第4話
〔メルバリー〕のブリッジに飛び込んだタット・モルドーはシャツの袖口のボタンを閉めながら、スタッフを見渡した。仮眠からたたき起こされて、軍服のジャケットも切られずラフな格好だ。
「状況は?」
血走った眼を艦長席に目を向けると、そこには艦長代理として副艦長の男が座っていた。活気に満ちた若い顔がすぐにタットに向けられて、悠々とシートにもたれて見せる。
「そう慌てなくても、すでに各部署には指示は出しています」
「オルテオ・ミゲーラ、少佐。どういう対応をしたんだ!?」
タットは副艦長であるオルテオに詰め寄って怒鳴りつける。
オルテオは逃げるようにシートから降りると、軍規を無視した長い髪を撫でる。背は高く、足の長さもあってモデル顔負けの容姿である。彼は〔メルバリー〕に新しく乗艦したスタッフであり、佐官についてはいるものの実戦経験は皆無であった。
「月のミリタリーポリスが来たので、出港を急がせているんです。積み込みは御覧の通り――」
彼は外を流し目で見ていう。
その先では護衛艦となる巡洋艦〔イマ・クシャータ〕が上昇を始めていた。加えて、コンテナを抱えた〔アルミュール・アン〕が取り急いで各艦艇へ飛び込んでいく。
まるで火事場泥棒のような急ぎようで、危うげである。
「滞りなくしております。大事な作戦を前に物資不足で足止めでは話になりませんから」
「あんな混乱した動きでまとめたつもりになるな! 騒ぎ立てやがって」
タットは艦長シートに収まると、肘掛けの受話器を手にして〔メルバリー〕の観測班に連絡をつける。
「わたしだ。状況はどうなっている? 桟橋で交戦だと!?」
「アームド・ムーバが対処しますよ」
何を慌ててるんです、とオルテオが反応する。
その無知で無根拠な自信のありように辟易するタットであるが、もはやウワファに長居はできないと決断するほかなかった。
二、三言観測班とやり取りをして、大まかな状況把握を終えると、ブリッジクルーに向かって言う。
「火は入っているな! 操舵士、離陸準備。機関室はどうなってる!?」
「主機臨界、来ています。いつでも離陸大丈夫です」
機関士長が応える。
「3分維持しろ。その間に通信士はウワファの管制塔に出向連絡!」
「了解。護衛艦からも出港許可願い、出てます」
通信士が〔イマ・クシャータ〕から発せられる光信号を読み取って伝える。
タットは出港手続きを彼に任せて、肘掛けにある小さなモニタに視線を落とし操作キィを叩く。
「人員の乗船状況が不明瞭だ。陸戦隊は艦内警戒をしつつ、桟橋の援護だ。アームド・ムーバ、誰が向かった?」
「現在はシセル・メルケルの〔ヴェスティート〕が対応しています」
「女の子任せとは――っ。正規パイロットには気合を入れ直す必要があるな」
タットがフットワークの遅い
ただの陸戦の火種を大きくしすぎだ。武力で月のミリタリーポリスが攻め込んできたからと言って、過剰な反応を取ればそれこそ兵士たちの冷静さを削ぐことになる。
現に言われるがまま〔メルバリー〕から出た〔ヴェスティート〕は戸惑い、桟橋の光景に尻込みしていた。
「人が――」
コックピットのシセルは操縦桿を握り直し、銃撃戦を繰り広げる桟橋への対処を考える。
桟橋は〔メルバリー〕へ続くボーディングブリッジを繋ぐ上層の露天通路と機材を搬入するコンベアのある下層に分かれている。
武装したミリタリーポリスが機銃を装備したホバー・バイクで露天通路で作業をしていた味方兵士たちを翻弄。港中を駆け回り、混乱する〔メルバリー〕の軍人たちへ向かって発砲する。そこへ勤勉に歩兵が攻め入り、税関へ続く退路を寸断し、桟橋の端へと追いやっていく。
人間を制圧するには十分な陣形だ。
シセルは桟橋に転がる倒れた人や路面の血の色から目をそらすようにして、うるさく飛び回るホバー・バイクを追う。
「あれを止めなきゃっ」
〔ヴェスティート〕は〔メルバリー〕から機材置き場へと跳躍する。
そこではアサルトライフルを撃つミリタリーポリスとわずかな拳銃で撤退しながら抵抗する〔メルバリー〕の兵士たちがいた。
両陣営の合間に突如降り立った巨人に攻撃の手が止む。これを好機に〔メルバリー〕の兵士たちは母艦へと引き上げていく。
