第1章 悪魔の女との出会い【3】
「あっはっはっはっはっ!!やるじゃない岡崎君……何時から気づいてたの?」
パニックの元凶、天地魔白は何の悪気も無く、まるで何も無かったかの様に振る舞い、目に涙を浮かべて笑っていやがった。
体中には赤黒い液体が付着しており、新品のセーラー服の白い部分は見事なまでにその液体の色に染まっていて、黒地の襟元とスカートだけは目立たない程度に、それでも汚れている様に見えた。
「お前……それ何を使ったんだ?」
俺は自然と冷静に、何故こんな事をしたのか問い詰めるのではなく、これが何の液体なのかという事について天地に訊いたのである。
自分でも、何故ここまで冷静に事を対処出来ているのかは分からない。ただ、なんというか直感で怒る必要は無い、怒りに任す必要は皆無だと悟っていたのだ。
「んん?これの事?これは血糊よ。よくインターネットショップや大きな雑貨屋さんで売ってるでしょ?なんだっけ?ドンドンドン……」
「あーはいはい分かった、あそこだな。でもあの店って隣町にしか無いだろ?」
「そうよ!だから昨日入学式が終わった後、電車に乗って急いで買って来たんだから!我ながらナイスなアイデアかと思った……あれ?」
すると天地も何かに気づいたのか、首を傾げた。
「どうした?まだ何かあるのか?」
「いや……何であなたそんなに普通でいられるのかなって……怖くないの?怒らないの?わたし嘘吐いてみんなを怖がらせたのよ?」
何故かって、それは俺が一番自分から訊きたいくらいさ。俺は今、それくらい平常心で心が保たれているんだ。
「さあな、まあゾクッとはしたけど何故か自然と怒りは湧いてこない。それにお前のそれは嘘じゃなくて度を超えたドッキリだ。ほれ、皆に謝っておけ」
俺は天地の両肩を掴んでいた腕をクイクイと上に動かし、奴をその場に立たせる。
「はい、ごめんなさいは?」
「…………ごめんなさい」
天地が頭を下げると、そこで初めてクラス中の生徒が肩の荷を下ろした。中には安心感からか、膝から崩れる者も目に見えた。
「せ……先生あそこ、天地さんが……あれ?」
教室を出て、担任の山崎教諭を呼びに行った女子生徒が帰って来て、天地が立っているのに驚いていた。
「あ……天地!?なんだその恰好は!!」
全身真っ赤の天地の姿を見て、山崎教諭も目を皿の様にしていた。
まっ……誰でもそういう反応になるわな、これを見たら。
「あっ……えっと……そのぅ……」
すると天地の奴は、流石に教師まで乱入して来る騒ぎになるとは思っていなかった様で、もじもじと先程までには見せなかった困惑の表情をしていた。こんな大そうな事思いつくんだったら、その言い訳くらい考えとけよな。
そして奴は在ろう事か、俺の顔を一瞥してくるのだ。まさかコイツ……イタズラを振った相手にその処理までさせる気じゃないんだろうな?……いや、分かってるよ言われずとも。コイツはさせる気だ。
致し方無い、なんか周囲の雰囲気もお前は中心人物なんだからお前がどうにかしろと言わんばかりの、ある種押しつけ的な、ある種俺の即興で考えた言い訳を期待してるかの様な眼差しをこちらに向けていやがるしな。
まったくもって嫌になるぜ。
「あーっ……あれです、天地さんちょっとジュース零しちゃったみたいで……でも思ったより零した量が酷くて皆おっかなびっくりになっちゃってたんですよ~」
俺は適当な言葉を、それっぽく羅列させて山崎教諭を諭そうとする。勘弁してくれ……俺は被害者であり、コイツとは隣の席である以上の関係性なんて皆無なんだ。
先程から俺の脳内セロトニンが激減して、登校初日から今にもメランコリーな気分になりそうになったその時、山崎教諭は俺の言葉をやっと理解しやがったのか一つ溜息を吐いた。
「はぁ……分かったもういい。天地、とりあえずそのままじゃ授業は受けれないだろ、着替えて来い」
何と言おうか、これでやっと一件落着と言ったところまで漕ぎ着けたのだろうか、俺は小さな溜息を吐いて肩を落とした。
「それと岡崎、天地が着替えている間にその机を綺麗にしておいてくれ。あと床もな」
前言撤回。丸くなんて納まっちゃいなかった。
サッカー馬鹿の山崎め、普通こういう時は「クラスの皆で片付けよう!」っていう風にはならなかったのかよ。仮にもチームスポーツの顧問ならそういう発想にいち早く辿り着くべきだと思うね俺は。
今日一番で怒りを覚えたのはこの教師の一言だった。だったのだが……。
……怒り?もしかして、これも天地の作戦なのか!?
あいつは俺を怒らせる為にこんな目茶苦茶をやりやがったんだ。もしかしたらこれも全て天地の計算通りで、俺がこの赤黒い液体に染まった机と床を掃除せねばならなくなるのも奴の計画の内だった……のか?
俺はすかさず天地の方を見る。奴はどんな表情をしていやがる!?
してやったりって感じか?それとも純粋に笑ってやがるのか?
だが、天地の表情はそのどれでもなく、まるで憑き物が落ちたかの様に落胆としていたのだ。
俺の思い過ごしだったのだろうか……。
「ほら天地、岡崎早くしろ!他の者は席に着け~」
山崎はそう言って、教室にずかずかと入って来ると朝のホームルームを始める。
俺は嫌々ながらも掃除道具箱にあった雑巾を何枚か持って来てから、天地の机とその周囲の床を拭く破目となり、一方の天地は幸い、天地の通学鞄に入って血糊の被害を受けなかった体操服を持ってトイレへと着替えに行く最中だった。
その時、天地が通りすがったその一瞬。奴は俺の表情を見て来た。目が合ったから間違いない。
俺が怒っているのかを確認したのか、それとも申し訳無いと思っていたのか、それは俺には分からない。
ただ一つだけ俺にも分かる事はあった。天地は全てを意識的にやっているのではなく、無意識的に引き起こしている事態もあるのだと。
意識的にやっている事は、どちらかと言えば俺からすると行き過ぎた無邪気なガキンチョという感じがするが、むしろ無意識下でやっている事の方が俺の精神に直接ボディーブローを浴びせ、徐々にその痛みを増幅させている様なそんな気がしたのだ。
それら全てをイコールしていって、そこで俺は気づいたんだ。奴は計画的に人を貶めていく様な所謂、悪女という分類のものではない。アイツは、天然であんな事をやってのける奴なんだ。
つまり天地魔白にとって、悪意は『持っている』のではなく『備わっている』という表現の方が正しいのだ。
本当に極めて純粋な悪意の持ち主、それがあの女、天地魔白だったって事なのだ。
「……悪魔め」
それに気づいた時、俺は思わず床を拭きながら呟いちまった。
決して恨み言なんかではなく、ただただ発見しちまったんだ。純度百パーセントの本物の悪魔をな。
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