第3話

 アン・カーヴェッジの地球降下作戦開始は刻一刻と迫っていた。


 これを支援するためにモンテ・グロービはAMアームド・ムーバ〔ビィ・ツゥ〕を積載した超重量キャリアーで部下を引き連れて月面を移動していた。全長100メートルを誇る陸上最大級のキャリアーはタイヤだけでも10メートルはあろう巨脚で不安定な月の斜面を踏みしめて進む。


 その速度は遅いが、5台の編隊が進めば迫力は十分だ。その積載機の数も合計15機ともなれば大所帯であった。


軍警察ミリタリーポリスが港に検閲するのか?」


 モンテは通信士の後ろについて問いかける。


 キャリアーのコックピット、といっても運転席に加えてキャディ操作や通信席まである簡易指令所であり、数人のスタッフがキャリアーを運営している。


 AMアームド・ムーバのパイロットたちは指令所の端っこで、寝袋にくるまり仮眠を取り作戦開始まで休息をとっていた。


「ええ、その手筈になっています。暗号通信はまだありません」

「こちらも配置についたわけではないからな」


 モンテは通信士の肩を叩いて、運転席の方へ回る。


 その気配を感じ取って運転手が肩越しにモンテの姿を確認する。パイロット用の宇宙服に身を包んだ彼はいつでも出撃できる姿勢だった。


「中尉も休まれては? 作戦まで時間はありますでしょうし」

「そうも言ってられん。月の連中はこちらのタイミングなど考えないだろうからな。いつ出撃が掛かってもいいように、な」


 モンテは殺風景な月の景色を眺めながら、横手に浅い渓谷が走っているのを確認する。そこではルーティンプログラムを仕込まれた調査ロボットが地層調査を行っていた。


「ここも再開発か……」

「地下洞窟の土を排出するエレベーターを作るとかどうとか。裏側じゃよくある話です」

「人の住める環境じゃないものな」


 ロボット任せに実地調査をして、人が増えるのに合わせて月を掘り返す光景。これを地球と重ね合わせると、月の資源などはすぐに底をつきてしまうだろう。


「これじゃ地球の二の舞だ……」


 大量消費から脱け出せない人の生活は地球を窒息寸前にまで追い込んでいる。公害病が宇宙から来た疫病だとしても、それを運び込んだのも人間の仕業だ。


 業の深いことをしている、とモンテ・グロービは思った。


 そこに索敵担当のオペレーターが周囲の電波状況を確認して、モンテに振り返る。


「中尉殿。太陽風も収まってきました。無人機での偵察が出来ます」

「わかった。各車に通達して、目標の偵察飛行をさせろ。編成は任せる」


 モンテの指令に索敵担当は応じて、編隊を組む各車両に無人機偵察の発進を伝達する。


 月面での調査任務は彼らの得意分野である。いくら人型機動兵器が戦場に投入されたからと言って、斥候ロボットが無価値というわけではない。


 二両のキャリアーから鳥を模した無線航空機が飛び立ち、別の三両からは蜘蛛を模した多脚車両が飛び出していった。鈍重なキャリアーのタイヤに比べて、両種のロボットたちは軽やかで素早く目的地へと急いだ。


 どちらも5メートルもない小型のロボットであり、キャリアーからの無線操作と自立プログラムで動いている。


 それら無線ロボットたちは各々の領域から目的地であるウワファの港に通じる丘陵を超えて、鍋底のようなクレーターに建造された入港施設の撮影を開始する。


 ウワファはその中心に直径1キロメートルはある入港ハッチを備え、その周囲にはスペースコロニー建設で出た廃材や地球が山を築き、地球から運び込まれた汚染土壌がビニールハウスに似た特殊建造物の中に押し込められている。さらにこの港では炭鉱などからも廃棄物を回収し、再利用できるよう働いている。


