第2話

 シセルが医務室に顔を出すと、バルド・フレーメルが出迎えてくれた。室内では薬品の詰まったコンテナがあちこちに散乱し、他のスタッフが仕分け作業を行っていた。


「すまない。色々と立て込んでいてな」

「いいえ。それでご用向きは?」


 シセルは他人の目もあって形式的に質問すると、バルドもちらりと周りを見て集中治療室に目が留まる。


 誰も使っていない、というよりも使うような機会が落ち着いたこともあって誰も手を付けていない部屋だ。


「集中治療室の電装系がどうも調子が悪くてな。見てもらえないか?」


 いいですよ、とシセルは返事をして彼と共に医務室の奥にある集中治療室へと向かう。


 その途中でバルドは片づけをするスタッフの一人に言う。


「集中治療室の点検をする。入るのは控えてくれ」

「わかりました」


 スタッフの返答を聞いて、シセルとバルドは一度除菌室を通って、集中治療室へ入り使用中のランプを付けた。


 室内には巨大な照明に無機質な手術台。心電図などのデジタル機器がならび、治療道具などは除菌棚にしまわれいる。


 人気がなくなったのを確認して、シセルは短く息を吐く。


「随分と人の扱いに慣れてきたんじゃないですか?」

「そうだな。いや、そうでもないとこの艦の軍医として迎えてもらえなかったよ」


 バルドの発言にシセルは訝しみながら手術台に腰掛ける。


「それで、何かあったんですか?」

「ああ、定期検査なんだがな」


 バルドは広い額に手を当てて、薬品棚に寄りかかる。彼も疲れているのだろう。軽く頭を振って話を切り出す。


「キミが寝込んでいる間に採血したモノがな。少々、変化が現れた」

「公害病の抗体、ですか?」


 シセルはまさか、と背筋をそって目の前にいる医者を睨んだ。


 ここ数日の記憶はシセルにはおぼろげなものだった。自分がベッドで寝ていても、それが現実か夢かも定かではない白昼夢を見ている気分が続き、かと思えば死んだように眠り、やがて目を覚ます。


 自分でもあずかり知らぬところで、身体の調べられるのはどうも怖い。


 バルドは目頭を揉み、視線を上にあげると苦々しく語る。


「そこまでのものは検出されなかった。これまでもホルモンバランスの乱れがあった時期は似たようなこともあった。が、今回は生理周期でもないようだしな」

「医者の立場とはいえ、その言い方やめてください」


 シセルは手術台に手をついて、バルドに言う。


 人造人間クローンの存在を知り、公害病対策の研究に参加しているとはいえ、男の人に繊細な部分を把握されている気がして嫌な気分にもなる。


 が、バルド・フレーメルはそこでシセルとやっとまともに顔を合わせるなりいうのだ。


「研究のための報告だ。いちいち気にすることじゃない」

「……デリカシーのない」

「普通の女性だったら気を遣う。が、これは違う」


 はっきりというのだから、シセルはバルドが人の皮を被った機械ではないか、と空想したくもなった。それならば、胸にちくりと痛む感傷も紛れる。


 それでも彼は人間だ。シセル・メルケルに比べれば、至極当然の人である。


「これまでとは違う進展だ。いい傾向だと言える」

「傾向って言っても、その根拠は何ですか?」


 シセルには思い当たる節がない。


 これまで研究のために血を提供してきたが、何ら得られるものはなかった。生理の前後などでは多少の血清変化があった。微々たる変化でそれら抗体候補は体内で分解されるか、外に一緒に排出されて死に絶える。


 風邪などの病状が出た時は抗体生成の兆しなど望めもしない。


 すると、バルドは口元に手を添えて語る。


「あくまで仮説の段階だが、やはりアームド・ムーバでの戦闘が身体に大きく影響を与えていると考えられる」

「極限状態だから、変わってきたということですか?」


 そうだ、とシセルの質問にバルドは同意する。


「戦うか逃げるか、の反応だな。交感神経の興奮が身体に影響を及ぼすのはわかるだろう? 消化機能の低下もあるが、今回の場合は血圧の上昇などが直接影響している可能性が高い」