その動きを察知するミリタリーポリスであったが、不用意に動く〔ヴェスティート〕の巨大な足に阻まれて仕損じる。放たれた弾丸が装甲に弾かれて、明後日の方向へと飛んでいく。
「人がいたの?」
シセルは足元を見て、お人形のように動き回る人影を確認。振り返れば〔メルバリー〕とをつなぐ桟橋を背にしている状況にあった。
「けど、この位置ならっ」
〔ヴェスティート〕は果敢にも突進してくる敵の人の波に対して、マニピュレーターを突き出す。ナックルガードに隠れた手甲部分がスライドするとそこから粉末状の消火剤が噴き出される。
その風圧もさることながら、一瞬にして視界を奪う粉末に対人戦闘に慣れている部隊でも下がるしかなかった。
「作戦変更だ! ッチ、ノイズはあるが都合がいいっ」
部隊長が咽喉マイクで周囲の味方に呼びかけ、腕を振って呼びかける。
それも予想以上で立ち上った消火剤は〔ヴェスティート〕のコックピット近くの高さまでに達していた。
「迂闊に動いたら、人を潰しちゃう。それにエア・バイク」
シセルは消火剤の噴射を止めて、集まりだしたエア・バイク部隊を睨んだ。素早い動きはすぐに消火剤の霧の中へ飛び込んで姿をくらませる。
しかし、推進力である高圧力の風が粉末を巻き上げて航跡を残す。シセルの目がそれに注目している間にも、一台が背後に回り込み飛び上がる。
〔ヴェスティート〕のセンサが直ちにとらえて、自動反応で腰を捻ってマニピュレーターを奮う。
コックピットに警報が鳴るよりも早く、一瞬でエア・バイクが砕け散り、搭乗者は無残にも吹き飛んだ。
シセルは頭の奥まで揺さぶる警報音に顔をしかめながら、人が落ちていく光景を目にした。力なく落ちていく人の形は、スペースコロニーで戦った時のことを思い出させる。
喉の奥が渇いて、手足が震えた。
〔ヴェスティート〕の前では生身の人間などはひとたまりもない。
「そんなのでこの子に近づくから。撤退命令――」
シセルは〔メルバリー〕に振り返りつつ、接近してくるエア・バイク部隊に気を配る。
桟橋では陸戦隊が同じくエア・バイクで飛び出してきて、消火剤から脱け出しきた人たち、負傷兵たちを回収。〔メルバリー〕も反重力流体に電圧をかけて、ランディングギアを浮かせている。
「――逃げ遅れた人たちもいる。それを守らなきゃ、人が死ぬ」
〔ヴェスティート〕は一歩、また一歩と桟橋の端へと後退をかけながら、マニピュレータの五指に仕込まれているワイヤーを伸ばして、無造作に振り回す。
もともと接触回線などに使うワイヤーなのだが、今は敵のエア・バイク部隊を翻弄する鞭として効果を発揮している。ワイヤーが空を切り、短い音を発して敵の機動力を制限させる。
「迂闊に近づくな! 引き付けろ!」
いの一番に〔ヴェスティート〕から距離を取ったエバ・バイクのパイロットが無線に呼びかける。
ミリタリーポリスのエア・バイクにとってはそのワイヤーの動きは未知数で、〔メルバリー〕への接近もできなかった。が、〔ヴェスティート〕や他の目を空中で跳ぶものに集中するだけで十分である。
「俺たちの仕事は違法建造艦に侵入することではない。あとは軍属にやらせればいい」
時間稼ぎは一分とかからなかった。
桟橋での混戦がいよいよ勢いを失いだし、両陣営がじりじりと後退の動きをしだした。
特に戦況のただなかで俯瞰できるシセルの位置はすぐにわかった。
「もうこれ以上は戦う気はないでしょう? 下がってよ……」
「こちら〔メルバリー〕、出港準備完了。〔ヴェスティート〕は適当なコンテナを持って帰投されたし」
そこに〔メルバリー〕からの通信が入る。
すでに〔メルバリー〕は上昇をはじめ、その巨体が桟橋から離れていく。一部収容が遅れたボーディングブリッジが歪んだ金属音を鳴らしながら、へし折れて床に落ちていく。
シセルはボーディングブリッジの残骸に驚いていると、無線を傍受しただろうミリタリーポリスのエア・バイク部隊の数機が〔メルバリー〕の甲板へと飛んでいった。
「他の人は、何をしているのよ! そっちに数機、行ったよ!」
シセルは取りこぼしてしまったエア・バイク部隊のことを言って、〔ヴェスティート〕を後退させようとした。後方を確認すれば、飛び移るのが間に合わない味方のエア・バイク部隊が目についた。
