切なケーキだものね」
俺は左手にケーキを持ち、天地は右手で傘を持っている。つまり俺の右側は、傘からはみ出てずぶ濡れなのに対し、天地は左側がずぶ濡れなわけだ。
だけど決して嫌な感じはしなかった。互いに同じ傘に入り、互いに半身がずぶ濡れになり合い、同じような境遇、感触を味わっていると思えば。
「雨ってさ、ジメジメしてて濡れるし、あんまり好きじゃなかったんだよな俺」
「そう」
「でも……こうしていると存外、雨ってのも悪いもんじゃないな」
「そうね」
しんみりと、ただしみじみと二人肩を並べて歩く雨の日。
そんな何処にでもあるようで、しかし俺と天地にとっては特別な、これは雨の日の一日の出来事である。
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