 その港から出る宇宙船は各スペースコロニーに再生資源として輸送するのである。スペースコロニーの修繕や内部の環境を補修するのに欠かせない。


 このような施設が宇宙で暮らす人々には重要である、ということはアン・カーヴェッジも了解している。


 故に作戦は慎重に行わなければならない。


「どうだ?」

「地上隊に少し電波障害があります。静止画像になります」


 キャリアーではモンテが索敵担当のモニタを見ながら、斥候ロボットたちから送信されるデータを眺める。送られてくるデータはもともと映像なのだが、ぶつ切りになった連射撮影の写真のようにモニタの画像がころころと変わる。


 蜘蛛型の斥候ロボットたちはクレーターの縁を左右から練り歩き、内2機が適当な傾斜を確認し、ジグザグに急斜面を降りていく。山から下りるように足場を確認しながら、安全な降下を試みる。残された一機はキャリアーと先行する機体の中継として外縁をゆっくりと練り歩く。


 それは空撮する鳥型斥候ロボットたちのためでもある。


「上空からの映像は良好かと」

「規模はこんなものか。キャリアーが位置に着いたら、アームド・ムーバでも偵察に行かせる。それまでは地形の詳しいデータ収集にあたってくれ」

「了解しました」


 斥候ロボットたちの働きは利用できるのだが、やはり詳しい情報が欲しい。


 彼らロボットはキャリアーの無線が途絶えれば、仕込まれた自立プログラムでキャリアーに戻る仕組みになっている。暗号化された電波を頼りに戻ってくるのだが、その逆探知で敵に位置を知らせてしまう危険性もあった。


 また強い周波に引き寄せられて、敵側に向かってしまう場合もある。


 ビーム兵器による電波障害が波及し、戦いは時代を逆行して航空機に変わってAMアームド・ムーバが運用される。ロボットたちはどこか信用のおけない情けない存在であったが、人の傍で黙々と働く良き隣人であった。


         *        *       *


〔メルバリー〕の格納庫では納品された〔アルミュール・アン〕や予備機の〔ライター・ヘッド〕、そして頭数揃えの〔ヴェスティート〕の整備が行われていた。


 出港を控えて、新しく入ってきた整備員たちはドミニオンの量産機である〔アルミュール・アン〕の扱いに戸惑いながら次の作戦に向けての準備を進める。


 中でも〔ヴェスティート〕は構造が他の二機種とは異なり、整備員泣かせの機体だ。先の戦いで鹵獲した〔ビィ・ツゥ〕のバックパックを改良したものが背中に接続され、敵機の構造解析と称した実験兵装が宛がわれていた。


 バックパックは黄色と黒のまだら模様から〔ヴェスティート〕のカラーリングに合わせて赤と白の色に変更になっている。その装備も弾倉部に埋め込み式の光学スコープと折り畳み式ビームキャノンに改良され、蜂の腹というよりも派手なバックリボンの印象が強い。


「お姉ちゃん、どうするの?」

「んー。どうしようねー」


〔ヴェスティート〕の整備をするシセルはコックピットのシートに座るソフィに言う。作戦間近の緊張感と焦燥感が押し寄せる格納庫とは違い、コックピットでは姉妹の静かで不穏な空気が垂れこめていた。


 ソフィは手にしているタブレットから目を離して、顔を上げる。シセルが覆いかぶさるようにして作業をしているものだから、妹の視界ではシャツに隠れた彼女のくびれた腰つきと開けっ放しのパーカーの裾が揺れているのがちらついている。


 頭のてっぺんではシセルの胸が押し付けられて、その温かさに少し安心できた。それでもソフィの小さい胸の内にある不安が完全に消えることはない。


「このまま残るの?」

「どうしよーねー。ほんと」


 そっけない反応にソフィもむくれて、タブレットを乱暴に膝に置く。


「お姉ちゃんっ」


 そして、両手でシセルの脇腹をがっしりと掴みかかった。


 シセルはそのくすぐったさと驚きで外していた背面パネルが手から零れ落ちてしまう。複数枚を組み合わせて構成されるモニタパネルは出力ケーブルを引きずって足元へと滑り落ちた。