二両のバイクが負傷兵たちを乗せたまま、立ち往生している。
「どうして、戻らないの? もうっ」
シセルは浮上を開始した〔メルバリー〕の艦底を見て状況を推移した。
すでにボーディングブリッジを失い、高度を上げる母艦に対してエア・バイクの出力では追いつかないほどになっているのだ。
〔ヴェスティート〕は振り返り二両のエア・バイク部隊へ近づき、両の掌を差し出した。
「うまく乗っけて! こっちで送り届けるから」
「すまない! 恩に着る」
外部スピーカーの呼びかけに陸戦隊はすぐに反応して、〔ヴェスティート〕のマニピュレータへと乗っかる。そして、鋼の指がぎこちなく車両を固定した。
その上空で甲高い銃声と炎が膨らみ、爆音が轟く。
「何をやってるの?」
シセルが上を見上げるとエア・バイク部隊を掃討する〔アルミュール・アン〕の戦隊が見て取れた。彼らは甲板にへばりついて、頭部のバルカン砲で軽々と撃破し、空中で爆裂が起きる。
その行動に艦長のタットは激怒した。
「港で火器をやすやすと使うな。取りつかせなければいい」
「管制室より入電。エアロック、閉鎖されます!」
通信士が血相を変えて声を上げる。
「こっちはまだ港から離れきっていないのに」
オルテオが抗議の声を上げて、正面の窓にへばりつくようにして上を見上げる。
すでに護衛艦〔イマ・クシャータ〕は天蓋のエア・ロックに侵入し、宇宙に出る準備を整えている。そこへ内壁のシャッターがゆっくりと重々しく閉じているのも確認できた。
「反重力流体、最大循環出力にしますっ」
「トリム、チェック。水平バランサー、修正入ります」
機関士長と操舵士が〔メルバリー〕の浮上とともに艦の水平を保とうと努める。
「積み荷は計算に入っているな? 甲板のアームド・ムーバ隊には注意を呼びかけ――」
「艦長! 〔ヴェスティート〕帰投します!」
「総員、衝撃に備えろ」
通信士の報告に、タットは肘掛けの受話器を即座に手にし、艦内へ呼びかけた。
〔ヴェスティート〕はエア・バイクを抱えたまま、腰部のスラスターを噴射して着陸態勢に入る。着地を可能な限り静かにやったつもりであっても、不安定な〔メルバリー〕に
反重力流体で質量を持ち上げられても、減少するわけではない。
〔メルバリー〕の艦首が沈む。
艦内のクルーたちには大きな衝撃となって、積み荷を固定する者たちは頭上から振ってくるものから頭を守るで手一杯であった。
士官食堂に戻っていたソフィとユノも戸締りが済んでいない戸棚から零れ落ちる缶詰に尻込みしてしまう。
「うわわっ」
「お嬢ちゃんたちは調理台の下に隠れていろ! 調理器具は終わっただろうな!?」
ユノは班長の指示に従って、戸締りの手伝いをしていたソフィを引っ張って調理台の下に逃げ込んだ。
ソフィは傾く床を転がる缶詰を見て、フルーツのラベルのついたものを目にする。彼女の手はとっさにそれに伸びて、掴み取る。
「何やってるのっ」
ユノが身を乗り出したソフィの体を引っ張ると、目の前の床に調理器具が霰のごとく降り注いだ。銀色の刃物やおろし金がぎらぎらと光り、二人は震え上がる。
それゆえに、ソフィは手にしている缶詰を後生大事に抱えていた。
「第一次警戒態勢、発令。艦内クルーは宇宙服の着用を命じる」
艦内放送でタットの声が響き、甲高いブザーが断続的に鳴り渡る。
ブリッジでもクルーたちがシートの背もたれに固定していた宇宙服を引っ張って素早く着込んでいく。オルテオも艦長席の隣にあるシートについて、宇宙服をさっさと着始める。
それでもタットはラフな格好のまま、周囲に気を配っていた。
「気密チェック、怠るなよ。内圧調整、空調循環は
タットは甲板に目を凝らして、移動するエア・バイクやたむろする
「こちら、カタパルト・ステーション。敵性機は港に引き返しました。乗り遅れたエア・バイクの収容完了。アームド・ムーバ、全機健在」
甲板に埋まるようにしてあるカタパルト・ステーションでは、開閉ハッチを兼ねた半球状の除き窓からサングラスをかけた甲板要員が外の様子を窺っていた。彼が腰をかがめれば、そこは狭い機械に挟まれた穴倉である。