「じゃあ、これからも戦えっていうのですか? アームド・ムーバで」


 シセルが尻すぼみに問いかけると、バルドは迷わず首を縦に振った。


「それがもっとも効率的だ。出港も間近だ。よく考えておくように」


 バルドはそう言うが、シセルに選択の余地などない。


 彼もそれを承知で言っているのは、シセルにもわかっている。犯罪者に仕立て上げられて、身動きが取れない。港の外に一歩でも出ようものなら、すぐに逮捕されてしまう。


 よく考えろ、とバルド・フレーメルが言うのは『重要なことは何か?』を問いかけていることに他ならない。


 シセルは手術台から降りて、バルドから視線を外す。


「学者さんは他人行儀なんだから……」

「研究が進めば、子守りもしなくて済むんだ。自由のためにやってみたらどうだ?」


 シセルは除菌室の方へ足先を向けたが、その一言に進もうとした足をひっこめてしまう。


 自由について、深く考えたことはなかった。自分が『シセル・メルケルの人生』を演じ続けなければならないと思っていた。それしか道はなく、ソフィがいるからこそ与えられた役柄だ。


 もしソフィの公害病が完治すれば、姉はもう必要なくなるかもしれない。


 そうでなくても、シセルには〔ヴェスティート〕に対して思い入れを持ち始めていた。あの狭いコックピットの中で、機体を操縦する感覚は強い実感だ。


 あの場所だけは『シセル・メルケル』ではなくて、戦う〔ヴェスティート〕としてすべてを注げる。偽りもなく、原初に近い感情の中で自分を認識する。


 そこへ後ろからバルドが近づいて、追い越していく。


「オリジナルはこんなこと、しないだろう?」


 シセルは忌々し気にどこまでも冷徹な医者の背中を睨むしかできなかった。


 シセルは遺伝子提供元である女の子について学習をしてきた。四歳弱という年端もない人生であっても、彼女オリジナルがどんな子であったかをシセルは知る必要があった。


 それは他人の自叙伝を延々と読み聞かせされ、『シセル・メルケル』への役作りをしていることに他ならない。シセルは彼女を知り、そして彼女と出会い、自分とは違う存在だと自覚する。


 幸か不幸かを問いかける暇もなく、シセルは彼女オリジナルに対して強い劣等感を抱き、この命に翻弄されてしまった。


 だからこそ、シセルはこの命が自分のものであると強く想う。


 彼女オリジナルは幼く心優しく死んだ。そんな女の子がAWアームド・ムーバで戦場に行き、人を殺めることができるだろうか。


 狂乱、残虐、無慈悲にその心は耐えられるだろうか。


 答えをシセル・メルケルは知っている。


 故にシセル・メルケルは反発する。


「でも、ソフィを蔑ろにしていい理由にはならない……」


 シセルの根幹にはいつも同じ笑顔がある。


 妹が生まれ姉となった女の子の喜びの表情。姉がいて妹であることを喜ぶ女の子の顔。


 シセルの心には、そんな憧れが秘められていた。


 鏡映しのように人造人間シセルはメルケル姉妹の中で存在し続けている。呪いのような幸福を鏡のむこうから眺めている。


 そこでしか存在を許されない。


 羨ましさを抱き続けて、ようやく鏡の向こうから機械仕掛けのウサギが新しい世界に導いてくれようとしている。


 その先が例え滅びの国へ通じていようとも、彼女は選ばなければならない。


 自分が自分であるために。


         *       *       *


 アン・カーヴェッジが月で軍備を整えているのにも、理由があった。


「今回の作戦で、我々は地上組織との共同作戦を実施するとともに宇宙艦隊のお披露目となります」


 月の軍港シバッテンには、アン・カーヴェッジの拠点がある。建前は地球圏政府の宇宙方面軍の新興所なのだが、実態はアン・カーヴェッジ主体の施設である。


 このような施設は月にいくつも点在し、ドミニオンや地球圏政府も認知している。敵対勢力や反発政治家が何らかの制限や制裁を与えられないのは、月の統括政府が彼らを庇っているからだ。