 そして、お尻を外に突き出すようにして身を引き、不機嫌なソフィと視線を合わせる。


「もうっ。危ないでしょ」

「だって、話聞いてくれないんだから」


 その一言にシセルは苦い表情を浮かべたが、すぐにため息をついて顔を取り繕う。そして、まともに視線も合わせられずに肘掛けに腕を伸ばし、体重を預けて足元に滑り落ちたパネルを拾い上げる。


「聞いてるよ。前にも言ったと思うけど、ソフィ一人で帰れない? 13歳なら一人でそれくらいはできるでしょ?」


 ソフィは視線をそらして、タブレットを掴む指先に力がこもる。


「やだ……。一人で家に帰るのは、嫌だ」

「じゃあ残る?」

「だから、お姉ちゃんはどうしたいの?」

「あたしは――」


 シセルは体を起こして、パネルの状態を確認する。ちょうど後方の一部の映像が切り取られており、キャットウォークを行くユノの姿が入り込んだ。


 その姿は何か焦っているようで整備員たちにぶつかって怒鳴られようが、その走りを止めることはなかった。


「残るしかないよ……」

「お姉ちゃん、なんかズルい。理由を並べて、なんだか他人行儀で」


 そんなの、とシセルは唇を震わせるも声にならなかった。


 ソフィがどんな気持ちなのか、シセルにはわからない。悪い子ではないと思う。しかし、理屈で屈服するような従順な子供でもない。彼女なりに考えを持っているのはわかっているつもりだが、それを諭す言葉が見つからない。


 そうやって距離を測っているところで、ソフィには不愉快になっているのもわからない。


「わたし、邪魔なの?」


 ソフィのわがままな言い草に、シセルは眉根を寄せて再びシートに覆いかぶさってパネルをもとの位置に押し込める。


「戦争、わかってるでしょ? 危険なところにいてほしくないの」

「わたしも同じ気持ちだよ。だから、お姉ちゃんも帰ろうって。それがダメならわたしも残ってお手伝いする」


 ソフィはシセルのシャツの袖を引っ張って訴えかける。


 その力の入れようはシセルにも伝わったが、気持ちの整理が出来ていない彼女には重荷でしかない。


「だからっ! 地球に行けば――、あの人が守ってくれるから、お姉ちゃんは安心したいの」


 シセルは地球で暮らしているソフィの父親のことを、『あの人』としか呼べなかった。明確な親子関係でもなく、二人の間には確執もあった。彼も娘が人造人間クローンと知っていれば、まともに相手をしたくないのだ。


