第7話

 列車はトンネルを抜けて、荒涼とした地下風景に戻った次の区画で停車し、荷物の積み下ろしをしている。


 列車に帰還したヴォルトたちを待っていたのは、筆舌に尽くしがたい緊張と不安であった。 


〔ビィ・ツゥ〕での無断出撃や月地下での武力強行、火器の使用。省みればそれらは軍規違反で、何ら成果を挙げられなかった現状では重い罰が下ることは想像に難しくない。


「俺ら、どうなるんだろうな?」

「良くて左遷とか禁固刑だろうけど、公爵参謀の御呼び出しじゃ……」

「お先真っ暗、か」


 メルフェドがゲストルームの前で立ち止まり、思わずため息をつこうとする。


 しかし、ヴォルトは同僚に軽くひじ打ちして制した。


 メルフェドは口元を歪めて文句を言おうと思ったが、彼のこわばった表情や瞳の動きに言葉を飲み込んだ。


 ここはプロイツ・アーネルベが休む部屋の門前だ。厳粛な参謀の目はどこで光っているかわからない。ヴォルトは監視カメラの存在を気にして、とにかく失礼のない態度を作ろうことで手一杯である。


 教官に呼び出しをくらい説教を聞かされる感覚が二人の中で思い起こされるが、ドアを前にしてそこにいる人物を想像すると背筋が震えあがる思いだ。


「いくぞ……」


 ヴォルトは張りつめた空気に耐えられず、とにかく行動する。嫌なことは先に終わらせたい性分だったし、あとのことを考えている余裕もない。


 戦闘を終えた後の疲弊した身体は胃の痙攣や不規則な心音を奏でており、今にも膝から崩れそうになる。嘔吐寸前の喉に生唾を無理に押し込んで、腕を動かしてドアのロックを外す。


 部屋に入ると暖色の照明で彩られ、展望車窓のむこうには再び炭鉱の明かりが見える。決して広い部屋ではない。脚の短いテーブルを囲うソファが一組ずつ。


 ヴォルトはこれに書棚や暖炉があれば、故郷の談話室だろうと思った。


 しかし、故郷の温かみなど微塵も感じさせない男が上座の席に陣取っていた。


 アン・カーヴェッジの参謀、プロイツ・アーネルベの険しい顔があり、軍服の勲章の数々が威圧的に光った。


「失礼いたします。ヴォルト・ヌーベン少尉、ならびメルフェド・フォールン少尉、参上いたしました」


 二人の若い将校が敬礼をすると、プロイツも軽く礼を返す。


 その左右に立つ側近たちが険しい視線でヴォルトたちを睨み、休めの命令を下した。


 ヴォルトとメルフェドはすぐさに半歩足を開き、手を後ろに回した。


「今回の両名の無断出撃、弁明はあるか?」


 側近の一人が高圧的に問いかける。


 対して、ヴォルトとメルフェドは目を瞬かせて、カラカラの喉で言葉を振り絞る。


「列車内に例の追跡艦から出たグライダーのパイロットらしき女の子――、いや、工作員と思しき人物を検挙するために必要な行動であると自分は考えました」

「右に同じく。彼の観察眼からの推察で不審者特定に至りました」


 メルフェドは補助のつもりで付け足した。


 その実、責任の一切をヴォルトに背負わせようという心情も見えなくもない。だが、緊張状態の二人に互いの心理状態を考える余地はなかった。


「あそこがどういう場所か、わかっていてか?」

「失念しておりました。月の地下都市での武力衝突は地球政府への不満を――」

「そういうことではないっ!」


 側近は怒鳴って、目元を痙攣させる。


 応対するヴォルトも思わず口を閉じて、相手の激情に心臓が止まりそうになった。大人の迫力ではなく、力任せな口の開き方は動物の威嚇と変わりない。


 それを正面から受けて、未熟な若者はその原因を思案するも、答えにたどり着く知識がないために徒労でしかない。それでも優等生なヴォルトは考えている自分は悪くないと顔を歪めて見せた。