 月はスペースコロニーはもちろん、火星や木星圏への往路宇宙船団の公共港である。空気や物資の運搬には地球を治める政府でもスペースコロニーの自治体でもない中立の団体が必要となったのだ。


 そうしなければ、インフラの一方的な支配で人類はその数を激減させるだろう。


 増加する人口が引き起こす諸問題に対して解決策が講じられないまま、アン・カーヴェッジやドミニオンが現れて月のシステムは瓦解しているようなものだが。


「これによってドミニオンに軍事的アピールをして、交戦を控えさせる算段でもあり重要な作戦だと了承してください」


 シバッテンにある基地では、新兵たちを前にアン・カーヴェッジの広報担当と作戦責任者がプロジェクタの前に立って説明をしていた。


 そこには謹慎を終えたヴォルト・ヌーベン、メルフェド・フォールンの姿もあった。


「広報部って何考えてるんだ? 月で軍艦を作ってますって言うような物じゃないか?」


 ヴォルトは隣に座る友人に耳打ちする。


 直接的な軍事的圧力をかければ、それだけ敵を作ることになる。だというのに、彼らはアン・カーヴェッジの活動公表を憚らず、情報戦略と称して動く。


「そういう目的なんだろ」


 メルフェドも広報部のやり方がいまいち理解できなかった。それでも理屈としてはヴォルトの意見がしっくりくる。


 広報担当のメガネをした細長い男はハキハキと続ける。


「出港艦隊は月を発して、地球の衛星軌道に侵入し、アームド・ムーバの降下作戦を行い、ドミニオンを支援する団体、組織を取り押さえるのが目的です。では、作戦指揮官のクーバッハ少佐、詳細をお願いいたします」


 そうして、メガネの広報担当は隣に立つ背の低い中年男に譲る。


 男は張り出した腹を突き出すように背を逸らして、グローブのような手を後ろで組んだ。一見すれば頼りない風体だが、その眼光は新兵にはない迫力を持っていた。


「今作戦の指揮を務めるクーバッハ・デネロティだ」


 彼は自己紹介もそこそこに手にしているリモコンを操作して、プロジェクタの画像を操作する。


 画像は地球までの予定航路と目的地となるアラブ世界の都市画像がいくつか表示される。


 荒涼とした景色に高層ビル、青い海に白い人工島、おまけに砂漠に張り巡らされた太陽電池、そしてドーム状の壁や集光ガラスの残骸が映る廃墟。


「ペルシャ湾か……」


 メルフェドが口をひん曲げてつぶやく。それが故郷の景色なのだから、戦場になるのは嫌な気分であった。


 その様子をヴォルトは横目に見て、クーバッハに視線を戻す。


「今回の作戦は中東金融市場を斡旋するドミニオン組織を拘束する」

「ではなぜ、アームド・ムーバでの強襲を行う必要があるのですか?」


 メルフェドが反射的に質問を投げかける。


 と、クーバッハの鋭い目が不安げな色黒の青年、その横で口を固く閉じている青年を見据える。


「不要だという根拠は?」


 クーバッハはリモコンについているレーザーポインタでメルフェドの胸を指し示す。


 メルフェドは応じて立ち上がると参加者の視線を浴びながら言う。


「金融センターのある場所で戦闘を行えば、それこそアン・カーヴェッジの信用問題になります」

「一理ある。だが、再三の警告はすでに地球圏政府から行っている。それを無視し続けて、地球での税金がドミニオン支援に不正に流されているだから、強引な手段に打って出ることを宣言した」


 クーバッハはリモコンを下げて、片足に重心をかけた。


 この作戦はすでに武力制裁として公表されていることである。だからこそ、宇宙にいるドミニオンはこれを阻止したがっている。


 が、その動揺が波及し、地球での動きは変わってきていた。


 その事情を詳しく知る広報担当が割って入る。


「地球でもこの問題の協議に時間を割いてきました。しかし、明瞭な回答がないままうやむやになっているために宣戦布告を言い渡しました」

「アン・カーヴェッジとしてですか?」


 ヴォルトが挙手をして質問をすると、広報担当は頷く。


「アーネルベ准将の発言は影響が大きくてね。ドミニオンとパイプを持つ国家、秘密組織の炙りだしに成功しました」

「どうしてそれがわかるんです?」


 今度はヴォルトが立ち上がって説明を求める。いくら何でも話がうますぎる。現場で戦う兵士以上に秘密裏に進める後方支援部隊の方が、大局的な展望を知っている気がしてならない。