 そうであっても、実の娘にも責任を持てない仕事一筋の朴念仁だから、ソフィも帰りたくない。


 シセルが声を荒げたところで、ソフィも揺るがなかった。


「だったら残る。お姉ちゃんの傍が一番いいから」

「それならそう、勝手にして……。こっちの手伝いはもういいから、ユノも来てるし、そっちに行ってて」


 シセルの声は勢いをなくし、しおらしくなっていた。


 ソフィはタブレットを置いてコックピットから出ていこうとする。


 そこにちょうど整備服姿のジャクソンがリフトからハッチの縁から顔をのぞかせる。


 急に濃い顔つきが現れて、ソフィは驚きの声をあげて硬直する。


「おっと、失敬」


 ジャクソンは大きな歯を見せつけるよう笑って、ソフィと体の位置を入れ替える。


 ソフィは彼の煙たい臭いに顔をしかめて、リフトへと飛び移った。自走式のリフトを支えるのは多関節の一本アームで、彼女の軽い体重であってもひどく揺れた。


 ソフィが手すりにしがみついてへたり込んでいると、警戒音が鳴りだす。鈍く腹の底に響く音で危機感をあおりだす。


「何の警報です?」


 シセルはタブレットを手にしてシートにつくと、ジャクソンとモニタに映るソフィを見比べた。


「月のミリタリーポリスがこの港に来たんだ。すぐに出港する」

「あたしを捕まえに来たんですか?」

「そういう口実で港に押し入ったんだよ。狙いはこの艦だろうな」


 ジャクソンはそう言ってシセルの持つタブレットを奪って、さっさと操作する。長整数値とバックパックのソフトウェアの確認を急いだ。


「アン・カーヴェッジがそこまで狙う理由は何です? いくらなんでも」

「ほかの港が押し入りされて、ドミニオン艦隊が差し押さえられたって報告も入ってるんだ」


 シセルは報告に驚きながらも、ジャクソンから突き返されるタブレットを受け取る。


「それでアームド・ムーバでコンテナを運べだとよ」

「そんな命令聞いてません」


 そうは言いながら、シセルはタブレットを正面の台座に収めて裏面にあるサブ・パネルを展開させる。


 ジャクソンも彼女の反応の良さを察して一歩下がった。


「新しい副艦長のご命令だ。異動でさ、現場は混乱してるっていうのに」

「この子、誰が動かすんです? いつでもスタートできます」


 シセルは〔ヴェスティート〕をアイドリングさせて、いつでも出撃できるようにした。そして、腰を浮かせシートを立とうとする。


「だったら、お前が動かす」


 そこにジャクソンの太い腕が伸びて、胸を押されてしまうと元の位置につくしかなかった。


「あたしは――」

「もう降りている時間はない。ここにいる以上はパイロットをやってみせろっ」


 ジャクソンは優柔不断な彼女にそう言って、首にかけているヘッドセットのイヤーマフを耳に当てる。そこからは混乱した指揮系統から指令が流れていた。


 シセルは彼の乱暴なやり方に腹を立てたが、イヤーマフを当てているジャクソンの顔は見る見るうちに苛立っていく。おそらく新任の副艦長からだろう。


「若造がっ。後部ハッチから出て、桟橋から来る奴らを足止めしてくれ」

「アームド・ムーバが攻めてくるんですか? 港で武器を使う気ですか?」

「人間の武装集団、と小型の人型装甲だ。バックパックの武器を使わなくても対処できる。妹さんはこっちで面倒を見る」


 ジャクソンはそれだけ言って未だ尻込みしているソフィのリフトへ移った。


 シセルは苦い表情を浮かべながら、下がっていくリフトで縮こまっているソフィを目にする。彼女は状況の変化に気づいて、きょろきょろとあたりを見回している。


 戦いの空気を敏感に感じていると同時に先ほどの強がりもただのやせ我慢にしか思えなくなっていた。


「もう引き返せないんだから」


 シセルは自分に言い聞かせて、パーカーのファスナーを上げる。そしてシートベルトをし、一度肩の力を抜いた。


「だから、やるっ」


 そして、操縦桿を握りしめて、ハッチを閉じる。


 実視界で見ている景色とほとんど変わらないCGコンピューター・グラフィックの映像を見渡して、足元で動く人たちを見渡した。


 その中でユノと無事合流できたソフィの姿があった。


「ユノさんっ」

「よかった。さ、こっちに」


 ジャクソンから離れて、ソフィはユノの手にしがみつくようにした。そして、二人は慌てて飛び込んでくるパイロットスーツの群れに逆らうようにして通路へと向かう。


「ヴェスティート、出られるな! 足元には注意しろ」


 ソフィはジャクソンの野太い声に一度振り返り、姉が乗っているAWアームド・ムーバを見上げる。


「お姉ちゃん……」


 ソフィは胸元で弱々しく拳を作り、静かにシセルの無事を祈る。


 それにこたえるようにして〔ヴェスティート〕は頭部のゴーグルセンサを上げて、機械の瞳を輝かせ、装甲のすき間から熱風を吐き出した。

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