宇宙服を中途半端に来たスタッフたちがコンソールを操作して、格納庫と直接つながっているエレベーターを操作する。彼らは口を動かすよりも、簡単なジェスチャーで意思疎通を図り仕事を急いだ。
「外の待ち伏せが気になる。警戒するようパイロットたちに伝えてくれ」
「了解です。っと、減圧音、確認。ライフルとランサーは出してますよ」
サングラスのスタッフは再び立ち上がり、除き窓から甲板に上がっていく装備を目視する。
〔メルバリー〕と〔イマ・クシャータ〕はウワファの巨大なエアロックに収まり、減圧中の非常灯が灯る。
その中でも〔アルミュール・アン〕の戦隊は上がってきたビーム・ライフルと機体に合わせた長柄の武装フォルダー・ランスを手にしていく。
「ん。こいつは使えるのか?」
戦隊に加わっているコディが機体が掴んだフォルダー・ランスを見て訝しんだ。
コディの〔アルミュール・アン〕はフォルダー・ランスの矛先を上げると、少し捻りが加えられていた円錐状のコーティングが傘のごとく開いた。さらに捲れ上がって、ネジに似た矛先になる。
「骨組みかよ……」
コディはそう言いながら、メインコンソールに出力されるマニュアルを流し見してシートの背もたれに改めて体を押し付ける。パイロットスーツの背中にある生命維持装置がシートのくぼみに接続され、身体の保持をしてくれる。
その彼の視界に二本角を生やした〔アルミュール・アン〕が前に躍り出た。ロディオの隊長機仕様だ。背中に増設されたブースターにビーム・ライフルを懸架させながら、彼の機体は左右を見回していた。
ロディオが背後にいる部下たちに言う。
「ビームシールドにもなってくれる。各員、月面に出たら周囲の索敵を入念にするように」
骨組みは一枚一枚がウエハース状の合金とビーム発振器を重ねた装置で、刺突する際には発振器から放出された荷電粒子で標的を貫く破壊力を強化され、展開すればビームの膜を張り防御力を高める。
それゆえに
取り回しの悪さが顕著に出ている武装だ。攻防一体の武装ほど扱いに困るものはない。機体に慣れてきたコディでも不安な標準装備だった。
「これもイメージ戦略ってことで納得するけどよ」
コディの〔アルミュール・アン〕はフォルダー・ランスの発振器を閉じて、すぐに他の隊員同様に編隊を組む。
甲板上で〔アルミュール・アン〕は三機で一編隊を組み、それが三組出来上がる。〔イマ・クシャータ〕でも同じく二、三組が出来上がり、大隊規模の
しかし、その中に〔ヴェスティート〕は含まれておらず、ロングビーム・ライフルとシールドを装備して艦橋側へとさがる。
コディは振り返って、〔ヴェスティート〕に向かって言う。
「直掩一人でできるのかよ?」
「そのためのバックパックを渡されたんです。やります」
シセルはコディの無線にそう返して、コックピットで給水容器のストローを咥えて一口飲んだ。
体のほてりは冷たい水が巡っていく感覚をはっきりさせるが、気持ちはまだ収まりがつかない。
「外にも敵が、いるかもしれないんだから」
減圧が終わり、いよいよ外壁の巨大ハッチが口を開く。僅かに差し込む光を浴びて、各艦が上昇を始める。
甲板で待機する
上空から奇襲を受けても、ビームシールドを展開して防御を固めるためだ。
その動きをタットもすぐに察知して、状況を推移する。
「パイロットたちは神経質になっている……。港への直接攻撃は禁じ手だとわかっているだろうに」
港でのミリタリーポリスの一件で完全に混乱している。
エアロック内で追い払えたとはいえ、今度は宇宙で敵がいるかもしれない圧迫感と緊張感に怯えている。でなければ、武器を押し出す様なポーズはとらない。
いや、隊長機や小隊長の真似を新入りがやっているのが、部隊に余計な緊張を強いている。集団心理とはこうしたときに己の判断力を放棄させてしまうから怖いのだ。
タットは再び肘掛けの受話器を取り、観測班に繋げる。
「観測班は常にアンテナを張って警戒に当たれ。些細なことでも見逃すな」
これで終わるはずがない、とタットの勘は告げていた。
月の政府が動き、他の艦隊が検挙されているような情報も耳にすれば警戒は必要なことである。
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