 その事が自分たちが盤上の駒の様に扱われている気がして嫌悪感を覚える。


 すると、広報担当はメガネのブリッジを直して答えた。


「何、国際流通や金融の流れからですよ。内偵も行っておりました。先刻にも地球から一隻、所属不明艦が宇宙へ進出したのは記憶に新しいでしょう?」

「それって――」

「キミたちが追っていた機種不明艦だ」


 狼狽するヴォルトにクーバッハがかぶせる。


「竣工されたとされる場所がアラブ世界というわけだ。おあつらえ向きにスペースコロニーの試作構造物モデルストラクチャの廃墟もある。そこが拠点の可能性は否定できない」

「だから、補給地も兼ねているであろうペルシャ湾を攻撃するということですか?」


 ヴォルトはそう考えた。


 補給線を叩くのは戦いの定石。地球圏政府が政治的制裁の可決しないにこぎつけられない以上は、武力による圧制に打って出る、というのもいささか強引ではないか。


 しかし、広報担当が嬉々としてこの作戦を推薦するのには、おそらく強い後ろ盾があるのだろう。


「アン・カーヴェッジだけでそんなことまでできるんですか?」


 メルフェドが悔し気に言う。


「いいえ、現在はそこまでの力はありません。ですが、准将が有言実行であることを関係者方は知っていらっしゃるので、アン・カーヴェッジの活動を黙認する方々もいらっしゃるのです」


 それは良くも悪くも信用されているということだ。


「……なんだかな」


 ヴォルトは複雑な感情をたった一言に込めて吐き出した。


 アン・カーヴェッジがエリート主義の武力組織だという自覚はあった。しかし、それは地球が、人がより良く生きていくための過程にある『力』だと信じているからだ。


 しかし、周りからは便利な掃除としか考えていないのだろう。


 口論で引き伸ばされるじれったさ、鬱憤をさっさと解決する自立組織を容認し、自分たちに振りかからないと高をくくっている。


 そのような停滞の中にあるのが今の世界だ。


 社会の衰退とはこのようなものなのだろうか、とヴォルト・ヌーベンは若い頭で考える。


「それだけ、我々が認知されているということだ」


 クーバッハはそう区切って、広報担当を制して横目に見る。


「作戦の士気にかかわる。新兵に余計な話は控えろ」

「了解。少佐、殿」


 広報担当はメガネのブリッジを上げて、皮肉った。


 クーバッハは後方部隊のヤジだとわかっていたが、目元が引くつく。宇宙方面軍の中でも出世が歳も合わさって、鈍くなっている。艦隊一つも任されず、いつまでも機動兵器のまとめ役で終わりたくはない。


 それに年下にバカにされるようでは様にもならない。


「……っ。そこの二人、確かヌーベン少尉、フォールン少尉だな?」


 クーバッハの質問に、ヴォルトたちは姿勢正して返答する。


 実直な若者である。他の新兵たちの大人しさや素直な眼差しと変わらない。が、反骨精神があるだけ厄介ではあるものの、見込みはある。


「報告は聞いている。お前たちには次期量産型の先行パイロットをしてもらう。マニュアルには目を通しておけ」


 それを聞いたヴォルトとメルフェドはつま先立ちするかのように背筋を伸ばし、定型文な感謝を口にする。


 内心はもちろん新型のパイロット選抜になったことがうれしくて、顔に出さないように頬を緊張させていた。


 クーバッハから見れば一目瞭然の反応で、育てるのには苦労しそうだと頭を振った。


「我々を乗せた艦隊の出向には、宇宙方面軍の支援が手向けとされている。各員は地球での作戦に集中してもらう。では、作戦の概要に戻る」


 彼のきびきびした声が響き、ヴォルトとメルフェドは席に着くと地球へ降りることを想像しつつ作戦の意図を頭に叩き込む。


 でなければ、地球の大気に機体がつぶされるのは明白なのだから。

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