第2章 禁断の屋上ランチ【2】

 兎にも角にも、感心している暇など無い。早くこの目の前の事態を対処せねば、それこそ担任の山崎やまざきが来たらその時点でタイムオーバーである。ホームルームのあの静粛な雰囲気の中で、ブッーという音を発した時には俺は高校生活、いや現世においてずっと背負い続けなければならない業を抱える事になりそうだからな。


 ブーブークッション……待てよ?そもそもブーブークッションとは、何故その音を発するだけで恥ずかしいという感情を引き出すのだろうか?


 ブーブークッションがイタズラの道具として成立する役割、それは人がそれに座り込む事によって、臀部から発生する効果音を『放屁である』と周囲に印象付ける事にある。


 ならばもし、その音が周囲には『放屁ではない』と印象付ける事が可能だとしたら……音ではなく、それが行動で示すことが出来るとしたら。


「そうか……そういう事かっ!」


 五里霧中の状態だった俺に、一筋の光明が見え、その思考判断は正解だと確信する。巧妙なトリックも、ロジックを辿れば必ずその種に行き会える……我ながら発想の勝利だと言いたい。


 自然と俺の口元からは笑みが零れ、それを見た天地がどうやら不審な目でこちらを見ている。そりゃそうだ、奴はこれらを完璧な仕掛け、すなわち、完全犯罪だと思い込んでいるんだからな。


 だがこの世に完全犯罪など存在しない。それを俺は、この一言と共に天地に思い知らしてやる事にした。


「初歩的なことだよ、ワトソン君!」


 瞬間、俺はブーブークッションの仕掛けられた座布団を思いっきり足で踏んでやった。


 それと同時に、ブーブークッションの実に放屁とは似つかない様なけたたましい音が教室中に炸裂したのだが、俺にはそれは、トリックを見破られ敗北の意を叫喚する声の様に聞こえた。


 そう……臀部から出る事によって、人はその音を放屁だと錯覚する。だがそれがもし、別の場所から出たとしたらどうだろうか?頭や手、足なんかから出た音を放屁と認識する者がいるだろうか?


 答えはノー。おそらく不快な音という認識程度で立ち止まり、まさかそれが放屁の音だと思う者はいなかろう。


 詰まる所、俺はその音を視覚で誤魔化したのだ。人間が最も頼る感覚で、俺はこの難を乗り切ったのだ。


 俺の予想通り、クラスの連中はその音で一時はこちらを振り向いたのだが、視覚によって目の前で起こっている状況を確認すると、再びクラスメイトとの談笑に戻っていた。


 なんだろうかこの満足した感覚、この高揚感は……俺の脳内でドーパミンが大量分泌しているのだろうか。


 ブーブークッションが内包していた空気は完全に抜け、俺はその抜け殻の上にどっかりと座ってやった。


 さてと、天地はこの状況を見てどんな顔をしているのだろうと、俺が隣の席に振り向くと、天地は持っていたハサミを手元でくるくる回しながら、面白くなさそうな、くだらなそうな表情で一言俺にこう言った。


「なにやってるの?恥ずかしくないの岡崎君?」


 刹那、先程まで明る過ぎるほど彩色のかかった視界が、すーっとくすんでいくのを感じ、それと同時に俺は我に返る。


 そう、天地の策略はここまでも想定の範囲内。精神的攻撃の意、それはすなわち、俺自身が率先して恥ずべき行動をしている事に、俺自身が気づいてしまう事だったのだ。


 たかがイタズラに、本気で策略を巡らせ、本気で対処する自分のその道化っぷりを、最後の最後で己自身で気づかせるという残酷無慈悲な鉄槌。その一撃を受け、そして俺は再び奴の純粋な悪意を、奴の本当の正体を思い出したのだ。


 悪魔め。


 そのまま俺は机の上に、まるで腹に弾丸を受けたかの様にして突っ伏した。その後天地が笑っていたのか、そのままくだらなさそうな表情をしていたのか、それは分からない。


 分からないが、知りたくもなかった。

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