 その表情を見たプロイツは両腕を肘掛けにおいて、背もたれに体重を預ける。


「あそこは月の中でも数少ない地球模倣テライミテーションの成功例の一つだ」

「ただの整地された土地ではないことは、中等教育の座学で習っただろ?」


 プロイツの言葉にかぶせて、激怒していた側近がその感情を抑え込んで、教官らしい口調で問いただす。


 それにはメルフェドが思い出したように得意げに口を開く。


「月の核を活性化させて、自然土壌を定着させるとかっていうもの、ですよね? 地球細胞移植計画とか」

「ああ……。地球培養細胞化論なら聞いたこと、あります」


 ヴォルトも記憶の奥底から細胞やら何やらの有機的な言葉が連想された。


 月や火星といった人類の移住先となる星で暮らすには、スペースコロニーのような人為的な都市では限界が来ると考えられている。これは多くの学者やアン・カーヴェッジ、ドミニオンですら同じ見解である。


 その中で提唱された一つが『地球模倣計画』や『地球細胞移植計画』である。


 人為的に天体の核を刺激し、星そのものを活性化させようという計画。しかし、膨大なエネルギーそのものが星を破壊する危険性、さらに言えば、天体に命を吹き込むための苗木になるものを移植するのも危険を伴う。


 苗木として挙げられたのが、地球の外核である。


「生きた地球の細胞核、それこそ外核を移植しようって途方もない話ではないですか?」


 ヴォルトが言う。


 答えの簡潔さに側近二人は呆れたが、理屈はおおむね間違ってはいない。


「最終目的はそうだ。しかし、外核の採取は行われ幾らかのサンプルは採取できている。そして、ごく一部分、表層的に活かすことができたのが先の地区ということだ」

「公式発表でそのようなことは――」


 メルフェドはそこまで言ったが、プロイツの厳しい視線を察して閉口する。


「技術の秘匿は不必要な混乱を避けるためだ。それ以上の言葉は、わざわざ言うまでもないだろう」


 プロイツの最低限の言葉をヴォルトたちは咀嚼して、自身の解釈にとどめた。


 あまり組織の深部に触れることは身を滅ぼすことになる。まして、一パイロットが深入りする話ではない。


 アン・カーヴェッジが自信をつけた理由やドミニオンが『科学信奉者の成れの果て』と罵るのもわかる気がした。


「重要なポイントでの戦闘行為は厳罰を下さねばならないが、今回のお前たちの働きは評価できるところはある」


 プロイツは二人の若者を見て、品定めをする。


 彼ら二人はこわばった表情をしているが、先ほどまでの怯えた気弱さは感じられなくなった。


「それは――、光栄に存じます。参謀殿」


 メルフェドが胸を張って答えるが、いささか見栄っ張りな挙動である。


「厳罰は、受けてもらう。覚悟をしておけ。話はそれまでだ」


 下がれ、としめると、ヴォルトたちは敬礼をしてゲストルームを後にする。


 その背中を見送り、ドアが閉じる。その先の方で若者たちのはしゃぎ声がくぐもって聞こえた。厳罰が下ると言われても、参謀直々に評価を得られたのだから安心しているのだ。


「少し評価が甘いのでは?」


 側近の一人が厳しい意見を言う。


「スパイらしい人物を見つけ、列車部隊の関与の証拠も掴んで、戦闘意志も見せた。私よりもよく働いてくれた」


 プロイツは自嘲気味に言って、テーブルにあるホログラフィを起動させた。合わせて側近たちも目の色を変える。


 表示されている画像は〔ビィ・ツゥ〕が接触回線の割り込みで手に入れた少女の静止画像と車両カメラからとらえた〔ビアンケリーア〕コックピットの拡大画像の比較である。


「それに、この人物」

「はい。シセル・メルケルという名前が履歴に残っています。声紋や虹彩鑑定にも回させますが、結果次第ではまさか……」


 側近はホログラフィを睨みながら訝しんだ。


はただのドミニオンのでまかせ、のはず。真に受ける名前ではありません」


 もう一人の側近は口調を強めて疑義を否定する。が、歯切れの悪い言葉はかえって自身の疑問を膨らませるだけであった。


 ドミニオンの情報戦術として、人体実験の関与を示唆する公演は数多く取り上げられている。が、情報の出所は眉唾物な著書でしかない。その著者が文壇に立ったところを見たこともない。


 しかし、火のないところに煙は立たない。


「だが、調べる必要はある。人造人間は確かに存在するのだからな。それにメルケルといえば地球自然保護官だったか。話しもしておきたいな」


 プロイツは断言し、ホログラフィを消した。


 

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